第1章 傀儡王の目覚め【2】

 畑のそばに集められた五人の若者たちは、アルクスに不審の視線を向けていた。その表情に好奇心はなく、こうして集められたことで戸惑っているようだった。彼らにとって傀儡は異質な存在である。しかし、アルクスにとって特に気に留める必要はなかった。

「まずは名前を教えてくれ」

 若者たちは困惑した様子で顔を見合わせる。最初に口を開いたのは、短く整った明るい茶髪の青年だった。

「あんたは村の外から来た人形だろ。何をしようとしているんだ?」

「私は名前を訊いている」

 不敵に言うアルクスに、青年は少し怯んだ様子で口を閉ざす。それから、小さく舌を打った。

「……ホープだ」

 それに続いて背の高い金髪の男性が口を開く。

「ウォーカーよ」

「イヴと申します」

 長い青みがかった黒髪の女性が丁寧に辞儀をするのに続いて、短い茶髪の少女が手を挙げた。

「マークちゃんです!」

「僕はハンターです」

 最も背の低い少年が応えると、アルクスは満足して頷く。五人はこの村の民の中でも綺麗な身形みなりをしていた。服装は粗末であることに変わりはないが、先ほどの子どもたちと比べて健康的な手足をしている。この村の中で貴重な働き手たちなのだろう。

 ぐるりと五人を見回し、アルクスはラプトールを振り向いた。

「彼らの能力値盤ステータスボードを出してくれ」

 ラプトールが軽く手をかざすのに合わせ、五人が自分の体を見遣る。「鑑定」の感覚に驚いているのだろう。それも一瞬のことで、ラプトールの手には五人の能力値を書き出した板が現れた。順番に能力値盤ステータスボードを眺めると、ふむ、とアルクスは頷いた。

「ホープ、お前の名はお前に相応しいようだ」

 眉をひそめるホープに小さく笑いつつ、アルクスは手にしていた五枚の板を消す。

「お前の力があれば村は蘇る」

 ホープは目を丸くするので、アルクスはまたくすりと笑った。他の四人の視線が集まる中、ホープは怪訝な表情になりつつ興味を惹かれているようだった。

「どういうことだ?」

「お前の能力は『再生』だ。まずは畑を耕すところから始めよう」

「再生……。俺はどうすればいいんだ?」

 ホープは身を乗り出し、他の四人は期待に満ちた視線をアルクスに向ける。アルクスにとって懐かしい光景だった。

「お前たちの力を開放するためには、条件がある」

「条件……?」

「私との契約だよ」

 五人は困惑した様子で顔を見合わせる。いまのアルクスは、彼らにとってはただの人形でしかない。仰々しい鎧を身に纏った騎士のラプトールがこの言葉を口にすれば、彼らの印象はまた変わっただろう。だが、主はアルクスである。

「魔力回路を繋ぐ契り……従属契約。私の能力値をお前たちに分けてやることができる」

 五人はまだ状況を把握できていない表情をしている。アルクスの言葉の意味を理解できず、口を開くことができないようだ。

「お前たちの魔力は都市の子どもより低い。私との契約で能力値を伸ばしてやる」

「どうして人形にそんなことができるんだ? あんたは何者なんだ」

 怪訝に問うホープに、他の四人の表情も追随している。人形の顔でどれだけ再現できているかはわからないが、アルクスは不敵に微笑んで見せた。

「我が名はエヴム・イモータリス」

 その言葉にウォーカーがハッと息を呑むので、アルクスはまた小さく笑う。

「そんなまさか……!」

「知ってるのか?」

 ホープが驚いた表情でウォーカーを振り向いた。ええ、と重く頷くウォーカーは、恐れをはらんだ表情をしている。

「王都の研究室にいた頃に聞いたことがあるわ。世界史に名を刻むほど……そうね、天災級とも言える……厄災と称された魔王よ」

「ほう、よく知っている。賢い者は好きだ」

 五人の視線がアルクスに集まる。その表情は不審に満ちていた。

 恐る恐る口を開くのはイヴだった。

「それが、なぜ人形に……?」

「そうだな。何事にも説明は必要だ」

 アルクスは、畑のそばに設置されていた箱に腰を下ろす。足を組めば、多少なりとも魔王らしさを演出できるだろう。

「まず事の始まりは、世界王がソル・フォルマ王国国王ダフニスの暗殺を予定調和としたことだ」

「そんな……!」マークが声を上げる。「世界王は、この国を滅ぼすおつもりなんですか……⁉」

「いや、せいぜい代替わりだろう。確かに、ダフニス王の行いは褒められたものではない」

 ダフニス王の指揮のもと、ソル・フォルマ王国はミセル大陸の支配を目論んでいた。力を持たない小国への侵攻が、各地で負の精根を生み出している。世界王は、そんなダフニス王を野放しにしておくことができなくなったのだ。

「だが、王室はこの小さな傀儡を隠し、王の身代わりとした。ダフニス王の暗殺は失敗に終わったのだよ」

「世界王の予定調和が、崩されたということ……?」

 ウォーカーが信じられないものを見るように問いかける。アルクスは軽く肩をすくめて見せた。

「その通り。この小さな傀儡……スクリプトールの存在が、この世界に僅かな確変をもたらした。それがこのエヴム・イモータリスの魂を呼び、私はこの傀儡に宿ったのだよ」

「それなら」と、ハンター。「いまはただの傀儡なのでは……」

「スクリプトールはただの傀儡ではない。この世界の予定調和を崩し、世界に確変をもたらした。その確変がスクリプトールを『王の器』に進化させた。その進化が私を呼び、スクリプトールは傀儡の王となったのだよ」

 五人はまるで夢物語を読み聞かせられているような表情をしている。アルクスの言葉をいまだ理解できず、信じられずにいるのだ。

「ウォーカーくん。お前は鑑定ができるな?」

「え、ええ……」

「私の能力値を鑑定してもらって構わない」

 アルクスが差し出した左手に、ウォーカーは恐る恐るといった様子で触れる。本来、魔法による鑑定は対象に触れなければならず、ラプトールのように触れずに鑑定をすることは、魔王の眷属でなければ不可能である。この五人には到底、できないことだ。

 ウォーカーの魔力がアルクスの魔力回路を撫でる。その途端、ウォーカーは弾かれたように手を離した。

「なんてこと……こんな、化け物みたいな数値……!」

 アルクスはいまだ、魔王だった頃の能力値をほんの僅かにしか取り戻せていない。それでも、人間の彼らからすれば、ウォーカーの言う通り化け物のような数値だろう。天災級または厄災と称された魔王には、そう呼ばれるだけの理由があるのだ。

「……わかった」ウォーカーが重々しく頷く。「アタシは傀儡の王に従うわ」

「信じるのか⁉」

「ダフニス王なんかより、ずっと信用できるわ」

 目を丸くするホープに対し、ウォーカーは確信をはらんだ表情で言う。その気迫に、ホープは少し気圧されているようだった。

「この村に国の支援が届かなくなって久しいわ。このままでは村は滅びるだけ……。例えこの王様が偽物だったとしても、ただ民が飢えて死ぬよりマシよ」

「……そうね」イヴが穏やかに言う。「この村を救ってくださるなら、私も傀儡王に従いましょう」

「マークちゃんもそれがいいと思います。この村のためになるなら……」

「ホープ、意地を張ってもしょうがない」と、ハンター。「僕は傀儡王に賭ける」

 四人とアルクス、ラプトールの視線が集まると、ホープは重い溜め息を落とす。

「わかったよ。この村の民を救ってくれるなら、俺もあんたに従う」

「約束しよう。この村を、私の国の最初の都市とする」

 アルクスが不敵に微笑んで立ち上がると、それに応えるようにウォーカーが跪く。他の四人もそれに倣って跪き、深く頭を下げた。

「お前たちの魂、このエヴム・イモータリスが預かる。魔力回路を捧げろ。命尽きるその時まで」

「王の御心のままに」

 五人が声を揃えた瞬間、冷たい風が辺りに吹き荒れる。それは好奇心と期待をはらんだ瞳で見つめていた民たちのあいだを抜け、旋風つむじかぜとなって五人の体を撫でた。驚く五人を光が包み、その瞬間、アルクスとの契りが生じた。

「これで契約完了だ」

 アルクスの合図に合わせ、五人は立ち上がる。その瞳には決意が表れていた。

「さあ、ホープ。始めようか」

「ああ」

「まずは水源だ。案内してくれ」

 ホープが先を歩き出す。それに四人が続き、アルクスとラプトールがあとを追うと、村民たちもそれに付いて来た。これまでのアルクスの話に真剣に耳を傾け、王の能力に期待しているのだ。アルクスには、それに応えるだけの自信があった。

 五人が案内したのは、朽ち果てた泉だった。ほんの少しだけ水が流れており、この僅かな水源が畑を湿しめらせていたのだ。

「見事に枯れているな」

「この泉は、テトリ山から繋がる地脈を伝って流れて来ているのだけれど」ウォーカーが言う。「川からの流れが何かしらによって遮られているのだと思うわ」

「ふむ……。では、まず畑の用意からだ」

「畑の用意……ですか?」イヴが首を傾げる。「何をなさるのですか?」

「ホープの力を使えばこの泉は蘇り、水が畑に流れ込むようになる。そのために畑を整えておくのだよ」

 五人が顔を見合わせる。泉は完全に枯れ果てており、この水源から水が畑に流れ込むことを想像できないのだ。

「本当にそんなことができるのか?」

「ホープくん、私の名前を言ってごらん?」

 不敵に微笑みながら言うアルクスに、ホープは困ったように口ごもる。アルクスは重い溜め息を落とした。

「呆れた。覚えなかったのか。まあいい。村の者に伝えて来い」

 五人はいまだ信じきれない様子だったが、静観していた民にそれぞれアルクスの言葉を伝えに行く。村民たちも顔を見合わせつつ、畑へと向かって行った。この村の畑は干上がっている。ほとんど実りのない畑に一度に水が流れ込めば、苗が耐えきれない可能性がある。民には丁寧に整えてもらう必要があった。

 小さな子どもたちも手伝って、民は懸命に畑の手入れをする。その様子を眺めながら、懐かしい、とアルクスはそんな気分になっていた。この光景を、かつての魔王も眺めていた。

「そういえば、あんたは何者なんだ?」

 ホープが不思議そうにラプトールを見上げる。ラプトールはこれまで、一言も発さずにアルクスに追従していた。

「私は魔王陛下の側近だった者だよ」

「確か騎士団長だったか」

「いまとなっては意味のない肩書です」

 騎士団長であっても、いまは小さな傀儡の側近だ。また新たな肩書を得ることだろう。

「恐ろしいことだけど……」ウォーカーが言う。「この国を滅ぼすのは、簡単なことなのでしょう?」

「いまは無理だろうな」アルクスは言う。「この体に宿ったことで、能力値が制限されている」

「あの数値で……。さすが天災級ね」

 現在のアルクスの能力値でも、ただの人間である彼らが得るには一生を懸けてもできるかどうか怪しい数値である。アルクスの魂の素養として、この傀儡の体は最低値の能力を引き継いだ。それでも、彼らにとっては化け物のような数値であることは確かだった。

「でも、魔王は死んだんですよね」ハンターが言う。「やっぱり、勇者に討伐されたんですか?」

「どうだろうな。どう思う?」

「え、えっと……こうして転生してるってことは、やっぱり何かしらで死んだんじゃないんですか?」

 しどろもどろになるハンターに、アルクスはくすりと笑う。

「実に良い生だった。好きなだけ暴れた。最後は愛する民を守れた」

「私は納得がいっていません。あんな小童こわっぱにわざと負けるなんて……」

 ラプトールが低い声で言うので、アルクスはまた小さく笑った。側近であった彼は、厄災魔王エヴム・イモータリスの最期を見届けている。

「よいではないか。我が民は、二度と人間の手の届かぬところへ行った。民を守ってこその王ではないかね」

「王様の鑑ね」ウォーカーが微笑む。「きっと良い王様だったのでしょうね」

「さあ、どうだろうな」

「王様!」

 子どもたちが小さな足で懸命に駆け寄って来る。その表情は明るかった。

「準備ができたよ!」

「よし。では、こちらも始めよう」

 アルクスは手を叩く。傀儡の手では良い音は鳴らなかったが、五人は力強く頷いて応えた。彼らは、ルーメンの始まりの五人となる。その覚悟は充分に決まっていた。



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