第2章 ルーメンの希望【2】
畑の手入れをする民は、アルクスを見ると目を丸くする。アルバート王太子に似た人物が村にいることに驚いているのだ。それでも、五人がそばにいることでアルクスであることには気付いているだろう。民が慣れるまでにはそう時間はかからないはずだ。
ホープは畑仕事を手伝う少女に声をかける。ホープと同じ茶髪の、他の子ども同様に手足の痩せ細った少女だ。その腕には赤い斑点がある。
「妹のスペスだ」
「やあ、スペス」
茶髪の少女――スペスは、アルクスを見上げて不思議そうに首を傾げた。
「……もしかして、王様?」
「ああ、私だよ。スペス、少し手に触れても構わないか?」
穏やかに言うアルクスに、スペスはさっと右手を差し出す。アルクスはその小さな手に触れ、静かに目を閉じた。
「……なるほど。免疫が過剰反応しているようだ」
流れ込んで来た情報をもとに呟くと、アルクスは真っ直ぐスペスを見遣る。ホープと同じ新緑の瞳は、窺うようにアルクスを見つめていた。
「原因は泉だろうな。人間の体にとって毒となる成分が含まれていたんだ」
「なるほどね」ウォーカーが呟く。「泉は枯れていただけでなく、汚染されていたのね」
「これからルーメンの民が病に苦しむことはなくなるだろうな」
泉はホープの能力によって再生している。泉の汚染も浄化されているはずだ。この村の病が泉によって発生したものであるなら、この病は二度と発生しないだろう。
だが、アルクスの中には疑問が生じていた。国の医療班が支援に来ていたなら、泉が原因であることにはすぐに気付いただろう。村中を検査すれば、人間の体にとって毒となる成分を検出するのは簡単なはず。この疑問は、アルクスのソル・フォルマ王国への疑惑を広げるには充分だった。
「さて、スペス。このイヴがお前の病気を治癒する」
スペスは驚いた表情でイヴを見上げる。イヴは風邪を治せても、この村に昔から存在する病を治すことはできないと知っているのだ。イヴはいまだ自分の能力に確信がなく、自信のない表情をしている。
「一応、親にも伝えていいか?」
「ああ、もちろんだとも」
ホープはそばで畑の手入れをする男性と女性に呼び掛ける。ホープを振り向いたふたりは、アルクスを見て目を丸くした。
「アルバート王太子殿下……⁉」
「アルクス王だ」
これからしばらく、このやり取りは他の民とも続いていくことだろう。目立つ浅葱色の髪でアルクスだと覚えるはずだ。
「アルクス王がイヴの治癒の魔法を開放した。病気を治癒することができる」
「それでは、スペスは治るのですか……⁉」
母親がすがるようにアルクスを見遣る。アルクスは自信とともに頷いた。
「間違いなく治るだろうな」
「あ、ですが……スペスが最初のひとりなんです」
いまだ確信を持てないイヴが言うと、両親は窺うようにスペスを見下ろす。スペスは、澄んだ瞳でアルクスを見つめた。
「あたしが治れば、他の人も治せるってことよね?」
「そうだとも」
「……やってみて、イヴさん!」
身を乗り出すスペスに、イヴはまだ不安そうな表情を浮かべている。周囲に集まる民の期待に満ちた視線も、イヴに重圧を与えていた。その中で、スペスは真っ直ぐにイヴを見つめている。
「この病気で苦しんでる人はたくさんいるわ!」
「……怖くないの?」
イヴの能力は開放されアルクスの呪詛を解除したが、まだ病を治癒すると証明されたわけではない。スペスはそのための最初のひとりになるのだ。
「……怖くないって言ったら嘘になるけど……。あたしは、王様とお兄ちゃんとイヴさんを信じるわ。あたしもこの村の人の役に立ちたいの!」
「良い目をしている。賢い者は好きだ」
優しく微笑むアルクスに、スペスは希望を湛えて頷く。イヴもようやく決心した様子で、スペスの小さな手を両手で包み込んだ。そっと瞳を閉じて意識を集中すると、手のひらから溢れた淡い光がスペスに静かに注がれる。穏やかな風がスペスの肌を撫で、固唾の飲む人々のあいだを吹き抜けていく。その温かさに身を委ねていると、スペスの腕から浚われるように斑点が消えていった。イヴが顔を上げるのに合わせて風は散り、スペスは自分の手足を見下ろした。
「斑点が、消えた……」
母がイヴの腕を取り呟く。目撃した民は驚きとともに感嘆を上げた。スペスはまだ信じきれない様子で、自分の手足を確認している。アルクスはまたスペスの小さな手に触れ、ふむ、と満足して頷いた。
「さあ、重症患者からいこう」
アルクスは確信していた。イヴがこの村を病から救えると。
アルクスとラプトール、五人が患者のもとに向かうのに合わせ、奇跡の目撃を望む民も移動する。イヴはまだ確信を持てない様子で、かかる重圧に顔を青くしていた。アルクスはすでにイヴの能力への信用を持っている。自信を持て、と声をかけると、イヴは少しだけ顔を上げた。
「ここが村で最も重い症状が出ている患者の家だ」
ホープがドアをノックする。村の騒ぎはすでに聞きつけているようで、子どもたちが窓から外を覗いていた。応対に出て来たのは背の高い男性だった。
「やあ、ホープ。みんな揃ってどうしたんだ?」
「アルクス王がイヴの治癒の魔法を開放した。奥さんの病気を治癒しに来たんだ」
「なんだって?」
男性は目を丸くしてイヴを見遣る。それからアルクスに視線を向け、さらに目を剥いた。それでもラプトールと五人がそばにいることでアルクスだと確信したようで、どうぞ、と彼らを家の中に招き入れる。駆け寄って来た子どもたちは、期待と好奇心に満ちた瞳をしていた。
男性が案内した部屋では、痩せ細った女性がベッドに横たわっている。斑点は顔にまで広がっていた。男性が声をかけると、女性は布団を下げて顔を出す。
「アルクス王がお越しだよ」
「えっ……?」
「やあ。具合はどうだ」
覗き込んだアルクスに、女性はぎょっと目を剥いた。それから、慌てた様子で頭を上げる。起き上がろうとしているようだが、体に力が入らないようだった。
「申し訳ありません。王の御前でこんな……」
「構わん。楽にしていなさい」
ウォーカーは、この病は次第に手足が動かなくなり、最後は寝たきりに、と言っていた。年齢を重ねるごとに症状が重くなっていくのだとしたら、この女性はかなり進行が早いらしい。すでに足が動かなくなっており、腕にも上手く力が入らないようだった。
「さあ、イヴ。頼むよ」
「はい……」
イヴはまだ不安を湛えた表情をしているが、優しく女性の手に触れる。イヴの穏やかな魔力が流れ込むと、ふと女性の表情が和らいだ。固唾を飲んで見守る人々のあいだを吹き抜ける風が、女性を温かく包み込む。アルクスがイヴの魔力の心地良さを感じる中、イヴの手のひらから伝った光が女性の体を優しく撫でた。その瞬間、女性はハッと空いている右手を見遣る。斑点が消えていた。これでイヴの治癒は完了だ。
「あっ……あ、足の感覚、が……」
恐る恐るといった様子で女性が腕に力を入れる。先ほどまで動くことすらできなかった体が、ベッドの上に起き上がった。女性が布団をめくると、足のつま先が動いている。女性は夫と顔を見合わせ、瞳に涙を滲ませた。
「さあ、立ってみろ」
差し出したアルクスの手を遠慮がちに取り、女性は恐る恐ると言った様子でベッドから身を乗り出す。その足は完全に床を捉え、女性の意思のままに立ち上がった。
「……立てる……」
女性の瞳から一粒の涙が落ちる。アルクスに促され、女性は一歩、踏み出した。
「歩ける……!」
わっと子どもたちが声を上げる中、女性は夫の胸へ飛び込んで行く。自由を取り戻した妻の体を抱き締め、夫は歓喜の涙を流し、イヴの手を取った。
「ありがとう、イヴ。ありがとう……!」
「ああ……あなたたちは本当に、この村の希望だわ!」
まだ膝を折ったままのイヴは、信じられないといった表情で自分の手を見つめる。
「本当に、私が……?」
イヴがアルクスを見上げる。アルクスは自分の中にある確信のもと、彼女に微笑みかけた。
「さあ、立て、イヴ。患者がお前を待っている」
「……はい……!」
頷いたイヴの表情には、確かな決意が表れていた。
ぜんまい仕掛けの傀儡王は復讐の時を待つ~転生魔王の魔王国再建記~ 加賀谷 依胡 @icokagaya
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