第2話
「できた」
フェリックスに寄り掛かってずっと絵を描いていたネーリは、曲げていた足を地面に伸ばした。
「これ、新しい騎士館から見える景色なんだよ。反対側の海も見えるの。こっちの海は本当に一面の海でしょ? こうやって見ると本当にヴェネトはアドリア海にぽつんって浮かぶ島なんだなあって分かるね。あおい海!」
フェリックスに色付けした海の景色を見せてあげると、「クゥ」と声を出している。
本当に絵を見てるみたいな反応だ。
どうなのかな。
でも竜だって景色を見てものを判別してるなら、絵を見る力だって備わってるはずだとネーリは思う。
「色がついてる絵と……ついてない絵!」
二枚出してみると、目をぱちぱちさせた。
「色がついてるほう」
「クゥ」
「ついてない方」
「クゥ」
「ついてない」
「クゥ」
「ついてる!」
「クゥ!」
「今一番大きい声出した! 嬉しそうに聞こえたよ! きっと色がついてる方の絵が好きなんだね」
一枚一枚見せて確かめると、そんな風になんとなく聞こえて、ネーリは笑った。
本当にかわいいなぁ。こんなにカッコイイ顔してるのに。
「そういえば、神聖ローマ帝国では、君たちって自由に飛べるのかな? 王家の森って棲み処があるのは知ってるけど、普段はそこにいるの? それとも主の決まってる騎竜は、その人のお家で暮らせるのかな?」
フェルディナントは爵位を持っていると言っていたから、きっと大きな屋敷を持っているのだろうけど、フェリックスも一緒に暮らせるのだろうか?
かつて暮らしていたローマの城の広い庭園に、駆け回る犬猫がいて、その中にフェリックスものんびり蹲って寝ている姿を想像し、ネーリは微笑ってしまった。
幸せそうだ。
そんな風だったらいい。
聖堂に入り、本棚に今日描いたスケッチを置いておく。
竜騎兵団の騎士たちが、聖堂に本棚を置いてくれたのだが、そこにスケッチや絵を置いておくと、自由に手に取って彼らが見てくれるのだ。
ネーリも好きに見ていいと言って置いているので、彼らが日常の合間に自分の絵を見て楽しんでくれるのは嬉しかった。
教会でも人々は絵を喜んでくれたけど、ここの騎士たちはネーリにはそれ以上に絵を熱心に見てくれる人がいると感じられる。フェルディナントもそうだったが、普段戦いや守護に身を置く彼らが何を思って自分の絵を見てくれるのかな……とネーリは想いを馳せる時がある。
教会で描いていた頃は、あまりそういうことは考えなかった。どんな絵を描いても、見てくれる人がどう思うかのかとかは、そんなにネーリには重要なことではない。彼はひたすら、自分が描きたいと思う、閃きを感じた絵を、自分だけを頼りに描き続けて来ただけだから。
だが駐屯地に来てからは、なるべくここの騎士たちの、……見知らない国で、故郷を離れて、不安の中で戦う、彼らの心を和らげるような絵を描いてあげたいなと思った。
(そういえば……神父様が、最初の頃フレディがあの『エデンの園』の絵を熱心に見てたって言ってたなぁ……)
ネーリは目を閉じてみる。
(楽園のイメージ……)
神聖ローマ帝国の、フェルディナントの私邸には行ったことがないため、イメージして描くことは出来ない。だが、ネーリは厳密にいえば、あの国に行ったことはある。
(王家の森。当時は、あそこが神聖ローマ帝国なんてこと、僕は分かってなかったけど。あの頃はおじーちゃんが抱き上げて、どこにでも連れて行ってくれたからなあ)
色んな国に行ったのに、まだ幼くてそのことがよく分からなかった。
神聖ローマ帝国は確か、歴代皇帝が即位する時に遷都が行われる風習があると聞いた。
あの時訪れたのが神聖ローマ帝国のどこなのかも、そういえばネーリはまだよく分かっていない。
……記憶も遠い。
でも、思い出してみる。
背中に、寄り掛かったフェリックスの温かい体温を感じる。
(君たちの、優れた記憶力を貸してね)
小さな竜を、見てごらん、と祖父が見せてくれた。
側に何人か人がいた。
いつもそうだけど、いつも側にいるのは、祖父の船の仲間だ。
その時は違った。ほとんど知らない顔の人だった。……それでも、みんながネーリに親しくしてくれ、優しい顔で見てくれていた。彼らは祖父を信頼していたのだ。
エンブレムを幾つか、思い出せそうな気がした。というのも、ネーリは幼いころから紋章や模様などが好きだったので、そういうものがあるとついついジッと見つめて眺める癖があったからである。
(そうだ、あの時も、幾つも見たはず)
紋章、荘厳な建物の、模様、断片的でも思い出す。
自然と、目を閉じながら、ネーリは土の上にガリガリと筆の背を使って記憶を辿り、描いた。
(綺麗な教会や、湖畔の屋敷。竜の子を遊ばせたくて庭に出た。咲いていた花はなんだった?)
そっと、瞳を開くと少しずつ、夕暮れの空になっている。
「……描いてみようかなあ」
全てを完璧に思い出せそうにはないけど、あの静かな、神殿のように静かで平和な森の空気は、何となく覚えている。
神聖ローマ帝国の、竜の棲む森。
彼らを尊ぶ騎士たちなら、その景色はきっと喜んでくれるのではないかと思ったから。
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