第3話

 こんこん、と空いていた扉をノックした。ネーリはここは軍の駐屯地だと分かっているから、閉じられている扉などはノックしたりしないよう心掛けている。自分はここにお邪魔しているのだ。彼らの仕事の邪魔になってはいけない。ただ、空いてる部屋なら別だ。聞かれたくないような重要な話なら、ここの人達は扉を閉じてくれる。

 案の定、トロイの執務室にいた彼と、三人の兵士たちはネーリノの姿を見ると、いつものように穏やかに笑ってくれた。何かを話し合っているようだったが、声を掛けて迷惑だったわけではなかったらしい。

「これは、ネーリ様」

 トロイは最初はフェルディナント以上に礼に則ってネーリに接して来る人だったが、最近は少し、変わった気がする。前から礼儀正しい人だったので何がどうとは言えないのだが、「様」などと付けて呼んでも、親しみを持ってくれているのが表情に出て来るようになった。

 ネーリは嬉しかった。

 他の騎士たちももう全員顔見知りだ。聖堂で絵について話すこともある。そこにいた騎士たちも敬礼と穏やかな顔を見せてくれる。

「フレディに絵のことで相談したいことがあって……今は街の守備隊本部ですか?」

「はい。今日は、何も無ければもう少しでお戻りになると思いますが」

「そうですか……」

「絵のこととは?」

「はい……。ちょっと大きな絵を描いてみたいなと思って。それで、どこか邪魔にならない所でいいから場所が借りたくて」

 騎士たちが目を輝かせている。

「大きな絵ってどれくらいだろう?」

 トロイは「ああ」と笑った。

「それなら心配には及びません。フェルディナント将軍はネーリ様の絵のファンです。ここだと思う所で描いて下さって構いませんよ。騎士館でも、修練場でも、新しい騎士館地区でも結構です」

「フェリックスのお家になってるそこの倉庫でも大丈夫ですか?」

「倉庫……、あの騎士館の隣の物置ですか?」

「はい!」

 ネーリが目を輝かせたので、トロイと騎士たちは思わず顔を見合わせる。

「いえ……あそこは単に薪を積み込んでるだけの場所ですから全く構いませんが……」

「あそこなら雨も入って来なくていいなあと思って」

「雨が入って来ない広い場所なら、騎士館などにもありますよ? 本当に、ネーリ様の絵ならどこで描いていただいても構いません。団長もそのように……」

「ありがとうございます。でも僕、熱中すると何時まででも描いちゃうし、人気のない所の方が集中出来るから。あそこならフェリックスも中に入って来れるし」

 トロイは笑った。

「ほんとうに、ネーリ様は欲のない方ですね。貴方は宮廷画家になってもおかしくない方だというのに」

「ぼく、王都の街中に色々描かせてくれる場所はあるんですが、どこもそんなに広くなくて。教会も絵でいっぱいになっちゃってからは、あまり大きなサイズの絵は描いてなかったんです。だから久しぶりに大きいの描いてみたくなって。あの倉庫なら、思う存分大きなのが描けます。本当に使って大丈夫ですか?」

「え、ええ勿論です……あんなところで良いなら……しかし、どれくらいの大きさを考えていらっしゃるんですか?」

「そこの壁を半分くらい切った、横長の構図で考えてるんです」

 執務室の壁を振り返って、トロイは驚いた。

 彼は教会のアトリエも見たことがある。

 確かに、中には巨大な絵もあった。

 ネーリはこんなに細い身体で、自分の背丈ほどある大きさの絵も凄まじい速さで仕上げて来る、とフェルディナントは言っていた。彼らはまだそれを目の当たりにしたことはないが、普段のスケッチのパワーとスピードを見ているので、見ずとも納得する。

 ネーリはそういう絵も描ける画家なのだ。

「大きな絵は、描く場所も必要だし、やっぱり材料などもたくさん使うから、お金も必要だったから、あまり描かないようにはしていたんです」

「そうなのですか」

 そういう絵を描きたいという情熱がないならともかく、あるのに、費用や場所で描けないというのは勿体無いとトロイは思う。フェルディナントが何故あれほどネーリを本国に連れ帰りたがっているのか、理由が分かった。別に貧しい教会で描かせたくないとかいうことではないのだ。創作に全ての力を注ぎこむことの出来る、環境を与えてやりたいのだと思う。確かにフェルディナントの庇護や、宮廷画家ともなれば、費用や場所などは、一切本人が考えなくてもよくなる。全てを創作活動に費やせる。

「でも、フレディが幾つかもう絵を買ってくれたから、今お金が少し入ったから。久しぶりに大きい絵を描いてみたいんです」

 こんなに大きな絵を? と想像して目を丸くしていたトロイと騎士たちだが、壁の前で大きく両腕を広げて目を輝かせたネーリを見て、この人なら必ず成し遂げるんだろうなと思い、明るい表情で笑った。

「了解しました、ネーリ様。フェルディナント将軍にはお伝えしておきます」

「トロイ隊長」

「ん?」

「団長には」

「ネーリ様ご本人から伝えていただいた方がいいのでは」

 トロイ・クエンティンは十八歳のフェルディナントとは歳は離れているが、実はまだ二十半ばで竜騎兵団の副団長としても彼すら、若い方だった。だから竜騎兵団には、団長、副団長よりも年上の人間もたくさんいる。

 フェルディナントが厳格な性格をしているので、年下の人間だと彼らを軽んじるような人間はいないが、今は、トロイより人生経験も豊かで本国に家庭も持っている年上の騎士たちが、穏やかな表情で口を出して来た。

 数秒目を瞬かせて、「ああ」とトロイはやっと気付いた。

「そうですね。それがいい。これは、気がつきませんでした。わざわざ私が口を出す話ではなかった。無粋で申し訳ない」

「いえ……あの、そんなことはないです……」

 さすがに察して、生真面目にそんなことをきっちり喋ったトロイにネーリが顔を赤くすると、騎士たちが朗らかに笑ってくれた。

 フェルディナントは「あいつらにはとっくに自分が誰を好きかなんかバレてる」と言っていたが、じゃあ僕もとっくに分かっちゃってるんだろうなぁ、と気恥ずかしく思い、話も終わったからそろそろ帰ろう、と考えた時だった。

 ――ふと見た、トロイの机に並んでいる。

 思わず目を見張ったネーリに、すぐトロイ達も気づいたようだ。

「ネーリ様?」

「それ……?」

 手元に並べてある三本の、太い針のような金属。ああ、とトロイは一本を手に取った。

「実はどうやらヴェネツィアの街に出没する例の仮面の男が持っている特殊な武器のようなのです。特定できたわけではないのですが、団長の話では手に仕込んだ自動弓のようなもので、特殊な矢ではないかと。というのも、ヴェネトにやって来て間もなく、団長はあの仮面の男に遭遇し、街で剣を交わしたことがあるのです。その時に団長が肩に、これを打ち込まれて」

「普通の弓ならフェルディナント将軍は容易く躱します。肩に受けたというのはかなり衝撃ですね。遠くから射るというより、至近距離から打ち込む武器、のようですが、威力が強い」

「そうなんですか……なにかなと思って……見てみてもいいですか?」

「どうぞ。鋭いので気を付けてください」

「ネーリ様はヴェネトにお詳しいですが、そういう武器をご存じないですか?」

 ネーリは首を振った。トロイは頷く。

「そうですか。いえ、我々もヴェネトの武器商にはかなり当たってみたのですが、この辺りではこういう武器は見たことがないと、どこに行っても言われました。我々もこういうものは見たことがない」

 そっと、トロイの手から一本の矢を手に取った。

『矢』は三本ある。

「……これ、全部フレディと戦った時に?」

「ああ、これは違うのです」

 トロイは机の引き出しを開く。

「団長を襲った『矢』はこれです。警邏隊が襲撃を受けていた時は、かなり現場にこれと同じものがありました」

 ネーリはトロイの取り出した『矢』を見る。

 確かに、自分が、フェルディナントに対して放ったものだ。

 背筋が凍る。

 あの時は確かに、彼も警邏隊関係だと思い、殺す所だったのだ。

 喉元を狙った。あの武器の定石だったからだ。頭部か、喉元。

 一撃必殺なら、ネーリは喉元を狙う。頭部も致命傷は与えられるが、どうしても狙う時に敵の表情が目に入るので、気が散るのだ。喉は的が小さいから当てるのは難度が高い。

 ――しかし当たれば必ず『矢』は貫通するので、殺せる。

 ネーリはあの武器を【フィッカー】と呼んでいる。

 いや、正確にはそう、教えられたのだ。

 射る、ではなく。

『突き刺す』。

 風を強く受ける船上で、接近した敵船に乗り込み制圧する――そういう戦術を取る時、高位から発射しても風の煽りを受けず、正確に敵を射る威力が必要とされたから。

 船上の高位は帆柱である。

 つまり、マストに上り、片手で縄を掴みながら、大きく揺れる船上でも敵を狙い、片手で発射出来る自動弓が必要とされる。両手を使って弓を引けない場所で、活躍するための武器。

 ……これは、ヴェネトの人間が知らなくて当然の武器なのだ。

 何故なら。

 祖父の船に乗っていた船員の一人が、作った特殊な武器だからだ。

 金属製の『矢』を、高い威力で射出する為に、機械仕込みの小手を嵌め、そこから射る。

 木製の武器とは比較にならない威力があるのだ。

 祖父の腹心で、そういった武器を作ったり改造したりするのが好きな船員がいた。

 ネーリの祖父であるユリウスも【フィッカー】を一つ持っていて、ネーリはヴェネト王宮を出る時にこれだけ持ち出したのだ。それ以後調整は自分で続け、使い続けている。特殊な武器であることは知っているので、不調になっても外へ出したことはない。いつも自分で直した。

『矢』だけは造船所から調達する。

 材料を持ち込めば、加工してくれる店があるのだ。

 ただし武器工ではない。個人的に関わりのある造船工場だ。しかし彼らもこれが武器になっているとは思っていないだろう。ネーリは絵に張り付いた顔料を精密に削る道具が欲しいと依頼してこの『矢』を作ってもらっているのだ。

 ネーリはトロイの持つ『矢』を見て、フェルディナントを殺しかけたことを思い、当然、背筋を凍らせた。肩傷で済んだのは本当にただ、あの間合いでもフィッカーを避けたフェルディナントの身体能力の高さと勘の良さである。一歩間違えれば殺していた。

 フェルディナントが自分に向けてくれる優しいまなざしを思い出して、背筋が凍る。

 ……ただ。

 自分のこの手に今握られている『矢』に感じる不気味さは、遥かにそれを凌いだ。

「……これは……じゃあ街中にあったんですか……?」

「?」

「あ、いえ……昔これに似たものを見たことがあって」

 トロイは驚く。

「本当ですか?」

「でも、違うかもしれないです。ちょっとそれも見せてもらっていいですか?」

「どうぞ」

 自分が撃った『矢』を受け取る。

 慎重に、見下ろした。

 やっぱりそうだ。

「昔、祖父の乗ってた貿易船で同じものを見た気がして、何だったのかと思ったんですけど、『矢』とは思わなかったです。これをどうやって撃つんですか……?」

 知っていたが、尋ねる。これは時間稼ぎだ。

 自分の正体を、トロイにも勘付かれるわけにはいかない。

「団長はバネが跳ねる金属音を聞いたそうです。ですからこう……手のあたりに小手のように仕込んである小型の自動弓ではないかと推測されていましたが。木製ではなく、金属製の武器です。だから威力も凄まじい」

「この三本と……こっちと、長さが違うのは意味があるんですか?」

 誰かに聞きたかった一番肝心な問いを、何気なく気づいた風に装って、ネーリは尋ねてみた。

「長さが違う?」

 三本の『矢』を机に戻して、一本を置く。

「本当だ」

 騎士たちは驚く。

「この三本と、一本は違います」

「ネーリ様、よく分かりましたね?」

 トロイも思わずネーリを見た。

「あ……、トロイさんが持った感じが少し違うように見えて」

「さすがは画家ですね。一目で違いを見抜くとは、お見事です。素晴らしい観察眼をお持ちになる。私はずっとこれは一体何なのかと睨みつけてきたのに全く気付きませんでした」

「この三本は『矢』の長さも全く同じに揃えられてる。正確です」

 それはそうだ。

 フィッカーはネーリの把握してる限り、作る者が限られている。彼が製作方法を図面にしてる可能性もあるがそれにしても、このヴェネトに自分以外の、この武器を所有する者が、少なくとももう一人いる……。

 それは非常に不気味だった。

 ネーリは祖父が亡くなった後、ずっと一人だった。

 戦う時も一人だったのだ。

 今になりこの地に同じ武器を持つ者が現われ、しかも殺しをしている。この、自分のものと違う長さの矢は、はっきりとそれを示していた。

 それは不気味で得体の知れないことだったのだ。

(……一体何者だろう?)

 ネーリの『矢』も長さは正確だ。

 フィッカーは小手に仕込んだ型に『矢』を装填して、そこから射出する。つまり型が決まっているのだ。ネーリの撃った『矢』と、三本の『矢』は二センチほど違う。何も気にしないで見ると分からないが、並べて比べると大きく違うのだ。


 自分以外に、この矢を放った者がいる。


「……トロイさん、この三本……どこにあったか僕が聞いてもいいですか?」

 あまり血腥い話はネーリには聞かせたくないが、という顔を見せたが、『矢』の違いを彼が一目で見抜いたため、彼が単なる子供じみた好奇心で答えを欲しているとは思わなかったのだろう。フェルディナントからも、ネーリが街の画家以上の想いで、ヴェネツィアの街の平和を願っているひとだ、と聞いている。

「あまり、ネーリ様のお耳に入れるような内容ではないのですが」

 ネーリは慌てて首を横に振った。

「内密の話になっていますが」

 ネーリは頷いた。

「実は【夏至祭】で、街で騒ぎを起こした三人の警邏隊がいるのです。仕事ではなく、いつものように昼間から酒を飲み、足取りもおぼつかないような連中ですが。騒ぎが起きた所にスペイン海軍の将校が通りかかり、絡まれていた市民を助けて、スペインの駐屯地にこの三人を連れ帰り、祭事が終わるまで街から隔離しようと、牢に拘留したのです」

 ドキ、とする。

 あの三人だ。

 イアン・エルスバトが倒し、連行してくれた。

「スペイン海軍の駐屯地……」

「その牢で、収監中にこの『矢』を使って三人は殺されたのです」

「……ころされた……?」

「ネーリ様はスペイン海軍のイアン・エルスバト将軍もご存じでしたね。では、彼の名誉の為にも申し上げますが、スペイン海軍に彼の監視下の許、何か重大な不手際があったわけではありません。確かに牢には監視を付けるべきではあるでしょうが、そもそもこの警邏達の連中は、街のゴロツキに過ぎません。重大な政治犯や凶悪犯というわけではないのです。逮捕時に負傷もしていたので、危険性はありませんでした。彼らは適切な管理を行い、厳しい監視も付けなかった。牢のすぐ上はここでいう正面玄関のような感じで、スペイン兵も常に出入りしています。隔離した場所ではないのです。ですから特別な監視役もつけなかった。当時スペイン艦隊は港の増設作業を行っていて、朝方まで駐屯地は騒がしい状態でした。犯人は恐らくそれに紛れ込んで侵入したのでしょうが、スペイン側の拘留方法が著しく問題だったわけではありません」

 ネーリは小さく頷く。

「イアンさんは……僕の絵も見に来てくれました。フレディと話してるところも見たし……信頼出来る人だって思います」

 トロイも頷く。

「それが、ある夜、ごく短時間で三人とも殺害されました。遺体にはこの『矢』が刺さっていましたが、殺すには十分だったはずですが、遺体にはそれ以上の傷が与えられていました。これは……聖堂に飾る絵すら描かれるネーリ様には、詳しく話すのも憚られるような状態だったのでさすがに申し上げられません。ですがイアン将軍も、フェルディナント将軍も遺体の状況から見て、ただ殺害目的ではなく――復讐目的であったのではと見ておられます」

「復讐……」

 何故か、こちらを強く憎しみで睨みつける、ヴェネト王妃の顔が過った。

 本当に、命を奪う意志がある者。

 ネーリは分かった。

 自分も【フィッカー】の引き金を引く時は――必ず相手を殺そうとしてそうする。


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