醜き老婆は傾国の魔女

胡蝶乃夢

~嫌われ者の魔女令嬢は悪役を溺愛する~

「お前のような老婆と結婚させられるなんて、死んでもごめんだ! 今すぐに婚約を破棄してやる!!」


 テーブルを叩きつけ、わたくしの婚約者である王子が叫んだ。

 婚約者と親睦を深めるために設けられた、月に一度のお茶会の席でのこと。

 膝の上の愛猫あいびょうを撫でていたわたくしは、突然の言葉に驚いて口元に手を当てる。


「あらまあ。死んでもだなんて、そんなことを軽々しく口にしてはいけませんわ。唐突にどうされたのです?」


 わたくしを睨みつけ、王子は青筋を立てて喚く。


「ならば、代わりに死んでくれ! わたしのような見目麗しい王子が、何故にお前みたいな醜い老婆と結婚させられねばならんのだ。耐え難い屈辱だ!!」

「そうは言われましても、王命ですから仕方がありませんわ。わたくしが望んだことではございませんし……」


 わたくしの容姿は婚約者として課せられた責務のせいで、しわだらけの醜い姿になってしまっていた。

 実年齢は王子よりも若いというのに、初対面から老婆呼ばわり。屈辱的なのはこちらの方なのだけど。

 見苦しい顔を見せるなと命令され、いつも黒いベールで隠していたけど、それだけでは気が済まないらしい。

 人の話を聞かず、興味のないことは覚えられない頭の出来なのに、主張ばかりは一丁前にする、王子にはうんざりしてしまう。


 わたくしが溜息をつくと、愛猫がスリスリと擦り寄るので、可愛い仕草に癒される。


「大体、いつも全身黒ずくめの恰好とはどういった了見だ。お前が社交界でなんと呼ばれているか、知っているか? 人が忌み嫌うものを拾っては愛好する、不気味な魔女令嬢だ!」

「あらまあ。王命で大量の薬液を調合する必要がありまして、薬液が飛び散っても目立たない黒いドレスは重宝しておりますのに……仕事に追われ、その都度着替える余裕もないものですから、どうかご容赦くださいませ」


 王命だと返答すれば、王子は苦虫を噛み潰したような顔をする。


「ぐっ……王は魔女に惑わされているのだ! お前はこの麗しいわたしを手に入れるため、裏で糸を引いていたのだろうが、国のためとはいえ、生贄同然に差し出されるなどまっぴらだ! 狡猾こうかつな魔女の思い通りになどさせんぞ!」

「あらまあ。仕事に追われて休む暇もないわたしくしには、到底無理な話なのですが……殿下は確かに美形ですけど、まったくもって好みではありませんし、そんなことをするメリットがわたくしにはありませんわ」


 率直に事実を述べると、王子は顔を真っ赤にして喚く。


「黙れ! 魔女の言葉など信用できるか! わたしは真に愛する人を見つけたのだ! 見てみろ、醜い老婆とは違う、彼女こそがこの国の救世主となる美しき聖女だ!!」


 王子が立ち上がり手を差し出すと、いつの間にか側にいた令嬢が姿を現す。

 美しい令嬢は王子に寄り添い、わたくしを横目で見てほくそ笑む。

 性格の悪そうな笑みを浮かべる、似た者同士の美男美女。


 来年、わたくしが成人を迎えたすぐ後に結婚する予定となっていたので、そうなる前に好みの美女を見つけてきたのだろう。

 清貧であるべき聖女とは思えない、豪奢なドレスや派手な宝飾品からは、王子が相当に貢いでいることが覗えた。

 見境のない王子のことなので、豪華な宝石の数々を見るに、国税にまで手を付けているだろうと憶測される。


「教会に認められた美しき聖女だ。彼女の聖なる力があれば、魔女の力に頼らずともこの国は安泰! お前などもう用済みということだ!」

「ふふん。女神に寵愛される美しいあたくしがいれば、この国は女神から祝福され、民に幸福がもたらされるのです。卑しい魔女にこうべを垂れる必要はありませんわ」

「あらまあ……」


 無茶苦茶な言い分に唖然とし、開いた口が塞がらない。

 王子は勝ち誇った顔でわたくしを見下ろし、更に息巻く。


「王の病が治らんのも、すべては邪悪な魔女の仕業だと、わたしはわかっているのだ! 即刻、国外追放にしてやる! 近衛騎士、ただちに魔女を引っ捕らえよ!」


 王子に命じられ、控えていた近衛騎士たちが迫ってくる。

 席を立ち、どうしたものかと考えていると、足元から黒い影が飛び出す。


 それは一瞬のこと――黒い影が辺りを駆け抜ければ、近衛騎士たちがバタバタと倒れていく。


「な、なんだっ!?」


 予想外の事態に王子が驚愕の声を上げた。

 そして、黒い影はわたくしを守るように、斜め前に立ち止まる。


 真っ黒な長い尻尾を優雅になびかせ、三角のお耳をそばだてる姿は凛々しくも愛らしい。

 そこに現れたのは、華麗に燕尾えんび服を着こなした、わたくしの専属執事。

 猫の獣人にして、わたくしの愛猫。


 彼は鋭い猫目で近衛騎士たちを見下ろし、痺れてしまいそうな低い美声で威嚇いかくする。


「お嬢さまに汚らわしい手で触れないでいただけますか? 腹立たしすぎて手加減を忘れ、うっかり殺してしまいそうです……グルルルル」

「「「ひぃっ!」」」


 倒れ伏した近衛騎士たちは、尋常ではない殺気に恐れおののき、後ずさっていく。


「何をしているんだ、近衛騎士! 早く取り押さえろ!」


 わたくしを指差して王子が怒鳴っても、近衛騎士たちは腰を抜かして話にならない。


「こ、こんな化け物相手に無理ですよ、殿下」

「人間業じゃありません。人の敵う相手とは思えません」

「まったく見えませんでした。無駄死にするのは嫌ですよ」

「ええいっ、どいつもこいつも役立たずのぼんくらがっ!」


 近衛騎士は王族を守るために編成された騎士団のはずなのに、そんなことで大丈夫なのかと心配になってしまう。

 でも、うちの黒猫ちゃんが優秀すぎるので、仕方ないのかもしれない。


「お嬢さまがお望みとあらば、いかようにでもこの愚鈍な者たちを調理して差し上げますが、いかがいたしましょう?」

「あらまあ。黒猫ちゃんの手作り料理は美味しいのだけど、毛並みが乱れて粉まみれになるのも、美味しそうな匂いがついてしまうのもいただけませんわ。撫でているだけで、お菓子の匂いがしたら、お腹が空いてしまいますもの」

「ハッ……確かにそうですね。お嬢さまの指先を楽しませるためにあるこの身、常に最高のコンディションを維持しておかねばならなかったのに! わたくし、一生の不覚です……次は完全防塵対策して、お菓子作りに取り掛かりますね」


 黒猫ちゃんはわたくしの前に跪き、期待の眼差しで見上げて甘く囁く。


「それと、いつでも撫でてくださいませ、お嬢さま」

「うふふ。わたくしの可愛い黒猫ちゃんはいい子ですね。よしよし、なでなで」

「あっ、お嬢さま、そんな大胆に触られては……もっと撫でてください。ゴロゴロゴロゴロ――」


 手触りの良い黒髪を優しく撫でてあげると、身悶えて嬉しそうに喉を鳴らす。

 可愛い黒猫ちゃんをでていれば、存在感を主張するように王子が喚く。


「なんの話をしているんだ! わたしを無視してイチャイチャするな!」

「あたくしたちのこと完全に忘れてましたわね。こいつら……」

「「あ」」


 うっかり忘れていたと視線を向ければ、王子は咳払いをして黒猫ちゃんを指差す。


「なんだ、そいつはっ!?」

「なんだとは? いつも連れ歩いている、可愛い黒猫ちゃんではございませんか」

「私、お嬢さまの愛猫です」


 黒猫ちゃんはドヤ顔して見せ、そんな横顔もとても愛らしいと思う。


「はぁっ!? そいつがあの黒猫だと? 人の姿になるなど、やはり化け物ではないか! 邪悪な魔女と化け物の使い魔め!」

「化け物……そのお言葉、訂正していただけますか?」


 聞き捨てならない言葉に、自分のものとは思えないほど低い声が出た。


「わたくしのことなら何を言われてもかまいませんが、可愛い黒猫ちゃんを悪く言うことだけは、絶対に許しませんことよ?」


 怒りの感情の影響か、体外に魔力が漏れてバチバチと火花が散る。

 少々大人げないとも思うので、今のところは忠告までに留めておく。


「ひっ……!」

「そ、そんな凄んだとて、こ、怖くなどないぞ!」


 王子は虚勢を張っているけれど、怯えた表情で腰が引けている。

 わたくしの言動に黒猫ちゃんは感激し、膝を突いたまま抱きつく。


「ハウッ! 私めのために……お嬢さま、好き、抱いて」

「あらまあ。よしよし、なでなで」

「ゴロゴロゴロゴロゴロ」


 お腹に顔を埋めて甘える黒猫ちゃんがまた可愛くて、撫でずにはいられない。


「ほら、この通り。の可愛い黒猫ちゃんではありませんか」


 こんなに可愛い黒猫ちゃんのどこに不満があるのかと、王子たちに見せつけて可愛さアピールしてみる。


「そんなのがの黒猫であってたまるか! だから、イチャつくなと言っとるだろうが!」

「ふん、そんなに化け猫とイチャつきたいなら、さっさと婚約指輪を置いて出ていけばいいのですわ!」

「そうだ。わたしの婚約者である証――国宝でもある指輪をわたしに返すのだ!!」


 大事なことを思い出したように言って、王子は手の平を突き出してくる。


「お返ししたいのは山々ですが、王家との契約魔法がかかっておりまして、わたくしではこの指輪は外せません。王家の血筋である殿下なら、外せるかもしれませんが……取ってくださいます?」


 少し前へと出ていき、王子の方へと手を伸ばして差し出す。


「は? そんなことを言って国宝の指輪を返さないつもりか、卑しい魔女め。無理やりにでも引き抜いてやるぞ!」


 王子がズカズカと近づいてきて、わたくしの指に嵌る指輪に手をかければ、なんの抵抗もなくスルリと外れた。



 ――ピシッ。



 その瞬間、何かに亀裂が入ったような、小さな音が聞こえた。


「案外あっさり取れましたわね」

「良かったですね、お嬢さま」


 指輪の抜けた指先を見つめていると、黒猫ちゃんがわたくしの手を取り、大喜びしてくれる。


「ふん、何が契約魔法で抜けないだ。簡単に取れたではないか。嘘つきめ……この指輪は、わたしが真に愛する美しき聖女にこそ相応しいのだ」


 王子がかざす指輪には、国宝とされる大きな宝石が嵌め込まれていた。


「ああ、なんて綺麗な指輪かしら、さすが国宝ですわね」

「美しき聖女よ、この指輪は君のものだ」


 王子はうやうやしく聖女の手を取り、その指に婚約指輪を嵌める。


「まぁ、素敵……」


 聖女はその宝石の美しさにうっとりと見惚れる――が、突如として異変が起こる。


「は、はぁ、はぁっ……ひっ、ひいぃ、ひぎゃぁぁぁぁあああああ゛あ゛あ゛あ゛!!」


 急に息を荒げだした聖女が悲鳴を上げ、指輪を取ろうと藻掻きはじめた。


「取ってぇ! この指輪を取ってぇぇぇぇ!!」

「突然、どうしたのだ? ……ひっ! なんだその醜い姿は?!」


 見る間に美しかった聖女の顔が張りを失い萎んで、枯れ木さながらの皺だらけの姿になっていく。



 ――ピシピシッ。



 王子が慌てて指輪を引き抜くが、聖女の姿は元に戻らない。


「あ、あたくしの美しい身体がぁ! 美しい顔がぁ! 嫌ぁぁぁぁぁぁ……っ!!」


 己の身体や顔を触り絶叫する聖女は白目を剥いて卒倒し、その場に倒れた。


「おい、どういうことだ! 何故、美しい聖女が老婆の姿になる!! 呪いでもかけたのか、邪悪な魔女め……!?」


 聖女の変化に動転する王子は、こちらへと振り返る。

 婚約者の責務から解放され、わたくしは飛び跳ねて喜ぶ。


「身も心も軽くなって、重かった身体が嘘のようですわ」

「この邪魔くさいベールも捨ててしまいましょう、お嬢さま」

「そうですわね。もう顔を隠す必要はありませんものね」


 黒猫ちゃんがベールを外してくれ、視界が開けて笑みがこぼれる。


「!!?」


 王子は息を呑み、目を見開き、驚きの表情を浮かべて呟く。


「なんだ……その美しい姿は……?」


 わたくしは王子へ満面の笑みを向ける。


「殿下、ありがとうございます。婚約を破棄して指輪を取ってくださり、心から感謝いたします」


 愕然とする王子に、黒猫ちゃんが忌々しげに説明する。


「この月の女神もかくやのお美しいお姿が、本来あるべきお嬢さまのお姿です」

「そんな……バカな……」


 透き通るように真っ白く滑らかな肌、白金色のゆるく波打つ長い髪、誰をも魅了する神秘的な至宝と称えられた紫紺の瞳。

 祖国では、幼い頃から絶世の美少女と謡われていたので、成長した姿もそれなりだろうと思う。


 黒猫ちゃんが凝視してくる王子の視線を遮るようにして立ち、不愉快そうに告げる。


「この国の王族と交わされた契約により、お嬢さまは指輪で強制的に膨大な魔力・生命力を吸われ続けていました。それゆえに、あのようなお姿になっていたのです」

「わ、わたしは知らんぞ! 初めて顔合わせした頃から、あの老婆の姿だったのだから、わかるはずがない! そんなに美しいのなら、婚約破棄はなかったことにする!!」


 見目が変わったからと、コロコロと言い分を変える王子の神経を疑ってしまう。


「あらまあ……」

「ハッ、ハハハハハ……笑えない冗談ですね」


 黒猫ちゃんは大声で笑って見せ、間をおいて真顔で呟く。


「愚かな殿下は忌まわしき呪物を取ってくださった。お嬢さまへのこれまでの愚行は殺したいほどに腹立たしいですが、最大限の感謝として見逃して差し上げましょう」

「ひゅっ……」


 口元は笑っているのに目は笑っていない、そんな表情で見下ろされ、王子は竦み上がって喉を鳴らした。



 ――ピシシシッ……パリーン!



 先ほどから、亀裂の入る小さな音が聞こえていたけど、ついに限界のようだ。

 けれど、わたくしにはもう関係のないこと。王子の婚約者としての責務から、解放されたのだから。


「わたくしは自由の身ですわ。どこへ行こうかしら? 水と空気が綺麗な山岳もいいし、暖かくて草花が多い海沿いもいいですわね。うふふふふ」

「お嬢さまのお望みとあらば、どこへでもお連れいたしますよ」


 嬉しくて黒猫ちゃんと手を取り合い、軽やかにステップを踏んで踊ってしまう。

 はしゃいでいれば、異変に気づいた国王夫妻が血相を変えて駆けつけてくる。


「何事だ! 何が起こっている!?」

「姫! これはいったいどういうことですか!?」

「父上、母上、何をそんなに慌てて――」


 部屋着のまま髪を振り乱して現れた国王夫妻の姿に驚き、王子が訊く。

 すると、ことの重大さがわかっていない王子に、陛下は鬼気迫る形相で怒鳴る。


「何を呑気なことを言っている! 王国を覆う結界が壊れはじめているのだぞ!!」


 この王国全土を護っていた巨大な結界が魔力供給を絶たれたことで、決壊をはじめていた。


「姫、今すぐに結界の修復を……そ、その姿は!?」


 わたくしの姿を見て、国王夫妻は絶叫するように命じる。


「なっ、何故、指輪が外れているの?! 早く元に戻して!」

「隠密部隊! ただちに姫を取り押さえよ!!」

「「御意」」


 国王の命令で、即座に黒装束の部隊が周囲を取り囲み、わたくしに迫ってくる。


「あらまあ。せっかく自由になったのに、困りますわ」

「お任せください、お嬢様」


 近衛騎士より遥かに機敏で卓越した隠密部隊でも、黒猫ちゃんは容易くいなす。

 さらに、黒猫ちゃんのしなやかな身体が躍動するさまは、舞い踊っているように流麗で見惚れてしまう。


「こんなものですか」

「!!?」


 燕尾服を翻し、舞い踊っていた黒猫ちゃんがスタンッと立ち止まれば、一人残らず倒れ伏し、戦闘不能になっている。

 隠密部隊が倒されていくさまを目の当たりにした国王は、茫然と呟く。


「な、なんてことだ……王国最強の精鋭部隊が、こうも容易く倒されるとは……」


 黒猫ちゃんは燕尾服を整え、わたくしの横にきてエスコートする仕草で腕を差し出す。


「では、参りましょう、お嬢様」

「そうですわね」


 黒猫ちゃんに微笑み返し、その腕を取って旅立とうとする。

 しかし、国王たちが行く手を阻み、膝を突いて大声で引き留める。


「待てっ! 待ってくれ、姫! 愚息が何か不手際をしたらなら謝る、この通りだ! だから、どうか見捨てないでくれ!!」

「痛だっ! 王族が首を垂れるなど、痛だだだだだだっ! ちょっと、やめてください、父上っ!!」


 国王は王子の頭を鷲掴み、地面にギリギリと押しつけ、土下座して謝罪した。


「姫を繋ぎ止めておくための婚約だったのに……指輪を外すなんて、なんてバカなことをしてくれたの! 姫と上手くやりなさいと、あれほど言い聞かせていたのに……国を覆う強固な結界へ十分な魔力を補給できるのは、姫以外にいないのですよ!!」

「痛ったぁー!  痛っ、痛っ、痛っ、痛っ! わたしの頬を叩くのはやめてください、母上っ!!」


 王妃は王子の頬を平手打ちし、バシバシと往復ビンタして、怒りの鉄槌をくだした。


「な……何故、わたしがこんな扱いを……」


 誇っていた美形の顔は見る影もなく、顔を真っ赤に腫らしてぼやいていた。


「わぁ、お顔がパンパンですわ」

「ぷふっ、くくくくく……」


 王子の顔を見て、黒猫ちゃんはお腹を抱えて笑う。

 国王たちはわたくしの顔色を窺い、低姿勢で訴えてくる。


「姫に見捨てられたら、我々は生きていけない。どうか、思い留まってくれ……」

「魔力供給を絶たれたら、この国が滅んでしまいます。どうか考え直して……」


 頭を垂れて必死に懇願してくる憐れな国王たちへ告げる。


「それなら、調合室に魔力回復薬のレシピも残しておりますし、わたくしにもできる簡単な仕事ですから、皆さまにもできますわ。グズだノロマだと散々罵られるくらいですし、皆さまならもっと上手くできるのでしょう? だから大丈夫ですわ」


 己の言動を思い出したのか、王妃の顔から血の気が引いていく。


「高齢な国王陛下の体調がすぐれないのも、いつポックリ逝ってもおかしくない状態を、特性の薬を調合してなんとか延命していました。ですが、薬の出来が悪いと延々と詰られるくらいですし、もっと良い薬を作れる名医をご存じなのでしょう? その方を雇われるのがよろしいですわ」


 国王は顔面蒼白を通り越して土気色になり、ダラダラと脂汗をかきはじめる。


「魔力のほぼない皆さまでも、寄り集まって不眠不休で取り組めば、薄い結界くらいなら張れるかもしれませんし、頑張ってくださいませね」


 ニッコリと明るく笑いかけ、励ましの言葉を送った。

 すると、国王たちはわたくしを非難し、涙ながらに訴える。


「行き場のなかった亡国の姫を、亡国の民をこの国に受け入れ、今まで面倒を見てやったではないか! 恩義のある我々を見殺しにするというのか!! それはあまりにも非情ではないか?!」


 ――十年前の未曾有みぞうの大災害。

 火山の大噴火により、溶岩の濁流に吞み込まれ、滅んでしまったわたくしの祖国。

 王家の生き残りだったわたくしは、国を失い住む場所を失い、バラバラになってしまった民たちが安心して暮らせる場所を探した。


 そこで、王国を護る結界の魔力提供と王族と婚姻することを条件に、民の安全と衣食住を保障すると誓うこの国の王族と、契約を交わしたのだ。

 だがしかし、この国の人は自分とは違う特異な者を――わたくしと同じ魔力を持つ者たちを魔の者と呼び、忌み嫌い、時に蔑んで迫害していた。


 わたくしの愛する民たちは魔力を持つ者が多く、その姿も千差万別。

 ゆえに、この国の人から魔女や悪魔と罵られ、奴隷も同然の扱いを受けたのだ。

 そんな国の人々に同情する心など、わたくしは持ち合わせていない。


「わたくしがなんのために従順に尽くしてきたか、お忘れですか? 無理難題を押し付けられ、理不尽な扱いを受けても耐えてきたのは、すべて愛する魔の者たちのため、決してあなた方のためではございません」


 はっきりと断言し、わたくしは語る。


「魔力回復薬を研究したのも、搾取され続けて弱っていた魔の者たちを癒したかったから。そして、彼らだけでも逃がしてあげるつもりでおりましたが、わたくしからなかなか離れようとしないもので……」


 黒猫ちゃんと同じく、義理堅い魔の者たちはわたくしを置いて行くことができなかった。


「ですが、正当な契約は違えて呪縛の指輪も外れた今となっては、わたくしがこの国に留まる理由は何もございません。何せ――」


 胸を張り、暗黒微笑を湛えてこの言葉を返そう。


「わたくしはですから」


 両腕を広げて見せ、姿を隠して側に控えている臣下たちへ呼びかける。


「さぁ、わたくしの可愛いしもべたちよ、わたくしの愛しい民たちを連れて参りましょう」


 命令を受け、臣下たちは迅速に動きだす。



 ――バラバラ、バラバラバラバラ――



 結界が完全に崩壊し、頭上に大穴が開く。

 崩れ落ちる結界の欠片が雪のように舞い降る中、わたくしは優雅にカーテシーして最後の挨拶をする。


「それでは、ごきげんよう」


 わたくしを抱き上げる黒猫ちゃんの背中に三対六枚の黒い翼が生え、大きく羽ばたいて空高く飛び立つ。


「待ってくれ! 行かないでくれ!」

「わたくしたちが悪かったわ、許してちょうだい!」

「こんな環境で生きていくなんて、無理だ! 助けてくれ、姫――」


 王族たちの叫び声はすぐに遠ざかって聞こえなくなった。

 結界が無くなれば、瘴気に晒される大気や土地は汚染され、作物は育ちにくくなり、人は病に罹りやすくなるだろう。

 魔力を持たない人では、結界の外を飛び交う魔物を撃退することも難しいだろうけど、わたくしにはもはや関係のない話。


「思わぬ僥倖ぎょうこうでしたわ。王国を再建することが、わたくしの夢でしたの」

「お嬢様の夢は叶います。どんなことをしてでも、私が叶えてみせますので」


 黒猫ちゃんの首に腕を回し、行き先に視線を向けて物思いにふける。


 ◆


 ――数年前。

 街外れにある人の立ち入らぬ廃墟へとわたくしは訪れた。


「あらまあ……こんなところに隠れていたのですか……」


 暗がりに獣の姿をした魔の者を見つけ、わたくしは歩み寄っていく。


「グ、グルルルル!」


 薄汚れて倒れていたその者は、わたくしを威嚇して弱々しく唸り声を上げた。

 わたくしの民ではなかったようだけど、人に痛めつけられたであろう傷だらけの身体があまりにも痛ましい。


「可哀そうに……怯えなくても大丈夫ですよ。わたくしも魔の者ですから……」


 わたくしは膝を突いて、力なく倒れるその者に触れ、自分の魔力を分け与えた。

 結界に魔力を奪われ続けていたので僅かな魔力しか与えられなかったけれど、魔の者は魔力で身体を癒せるので、少しでも傷が良くなればと思ってのことだった。


 特異な者、数少ない者、立場の弱い者は、いつの時代も敗者となり、語り継がれる物語の中で悪役とされてきた。


 だけど、わたくしはそれが許せない。

 忌み嫌われる者を愛することすら悪とされるなら、わたくしは喜んで悪役になろう。


 不安そうに見上げるその者を優しく撫で、わたくしを穏やかに話しかける。


「可愛い黒猫ちゃんですね。よしよし、なでなで」


 それが、黒猫ちゃんとの出会い。

 その後も、わたくしは魔の者を見つけては拾い上げ、大切に可愛がった。

 そうしていくうちに、人が忌み嫌うものを拾っては愛好する、不気味な魔女令嬢と呼ばれるようになったのだけど――。


 ◆


 わたくしたちは二度と災害や人災に見舞われることのない、気候が暖かで緑豊かな空中都市を築き、民が安全に暮らせるだけの基盤を整えた。


「さて、これから何をしましょうか」

「お嬢さまのお望みとあらば、どんな願いも叶えてご覧にいれますよ」

「そうですわね……なら、一番のお願い事をするわ」

「なんなりと、お嬢さま」


 いつも誠心誠意尽くしてくれる黒猫ちゃんには本当に感謝している。

 どんな願いでも、きっと黒猫ちゃんなら叶えてくれる。

 だから、わたくしは安心してお願いする。


「これからも、ずっとずっと一緒にいてちょうだいね。わたくしの可愛い黒猫ちゃん」

「くはっ!」


 黒猫ちゃんは胸を押さえて倒れかけるけど、すぐに姿勢を正し、凛とした表情で言う。


「私の全身全霊をもって、お嬢さまを幸せにすると約束いたしましょう」


 誠意が込められた誓いの言葉を聞いて、満面の笑みになる。


「それじゃあ、黒猫ちゃんと一緒にいるだけで幸せになれるわたくしは、一生幸せ確定ですわね。ふふふ」

「ぐはぁっ! 今日もお嬢さまが尊すぎる!! お嬢さまの破壊力がすさまじ過ぎて、私、もう瀕死です! いいえ、致命傷です!! 責任を取って、お墓の中までお供させてください」

「お墓の中まで楽しそうね。あはは」


 声を出して笑えば、そんなわたくしを目を細めて眩しそうに見つめ、言葉をこぼす。


「あぁ、こんなに元気に明るくはしゃぐお嬢さまのお姿が見られて、私、感無量です。……はぁ、あのバカ王子とバカ女を引き合わせた甲斐がありました……おっといけない、口が滑りましたね」

「あらまあ……」


 どうやら、黒猫ちゃんはわたくしの知らないところで暗躍し、王子が婚約破棄するように仕向けていた様子。


「可愛い黒猫ちゃんにそんなことまでさせていたなんて、わたくしったら悪い女ですわね」


 人から迫害され、悪と呼ばれ、討ち滅ぼされる定めの悪役たち。

 だけど、そんな彼らを拾い上げ、わたくしは猫可愛がりして溺愛する。

 愛する悪役たちの幸せのために、人の国をも破滅させるわたくしは――人の世で一番の悪女ですわね。


「まさに傾国の魔女ですわね。うふふ」

「最も尊く美しい傾国の魔女ですよ、お嬢さま」

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