第2話




「ヤバい、です。ハーミア・オデット、想像以上に体力、ありませんでした……」

「この姿の私に追い抜かれるとか、相当ですわよ?」


 花の中に埋もれるように寝転んで二人は、並んで空を見上げていた。


「最近、マウスより重たい物を持った記憶がなかったりする、マジで。……せっかく召喚してくれたのに、なにもできなかったらごめんね」

「ご心配には及びません。ハーミア様をお呼び立てしたのは、その……お尋ねしたいことが、あるだけなので」

「訊きたいこと? 私に?」


 よいしょっ、と反動を使って体を起こしたハーミアは、思いがけない言葉に首を傾げた。


「なんだろ? コスプレイヤーのゴミカスライフハックとか?」

「違います」


 空を見上げたまま、ライサンダーは素っ気なく答えた。


「じゃあ、オデット領で磨き上げた、限界サバイバル技術の伝授……いや、オデット領、そこまでポツンとしてないからね!」

「違います」

「分かった、恋愛相談だ! それならもう、三日三晩ぐらい付き合っちゃいますけど?」

「違います」

「だったらなんなんですかぁ?」


 しびれを切らしたハーミアは、垂れた前髪が触れそうな距離まで顔を近づけ、煮え切らない少女の瞳を覗き込んだ。


「……っ!? ち、ちゃんとお話しますので、お顔を少し避けてくださいまし」


 あたふたと起き上がったライサンダーは正座に座り直すと、ピンと背筋を伸ばした。

 そのまましばらく、伏し目がちに言葉を探しているようだったが、ゆっくり顔を上げて視線を合わせた。


「ハーミア様は、個人VTuberなのですよね。ご自分のチャンネルは、大きくしたいものですか?」

「登録者数が増えて嬉しくない配信者なんている? いねーよな……ごめん、当たり前すぎて、ちょっと古いミーム出しちゃった」


「そうですわよね。当たり前すぎますわよね」

「なんて大前提はありつつ、私は立ち位置がちょっとね、特殊だったりするのも本当。世の中にはさ、VTuberが実写の姿を出すこと自体、良く思わない人もいるわけですよ」

「そうなんですの?」

「そうなんですの。だから活動始めた頃は、手探りというか、おっかなびっくりというか、不安な気持ちがいっぱいあってね。チャンネルを大きくしようなんて余裕、全然なかった」


「嫌な想い、されました?」

「ううん。まったくの思いすごしとまでは言わないけど、みんなに支えてもらったから。会いにきてくれて、応援してくれた。……救ってくれた」


 ここまで話してハーミアは、目元を拭って鼻をすすった。当時を思い出すと、今でも胸が詰まる。


「ごめん、ちょっと涙出ちゃった。あのときの優しさを覚えてるから私は、登録者数とか同接には、あまり振り回されないのかなって思う」

「チャンネルを大きくすることだけが、正しい目標ではないと」

「正しいって言うとあれだけど、ハーミアはハーミアが楽しいと思うことを、みんなにも楽しんでもらいたい。それだけかな」


「では、事務所に入らないかと誘いがきたら、どうされます?」

「それは……うーん、難しい質問だぁ。条件とかも色々あるし、一概にこうとは言えないかな」


「曖昧すぎる仮定でしたわね。申し訳ありません。収入が増えて安定する代わりに、独自性や自由度が損なわれるのなら、どちらをお選びになるのか? ぐらいのニュアンスだったのですが」

「謝らなくていいってば。一つ言えるとしたら、悩んだら相談をして決めるとは思う」


「どなたに?」

「領民さんたち」

「ご家族やご友人ではなく?」

「もちろん、家族や友達にもするよ? けど、領民さんたちの意見を大切にしたいって気持ちのが強いかな。配信始めて三年ぐらいになるけど、近頃よく思うんですよ。領民さんあっての、ハーミア・オデットだなぁって」


 照れくさそうに笑うと、ハーミアは言葉を続けた。


「私が船なら、領民さんは海。私が星なら、領民さんは空……なんて」

「いてくれないと意味をなさない……」

「まあでも、私の好きにしたらいいよ、ついていくよ、みたいな反応になるとは思ってますけど」


「愛されていらっしゃいますものね」

「そ、そうかなぁ? だったらいいなぁ」


 なんだか急に恥ずかしくなったハーミアは、熱を持った頬を気取られないように大きく伸びをしたが、そのタイミングでお腹が鳴ってしまった。


「うわっ、めっちゃお腹すいた気がする!」

「タイムリミットのようですね。肉体が目覚めかけているサインですわ」

「もう、お別れなの?」

「あと五分くらいかと。目覚めれば、淡い夢ほどの記憶も残らないでしょうけれど」

「ハーミア、記憶力にはちょっと自信ありありなんですけど?」


 答えの代わりに柔らかな笑みを浮かべ、ライサンダーはぺこりと頭を下げた。


「むうっ……! 覚えてたら、次の配信のネタにしちゃいますからね?」

「それは少し、期待してしまいそうですわ」

「本当? じゃあ、残った時間は質問タイムでいい? 記憶にバッチリ刻みつけるから」

「ええ」


「やったぁ。時間ないから単刀直入ね。ライちゃんってさ……その、何者なの?」

 ずっと気になっていたことを、ハーミアは尋ねた。

「お互い、素性は詮索しないのが、界隈のマナーなのではありませんこと?」

「うっ、それは……ごめん」


 冗談ですわ、とライサンダーは悪戯っぽく微笑んで答えを紡いだ。


「私は、この大陸を統べる一族の端に連なる者で、小さな領地の守護を担っておりますの」

「やっぱり、本物のお姫様だったんだ。喋り方からして、ただ者とは思えなかったもん。それで、私の話、なにかの役に立てたのかな?」


「それはもう。大変、参考になりましたわ」

「だったら良かった。……もう一つ、訊いてもいい?」

「なんなりと」


「どうして、私だったの? 他にもたくさん、VTuberさんいるのに、どうして私を喚んだのか、すっごく気になる」

「それは、その…………でしたから」

「えっ、なんて言ったの? 聞こえなかっ――」


 ぷつんとテレビが消えるように、目の前が真っ暗になったと感じた瞬間、ハーミアの意識は途絶えた。

 存在そのものも掻き消え、美しい花畑には独り、幼い少女だけが取り残されていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る