第1章 傀儡王の目覚め【1】

 キリキリキリ、とか細い音が響く。長い眠りから覚めたような気分で顔を上げると、暗い洞窟の中に座り込んでいた。軽く手を握り締める。丸い関節の目立つ傀儡の指が弱々しく動いた。

「お目覚めですか、王よ」

 穏やかな男性の声に振り向く。首無しの騎士が彼を覗き込んでいた。仰々しい鎧がガシャンと鳴る。

「お前は?」

「いまは名もなき騎士ですよ」

「ふむ……」

 膝に手をついて立ち上がると、傀儡の体は思いのほか軽かった。粗末な服を着せられた体は魔力回路の存在を感じる。ただの傀儡でないことは確かだが、いまはただの傀儡だった。

「精巧に造られた体だ。いまはすっからかんだが……」

「魔力を補充すれば、これまで通りに魔法もスキルも使えるはずです」

「素晴らしい。鍛錬が無駄にならずに済んで何よりだ」

 関節の動きはぎこちない。ぜんまいの切れた体は手入れが施されず、完全に油が切れている。魔力を補充できれば問題はないだろう。

「小さく哀れな傀儡王よ。この厄災の魔王にすべて任せるといい」

 胸に手を当てて言い聞かせると、まるでそこに心臓があるかのように返事があった。弱々しく微かな鼓動だが、それだけで充分だ。

「さて、まずは……ここはどこだ?」

「ソル・フォルマ王国の南端、ルーメンという小さな村のさらに端の洞窟です」

「ふむ……」

 首無しの騎士を見上げる。鎧の兜だけが存在しない。首無しの騎士だからだ。

「お前は私の味方か?」

「私ですよ。お忘れですか?」

「その声は……。いや、名はなんだったか……」

「いまは名もなき騎士ですよ」

「ふむ……」

 顎に手を当ててみると、指先も顎も硬い。この違和感にはいずれ慣れるだろうが、騎士の首がない違和感には慣れる気がしなかった。

「この小さき傀儡王の名はスクリプトールだったな」

「その通りです」

「では、お前に加護をやろう。お前の名は“ラプトール”だ」

 首無しの騎士が微かな光に包まれる。まるで再構築されるように、鎧から兜が形成された。兜が完全な姿を取り戻すと、騎士はサッと兜を外す。その下から覗いた顔は、中分の茶髪の若い男性だった。彼にはその顔に見覚えがあった。

「おお、お前か! えっと……名はなんだったか」

「以前の名はもう必要ありません」

「それもそうだ。では私は……そうだな、“アルクス”とでも名乗っておこう。稀代の魔王も、小さき傀儡からやり直しだ」

 いまは王とは思えないぼろ切れを纏っているが、整えれば見た目だけはまともになるだろう。スクリプトールは顔面も傀儡然としている。これで人間の中に紛れていたのだから、何かそのための方法があるらしい。それを再現することは、いまのアルクスには無理なことのようだった。

「さて、状況を整理しよう。いまは何年だ」

「雨の星・プルヴィア暦、三五八年、秋雨の月です」

「なんだか複雑だな。スクリプトールがここにいるということは、予定通り、国王の暗殺が行われたのだな」

「一週間ほど前のことです。傀儡の存在は秘匿されていたようですね」

「世界の予定調和を崩した傀儡……。おかげで私が来られたわけだが」

 この名もなき小さな世界は、外側からは「世界樹の庭」と呼ばれている。すべての生命の源ある物質「マナ」をすべての大地に供給するマナの大木「世界樹」が存在しているからだ。

 この「世界樹の庭」は残酷な世界だ。すべて世界王の采配で物事が決まる。それが「予定調和」として世界に刻まれ、世界樹の庭はその通りに動く。ソル・フォルマ王国国王が暗殺されることも、世界王の決めたことだった。

 しかし、ソル・フォルマ王国は影武者となる傀儡スクリプトールを隠し持っていた。この小さな傀儡が、世界の予定調和を崩したのだ。

「世界王は今頃、予定通りに戻すために必死になっていることだろうな」

「ソル・フォルマ王国は世界王の予定調和を予見していたということですね」

「そういうことになるだろうな。私と同じような能力を持つ者がいたのだろう」

 肩をすくめるアルクスを、ラプトールはつくづくと見つめる。

「厄災の魔王……。天災とまで言われていましたね」

「それが勇者に討伐されてこの様だ」

 この傀儡の姿からは、天災と称された厄災の魔王の魂を有していることは想像もつかないだろう。スクリプトールはあまりに小さい。ラプトールは見上げなければならなかった。

「世界王が予定調和を取り戻すまで時間がかかるはず。この小さな傀儡の王の望みを叶える時間は充分にあるな。申し訳ないが、ソル・フォルマ王国には私の腹癒せに付き合ってもらおう」

「お供いたします。我が魔王陛下」

 恭しく辞儀をするラプトールに頷き、ところで、とアルクスはラプトールの手を指差す。

「その鍵はどこから見つけたんだ?」

 先ほど、この体の背中の穴に差し込まれたのは、スクリプトールのぜんまいを巻くための鍵だった。これがなければこの傀儡は動くことができない。

「スクリプトールの記憶によれば、その鍵は捨てられたのではなかったか」

「これは鍵穴から逆算して生成しました」

「なるほどな。簡単なことだ」

「その体は十八時間でぜんまいが切れるようですね。寝ているあいだにぜんまいを巻けば、傀儡であることに気付かなかったかもしれません」

「ふむ。では私の動きが止まらぬよう管理してくれ」

「承知いたしました」

「魔力を補充できれば、ぜんまいは全自動にできるだろう」

 スクリプトールの記憶によれば、彼は王室の一員として育ったらしい。自分がダフニス王の影武者となる傀儡だと知らなかった彼の気持ちは察するに余りある。ダフニス王を父だと慕っていた。家族だと思っていた。スクリプトールは裏切られたのである。スクリプトールの体にはまだ記憶が残っている。その絶望は海よりも深い。アルクスには、スクリプトールの願望を叶える責任があった。

「さて、ラプトールよ。私の能力値盤ステータスボードを出してくれ」

 頷いたラプトールが手を宙にかざす。パッと現れた板は、アルクスの能力値を映し出している。能力値を鑑定し書き出したものだ。

「ふむ……。勇者に討伐されたことで、能力値がほとんど封印されているな」

「本来の魔王陛下の十分のいち以下になっていますね」

「まずは魔力の補充か。補充を続ければ能力値を引き出すことができるはずだ」

「それなら問題ありません。この洞窟にはマールム晶石しょうせきがあります。幸い、その体はマナを取り込めるようです」

「素晴らしい。マナを吸収すれば能力値を戻すのは早い」

 洞窟内を見回すと、土から突出した赤い鉱石がラプトールの光の魔法に照らされて煌めいている。マナの塊である「マールム晶石しょうせき」だ。空気に触れてもマナが発散するようなことはなく、最も純度の高いマナの鉱石とされている。

 手に力を込めると、マールム晶石は簡単に折ることができた。口に放り込み噛み砕けば、マナが体に吸収されるのがよくわかる。

「ふむ、無味だ」

「傀儡に味覚はありませんよ」

「おっと、そうだった」

 鉱石を噛み砕く感触が頭に激しく響く。特にそれを不快に思うことはなかった。

「マールム晶石を噛み砕くとは……」ラプトールが言う。「マールム晶石は石より硬いのに」

「この体はただの傀儡とは思えないほど頑丈だ。時間稼ぎのためだろう」

「王室が用意した物ですから、簡単にやられるわけにはいかないですからね」

「能力値を取り戻せれば最強の傀儡になれるだろうな」

 厄災の魔王は天災と称されるだけあって、魔族の中でも最上級の能力値を有していた。この傀儡の体でどれほど再現できるかはわからないが、国ひとつ滅ぼすのはそう難しいことではなくなるだろう。

「まずはソル・フォルマ王国を滅ぼし、傀儡王の願いを叶えるところからだ。この国を我が国とさせてもらうとしよう」

「民はどうなさいますか?」

「私に服従するなら我が民とする。逆らうなら処分するまでだ」

「それでこそ魔王陛下です」

 王は民を愛する。民のみを愛する存在。民のために在る者である。アルクスとしては、何がなんでも民を増やしたいわけではない。王と仰ぐ者なら歓迎するが、そうでなければ、アルクスの国には居場所はない。そういった民がどうなるか、それは王の知るところではない。

 最後のマールム晶石を飲み込むと、アルクスは能力値盤ステータスボードに目を走らせる。

「ふむ……いま引き上げられるのはこれが限界か」

 同じように能力値盤ステータスボードを見たラプトールは、満足げに頷いた。

「いまはこれでいい。少しずつ取り戻して、この国の滅亡を楽しもうじゃないか」

 まずはこの小さな村ルーメンの掌握から、とアルクスは洞窟の出口を目指す。洞窟の外は眩いほど太陽に照らされ、爽やかな風が肌を撫でた。スクリプトールの知識によれば、ミセル大陸は気候が安定した土地であるらしい。雲ひとつない青空が、傀儡王の誕生を祝しているようだった。

 アルクスが伸びをしていると、彼に駆け寄る者があった。数人の子どもで、好奇心に満ちた瞳でアルクスを見つめている。

「この子らは?」

「ここまで案内してくれた村の子どもたちです」

「そうか。褒めてつかわそう」

 子どもたちは手足が痩せ細り、粗末な服を身に纏っている。髪もまともに手入れをされていない様子だ。ルーメンが豊かな村でないことは一目瞭然だった。

「私はアルクス。いまは傀儡王だ」

「王様なの?」

「そうだとも」

 子どもたちの輝く瞳は、アルクスに対する期待が込められている。子どもたちの求めているものは、アルクスにはすぐにわかった。

「村を案内してくれ。ここを私の最初の拠点とする」

「わかった!」

「付いて来て!」

 子どもたちは純粋で、アルクスの存在を疑うことはないらしい。この傀儡の体と村に似つかわしくない仰々しい鎧を纏った騎士に対し、警戒する様子もない。アルクスに対する好奇心と期待のほうがまさっているようだ。

 子どもたちの案内で村へ出ると、そこはアルクスが思っていた以上に荒れた村だった。家々は崩れそうなほど痛み、村の大半を占める畑は枯れている。ところどころに育った作物が見えるが、とても市場に出せるような仕上がりではなかった。

「貧相な村だ」

「ここはソル・フォルマ王国の端」ラプトールが言う。「国の支援が届かない場所です」

「ふむ。この国には期待できないようだ」

 畑を覗き込む。土の表面が割れており、水分としては湿しめっているだけの状態だった。実っている作物も、充分に育っているとは言えない。食料にはなるだろうが、栄養が望めるかと言うと怪しいところだ。

「畑もほとんど死んでいるようなものだな」

「この土地には栄養がないからね」

 畑のそばに腰を下ろす農夫が言った。農夫によって手入れが施されているとは思えないほど畑は枯れていた。

「水流も滞っているんだ。自分たちが食べる分は賄えているけどね」

「ふむ……」

 アルクスは村をぐるりと見回す。アルクスに興味を惹かれているのは子どもたちだけではないらしい。他の農夫も手を止め、または家の中から覗く者もある。この村に対し、アルクスの存在は異様だった。だがアルクスには、自分ならその好奇心に応えることができるという確信があった。

「この村に魔法を使える者はいるか」

「何人かいるよ」

「集めてくれ」

 不敵な笑みを浮かべて言うアルクスに、農夫は不思議そうに首を傾げる。

「まずは村の立て直しからだ。私の国に相応しい村にしてやろう」

 そのために必要な最初の行動。アルクスの脳内には、すでに完璧な設計が出来上がっていた。




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