海に沈むジグラート22

七海ポルカ

第1話


 聖堂に、騎士たちが集まっている。

 彼らは一点を見つめていて、視線の先にはネーリ・バルネチアの姿があった。

 彼はヴェネツィア聖教会がまとめる【ヴェネト史】の講義を一時間、週に二回、神聖ローマ帝国の駐屯地で行うことになった。ヴェネトの歴史、街の成り立ち、先だって街を襲った【アクア・アルタ】と呼ばれる異常高潮のことなど、多岐に渡る。

 正直な所、ヴェネトに派遣された時は【シビュラの塔】の破壊力を笠に着て、他国を脅す卑怯なヴェネト王国の歴史になど興味あるか、という感じだったが、ようやく四か月になり、竜騎兵団の騎士たちの感情も少しずつ季節のように変化して来たと思う。

「フェルディナント将軍」

 トロイがやって来た。

 フェルディナントは任務中の騎士以外、ほぼ全員が集まっている感じの、聖堂の入り口に寄り掛かって、話しているネーリと、話を聞いている部下達の様子を眺めていた。敬礼をしてから、彼も外から覗き込む。

「熱心に聞いてるようですね」

 講義を邪魔してはいけないと思い、聖堂の入り口から少し離れた。

 フェルディナントが頷く。

「……絵のこともそうだが、礼拝に、この講義も。俺は今まで、国の為に戦えと命じれば、あいつらは戦ってくれると思ってた。俺自身、悩みは尽きないけど、みんなそんなもんだと思ってたからな。……ネーリには色々、教えられるよ。兵士だって、もっと心に支えがあっていいし、救われてもいい」

 トロイは少し息を飲んだが、すぐに穏やかな表情で頷く。

「不思議な方ですね。我々から見ればまだ幼くて、戦う術を知らない、線の細い方ですが。

それでも彼らがネーリ様に心を開いて、あっという間に惹かれて行くのを感じます」

 フェルディナント自身もそうだった。

 彼ほど恋情めいてはいないけれど、トロイも会った瞬間からネーリにはいい印象を持っている。容姿の優れた青年なのでともすれば相手を緊張させる雰囲気も持てるのだが、ネーリの場合言動が少年っぽくあどけないのでつい見てるこっちも顔がほころんでしまう。それでいてそんな少年がひとたび筆をとると、芸術の神が乗り移ったかのような美しい絵を描く。

 非凡さ。

 ――そう、非凡さに惹かれているのだと思う。

「実のところ、ネーリがこの駐屯地に来てくれて、あいつらが彼の絵や、聖堂や話すことに耳を傾けてる姿を見てると、俺自身、少し肩の荷が軽くなる気持ちがするんだ」

 トロイは少し意外に思い、フェルディナントを見た。

「責任逃れをするつもりはないけど、本来俺があいつらにとってそういう心の拠り所になってやらないといけない。だけど、俺は絵も描けないし聖歌も弾けない。剣や竜の扱いの巧さを判別して叱咤激励してやることくらいだ。でも……そんなことは俺じゃなくたって出来ることだしな」

「彼らはフェルディナント将軍がここにいらっしゃると聞いたから志願して集まったのです。貴方はとっくに、彼らの心の拠り所ですよ。しかし……ネーリ様は特別な方です。人間にとって心の拠り所となるものは、別に幾つあっても、苦しい時に困るということはありません」

 トロイは竜騎兵団ではフェルディナントの不在を預かる副官であり、副団長の地位にある。だから言うべきことはきちんと喋るが、彼とフェルディナントの二人でのやりとりの中では、寡黙な男だ。余計なことを喋ったり、フェルディナントに進言することはまずない。そんな彼がここまでフェルディナントに対して喋ることは、非常に珍しかった。

「今、この駐屯地に将軍がいらっしゃり、ネーリ様もいて下さる。そのことが、スペイン艦隊・フランス艦隊も存在するこのヴェネトの地で――自分たちの強い守りだと、彼らは信じているのですから」

 いつの間にか、フェリックスが聖堂の入り口にいた。行儀よく座り、首を覗かせて明らかに中の、ネーリの話す内容を気にして聞いているように見えて、トロイとフェルディナントも笑ってしまった。

「――そうでした、報告いたします」

 思い出して、トロイが敬礼をする。フェルディナントも敬礼を返し、空気を改めた。

「以前、街で見かけた貴族の報告書をまとめました」

 書類をトロイから受け取る。

「ネーリに声を掛けたあの貴族だな?」

「はい。屋敷は南西の端にありましたが、あれは王都ヴェネツィアの邸宅だそうで、ヴェネト周辺の六つの主要都市群の、トルチェッロ島とサン・ミケーレ島にも屋敷を持ち、本家はトルチェッロ島のようです。当主はドラクマ・シャルタナ。王都ヴェネツィアの屋敷の女主人はドラクマの妹のレイファだそうです」

「シャルタナ……聞き覚えがある。ロシェル・グヴェンから預かった資料の中にあった、【青のスクオーラ】を構成する六大貴族の一つじゃないか?」

 トロイは頷く。

「シャルタナ一族はトルチェッロ島の古くからの領主の血筋だったそうです。今でも彼らはトルチェッロ島では大きな影響力を持つとか」

 書類の中にシャルタナ一族の紋章、今まさに羽ばたき、水面を蹴る水鳥の姿が描かれている。

「【青のスクオーラ】の一人か……」

 例の空き家から続く水路から出た時、明らかに空き家の方を窺っているように感じられたのだ。

「あの場所と何か繋がりが……?」

「まだ分からないが。しかし、ネーリに声を掛けた時も、あの場所の近くを馬車が走っていた。守備隊本部に戻り次第、しばらく数週間ほどあの周辺を張らせよう。周辺には高い建物もあった。あのどれかに場所を借りれれば、空き家周辺の通りを見張れるはずだ」

「すぐに当たってみます」

「慎重に頼む。相手はヴェネト王宮にも出入りする名門貴族だ。……それと、貴族絡みの場合教会にも注意しろ。以前俺に【仮面の男】の情報を提供した女が、ヴェネトは今や、教会も信用ならない、と話していた」

 聖堂の中で騎士たちに話してやっている、ネーリの様子をそこから眺めた。

 警邏隊に続き、教会も警戒しなければならないとはいよいよである。

 しかし、全ての教会関係者が腐敗してるというわけではないのだ。

 ネーリは教会で絵を描き、王都の様々な教会を出入りしている。少なくともミラーコリ教会は、王都ヴェネツィアに残る、数少ない聖域だ。一人開け放しの聖堂で絵を描く姿や、子供たちと戯れる姿を思い出す。彼らだけは、血腥いことから遠ざけて守ってやりたいと思う。

 しかし、たまたま思いがけないところで繋がったことだったが、慎重にしなければならないとはいえ、【青のスクオーラ】に属するほどの貴族の名が、捜査の途上で出て来たことは、密かにフェルディナントにとっては喜ばしいことだった。街を騒がす警邏隊を、私兵団のように飼い慣らしている上級貴族の名に、初めて辿り着けたかもしれないからだ。そこから色々なことが分かるかもしれない。

(ヴェネツィアは、あいつの大切に想う街だから)

 平穏を取り戻すことが出来るのなら、取り戻してやりたいと願っている。

(これが重要な手掛かりになればいいんだが)



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