第2章 ルーメンの希望【1】

 ルーメンでの二日目も気持ちの良い快晴だった。アルクスとラプトールが村へ出ると、すでに民は活発に動き回っている。大人も子どもも、畑の手入れに勤しんでいた。

 ふたりの姿を認めた民が挨拶して来るのに応えながら、アルクスは畑を覗き込む。昨日とは打って変わって、畑は充分に潤っていた。

「この調子なら」ラプトールが言う。「畑はすぐに再生しそうですね」

「そうだな。これで民が飢えることはないだろう」

 昨日の農夫は、自分たちが食べる分は賄えている、と言っていた。それでも子どもたちの手足は痩せ細り、食糧が充分に足りているとは思えなかった。農村であるルーメンの民が飢えていたところを見ると、近辺の村でも同じように飢餓が発生していることだろう。ソル・フォルマ王国の抗争は末端の村にも影響を及ぼしている。世界王が放置できなくなった理由はよくわかった。

「王様、ラプトールさん。ごきげんよう」

 かけられた声に振り向くと、ウォーカーが歩み寄って来るところだった。

「やあ、ウォーカー。畑の調子はどうだ?」

「ご覧の通り、順調よ。畑に水が行き届くようになって、きっとすぐ復活するわ」

「そうか。それは何よりだ」

 民の表情は明るい。昨日の生気を失ったような顔色はなくなり、生き生きとした表情で畑の手入れをしていた。

「……ねえ、王様。失礼を承知で申し上げてもいいかしら」

「ん? 申してみよ」

「王様は見た目が完全に人形だから、少し怖がっている民がいるの」

「まあ不気味だろうな」

 傀儡スクリプトールの顔には目と口があるが、人間の風貌とは随分とかけ離れている。明るいうちはいいだろうが、夜の森で出会いでもすれば気の弱い民は悲鳴を上げることだろう。頭髪があればまだマシだったかもしれない。民が用意した衣類の中に帽子が入っていたのは、そういうことなのだろう。

「それで……余計なお世話かもしれないと思ったんだけど、これを用意したわ」

 そう言ってウォーカーが差し出したのは、目と口を閉ざした人間の顔に見える仮面だった。人間にしては血色が悪く、生気のまったく感じられない顔だ。

「これは?」

「村の技工士と一緒に作ったの。魔力を注ぐことでその人に合う外見になる仮面よ」

「ほう。となると、スクリプトールがどんな外見だったかがわかるわけか」

 ウォーカーに礼を言いつつ、アルクスは自分の顔に仮面を嵌める。魔力を注いだ瞬間、ぱちりと目が開いた。それと同時に、まぶたにかかる頭髪を感じる。肩の辺りをすくうと、浅葱色の髪が揺れていた。

「なるほど」と、ウォーカー。「アルバート王太子に似てるわ」

 アルバート王太子はソル・フォルマ王国の第一王子で、スクリプトールが兄と慕っていた男だ。水路を覗き込み、自分の顔を映す。アルバート王太子を少しだけ幼くしたような顔付きだ。アルバート王太子の弟だと言われても違和感のない風貌をしていた。

「王子に似せて、兄弟として扱っていたのだな」

「髪色には王様の魔力が反映されているのね。綺麗な浅葱色だわ」

 前髪は少し長く感じるが、肩の辺りで整った髪はつやのある浅葱色。アルバート王太子の弟にしては不自然な色と考えると、アルクスの魔力を表した色のようだった。

「おっ、王様⁉」

 驚いた声とともに、どたどたと騒がしい足音が聞こえる。興奮した様子で駆け寄って来るのはマークだった。

「そのお顔はどうなさったんですか⁉」

「ウォーカーが用意してくれたのだよ。どうだ、なかなか美少年だろう?」

「はい! 王様じゃなかったら好きになっちゃうところでした!」

 アルクスの新しい顔をつくづくと見つめるマークの言葉に、アルクスは肩を落とし、軽く目を伏せる。

「王様では好きになってもらえないのか?」

「あっ、そ、そういう意味では……!」

「まあ、王様」

 アルクスの悪戯心に慌てふためくマークの向こうから、イヴの穏やかな声が聞こえた。その後ろにホープとハンターの姿もある。

「随分とお可愛らしくなられましたね」

「美少年だろう?」

「はい、とても。アルバート王太子殿下に似ていらっしゃいますね」

「妹が怖がっていたからちょうどいい」ホープが言う。「人形づらは少し不気味だったからな」

 アルクスは髪に触れたあと、自分の手足を見下ろした。顔は人間に近い見た目を手に入れても、指や腕は丸い関節が目立つ人形の体をしている。袖や手袋で覆えば隠せるだろうが、アルクスは隠し事が嫌いだった。

「体もどうにかできるといいのだが……」

「そうね」ウォーカーが頷く。「何か方法がないか探してみるわ」

「頼むよ。私はいずれ、この国の頂点に立つ」

 その未来は決して遠くない。アルクスにはそれだけの自信があった。

「王に相応しい体を手に入れなければな」

「美少年がしちゃいけない顔してるぜ、王様」

「さすが元魔王」

 ホープは呆れ、ハンターは苦笑いを浮かべている。魔王の頃は意識したことがなかったが、仮面の顔は自然に動いているらしい。小さな農村の技工士が用意した物にしては良い出来のようだ。

「アッ、ああアルバート王太子殿下……⁉」

 焦りを湛えた声に振り向くと、村長のジーグが汗を飛ばしながら駆け寄って来る。この村で最もふくよかな男で、白髪混じりのひげが荒い呼吸で揺れていた。

「私だよ」

「ア、アルクス王……なのですか? どう見てもアルバート王太子殿下ですが……」

「間違いなくアルクス王だ」

 確信をはらんだ声で言うホープに、ジーグはひたいの汗を拭いながら首を傾げる。

「お前たちにはわかるのか?」

「ええ。アタシたちは魔力回路が繋がっているから」

「随分とお変わりになられましたな……」

 先ほどまでのアルクスの顔は、頭髪すらない人形だった。現在は目立つ浅葱色の髪と、アルバート王太子に似た顔を持っている。その差異は他の民も困惑させることだろう。いずれ慣れるだろうが、ジーグ同様、初めは慌てふためくかもしれない。そうであっても、アルクスにとっては何も問題はなかった。自分が傀儡王であることに間違いはないからだ。

「何か用か?」

「あ、いえ……我らが王にご挨拶を、と思いまして」

「ほう、感心だ。人間はみな、無礼だと思っていた」

 魔王だった頃、人間はすべからく無礼であった。人間にとって、魔王は討伐対象だったためである。そんな人間たちが辿った末路はみな、同じ。勇者を名乗る若者たちを除いては。

「畑の調子はどうだ?」

「一晩で水は行き渡りました。まだ時間はかかりますが、遠くなく復活するでしょう」

 ルーメンの畑は広い。もともと農村として成り立ってきた村で、ソル・フォルマ王国が侵略を始めるより以前は村の外に作物を卸していたらしい。それが、自分たちの食事を確保することも難しくなりつつあった。アルクスとしては世界王を支持することはできないが、ダフニス王の政策が民にとって損失となっていたことは確かだ。

「それにしても、ホープがこんな能力を持っているとは……」

 ジーグはひたいの汗を拭きながら、つくづくとホープを見遣る。ホープのことは子どもの頃から見てきたが、昨日までこの能力のことは知らなかったのだ。

「この者たちは魔法が使えると言っても、王都の子どもより弱い力でしたから……」

「訓練しなかったから、魔力回路が開放されていなかったのだよ」

「ウォーカーは王都の研究室に所属していたことがあるけど……」

 不思議そうに言うハンターに、ウォーカーは軽く肩をすくめる。

「アタシは研究をしていただけで、魔法の訓練はしていないわ」

「なんの研究をしていたんだ?」

 その問いかけにウォーカーが目を伏せるので、アルクスは首を傾げて先を促した。

「この村には、昔から存在する病があるの。その治療法を研究していたのよ」

「ほう。その病というのは?」

「命に係わるような病気ではないけれど、体に斑点が現れて、次第に手足が動かなくなっていくの。最後は、寝たきりね」

「国の医療班が来てくれていた頃に検査が行われましたが」と、イヴ。「原因はわかりませんでした」

「なるほどな」

 そうしているうちにソル・フォルマ王国は小国への侵攻を始め、国の支援は届かなくなったのだろう。国の支援がなくては、この小さな村に病を解明するだけの技術はない。この村を救う方法はなかっただろう。

「それなら、イヴ。お前の出番だ」

 不敵に微笑んで見せるアルクスに、イヴはきょとんと首を傾げる。

「お前の能力は『治癒』だ。いまでも風邪くらいなら治せるはずだぞ」

「はい……それは自覚していました。私が看病に行くと、翌日には治っていましたから。ですが、肝心の病は治せませんでした」

 イヴの表情には、悔しさと罪悪感の色が浮かんでいる。風邪を治せても、民を苦しめる病から村を解放することができなかった。何もできずに看取るしかなかった民もいることだろう。それに対する自責の念を懐いているのだ。だが、いまのままではイヴは充分な力を発揮しない。

「私がその力を開放してやろう」

「民の病気を治せるんですか?」

 マークが身を乗り出す。病に苦しむ民を解放してやりたいと思っていたのはイヴだけではないはずだ。

「間違いなく治るだろうな」

「私はどうしたらよろしいのですか?」

「まずは私の体を病気にする。それを治癒してみよ」

「体を病気に……?」

 ハンターが怪訝に首を傾げる。アルクスは自信を湛えて自分の胸を叩いた。

「自分に呪いをかけ、病気に罹った状態を作り出すのだよ」

「そんなことしたら、王様の身が……!」

 声を上げるマークに、アルクスはまた不敵に微笑んで見せる。

「私を誰だと思っているんだ。安心しろ。このラプトールも経験済みだ」

 アルクスが手の平で差すと、五人の視線が一斉にラプトールに集まった。ラプトールは苦々しい表情で目を伏せる。

「あれは本当に死ぬかと思いました……」

「だが見事、自分で解いたではないか」

「自分の部下を呪うってどういう状況なんだよ」

 ホープは少し呆れたような表情でアルクスを見遣った。アルクスはあっけらかんと笑って見せる。

「腹が立ったのでな」

「それだけの理由で……」ハンターが呟く。「怖い……」

「まあとにかく、私を病気の状態にするぞ」

 アルクスは胸に手を当て、魔法を発動する。小さな風が体を撫でた瞬間、肩に何かがし掛かるように重くなった。アルクスが視線を遣ると、ラプトールはアルクスを鑑定して能力値盤ステータスボードを出す。表示された文字に満足し、イヴに能力値盤ステータスボードを差し出す。アルクスの能力値盤ステータスボードには「呪詛」の文字があった。

「これで病気と同じ状態になった。さあ、私の手に触れてみろ」

 イヴは恐る恐るアルクスの手を取る。温かい手が人形の小さな手を包み込んだ瞬間、イヴは眉をひそめた。

「なんて重苦しい呪い……これで平然としていられるなんて……」

 アルクスは小さく笑い、イヴの右手を包むように手を重ねる。

「意識を集中しろ。病原体の核を想像するんだ」

 イヴはゆっくりと目を閉じる。温かい魔力が流れ込んで来るのを感じながら、アルクスはただ微笑んでいた。

「そうだ。その核を解きほぐすんだ」

 イヴの手のひらから光が溢れ、それは穏やかな風になりアルクスを包み込む。魔力の波はアルクスの中の呪いに触れ、静かに浚っていく。風が辺りに散ると、アルクスの肩に圧し掛かっていた重苦しいものが解き放たれていった。

「もういいぞ」

 イヴに声をかけ、アルクスはラプトールを振り向く。ラプトールが出した新しい能力値盤ステータスボードを見ると、アルクスは満足して頷いた。先ほどまで表示されていた「呪詛」の文字は綺麗に消えていた。

「本当に、できたんですか……?」

「お前の魔力は心地良いな」

 イヴはまだ信じきれない表情をしている。また別の実例を与える必要があるだろう。

「さあ、患者のもとに案内してくれ」

 アルクスの言葉で、ホープに四人の視線が集まった。ホープは苦々しく顔をしかめる。

「お前の妹か」

「ああ。だが、本当に大丈夫なのか? イヴを疑うわけじゃないが……」

「私の力はお前自身が経験しているはずだ」

 ホープは「再生」の力を生まれ持っていた。イヴの「治癒」も同じだ。ホープの能力はアルクスが開放したことにより畑を再生している。それがアルクスの力の証明だ。

 ホープは少しのあいだ、考え込んで口をつぐむ。それから、意を決したように顔を上げた。

「わかった。あんたとイヴを信用するよ。妹は畑仕事の手伝いをしてるはずだ」

 ホープが先を歩き出す。イヴの能力は間違いなくホープの妹を救える。アルクスにはその確信があった。




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