第10話 喜ばしき侵入者

「こんばんは! お隣さんかい?」

「あ?」

「うん、確かにステンレス製の表札には、15号室って書いてるんだな」

「誰だテメエ……」

 レウ君がかすれたドスの利いた声になる。

「おっと、元気が良いね。ところで君はミミちゃんかい? 変身魔法が使えたんだね! それともミミちゃんのお兄さんかい? 羽は無いみたいだけど」

 いや、羽は無いとか、レウ君に対する禁句中の禁句なんだけど……!


「ああ⁉ 馬鹿にしてんだろ」

「いや、でもミミちゃんにしては殺伐オーラが凄まじいし、ミミちゃんにお兄さんが居たとしてもこんな不良じゃないと思うんだぞ」

「俺は彼氏だ。テメエは誰なんだ?」

「俺はコニーだよ。特別にコニー君って呼んで良いぞ!」

「分かんねえのか、負け犬丸出しのお前がミミとどんな関係なんだって聞いてんだよ!」

「失礼な、赤の他人だよ」

「赤の他人がなんでこんな11時まわってから女の家にインターホン押しに来るんだ⁉ あ゙ァ⁉」



(声がしますね。男性の声が二人分、そしてあの高くて素直そうな声は、ミミさん……)


 普段は体に張り付いているコウモリのような黒に近い焦げ茶色の羽で、空を飛んできたジェイデンは、カバンを抑え、いつでも腰に取り付けたホルダーから杖を取り出せるように、ホルダーの鍵を片手で開け、2階に降り立った。塀を踏みつけ、廊下へと飛び降りる。

 

「ミ、ミミミ、ミミちゃん⁉ 武器を捨てて落ち着くんだ! どうどう!」

 メガネの、道化っぽい雰囲気の、赤銅色の髪の細身の若者が居た。ティーンエイジャーくらいの見た目だ。

 

「なっ……テメー! 見てないで止めろ!」

 こっちに気がついた、ホシと関わり合いのあるレウリー・アウストンが、焦ったように言った。

 コイツを見ていると、凄く冷めた気持ちになるが、ちらりとミミ・A・マギグラウンの魔法杖(マジックワンド)に目をやると、驚いた。あれは、子供用杖だ。

 

「もういい加減にして! ていうか帽子の貴方は誰ですか⁉」

「えっ、コニーだよ!」

「もう帰ってよ! レウ君なんか大嫌いだし、ていうか貴方にいたっては全く知りません! 誰? チームの人? ヤキでも入れに来たの?」

「いや、だからコニーだよ! ハンカチの……!」

 三人が、杖を向けあっている。こんなしょうもない状態なら、来なくても良かったな、という感想が頭に思い浮かんだ。日々接している丸害を殺った犯人なんかとは、まるで雰囲気が違う。馬鹿みたいな平穏さのある生ぬるい空間だ。高校生の喧嘩にしか見えない。……それでも、だ。

「魔法杖(マジックワンド)は、人に向けてはいけませんよ。とりあえず三人とも、杖(それ)をしまいましょうか」

 体内に存在する魔法粒子を扉を開けるようなイメージを持ちながら、集中し、強く念じて、いつも呼び出すスライムを召喚する。コイツらに使うなら、凶暴なスライムでは過剰だろう。ひったくりを捕まえる程度のスライムで良いだろうな、と思う。

 

 決着はすぐについた。

 ミミ・マギグラウンも、コニーという名前を名乗った赤銅しゃくどう髪の赤色メガネの若者も、そして先日、俺の事をクソの混じった靴墨みたいな色の髪と目……と呼んだ若者も拘束した。

 

「さて、お話聞かせて頂けますね?」

「横暴なんだぞ! 僕は杖を構えられたから反射的に構えただけだよ! それにハンカチ返しに来ただけだぞ。彼女が道端で貸してくれたんだよ……!」

 コニーが言う。

「貴方、どこかで見たような……」

 ジェイデンが記憶をたどりながら言う。

「ナンパかい⁉ もう帰らせてくれっ!」

 コニーが言う。一応、大人しくできそうなので、コニー、ミミ、レウリーの順で、三人ともほどいてやった。

 

「失礼するよ! 君らにはうんざりだ」

 コニーがハンカチをミミ・マギグラウンの、まるっこくて骨が肉に隠された、凹凸おうとつのあまりない、日焼けした白くて小さい手に押し付ける。

 コニーはその場を後にした。翼が生えていないようで、浮遊魔法も使えないのか、階段を降りて行くようだった。

 

「……で、お二人は、何か言うことは?」

「べつに……」

 ミミ・マギグラウンがぎゅっと目をつぶって、首を横にぶんぶん、と振った。

「本。CD」

「は?」

 思わず聞き返した。本とCD? それが何だ。

「……え」

 紙袋を渡されたミミ・マギグラウンが、驚いた顔をした。

「これ、貸してた本と、漫画じゃん」

「おう……」

「は? え、まさかこれ返しに?」

 ミミ・マギグラウンが言う。

「違ぇよ。話がしたくて来たけど、もう良いわ。冷めた。お前本当にそのパトカー野郎のコト、信用してんだな。住んでる所まで教えてよ」

「……それは……」

 ミミ・マギグラウンがおどおどした。俺との関係が後ろめたいのだろうかとジェイデンは推測した。

「いっつもそうだわ。お前って。……ソイツと勝手によろしくやってろよ」

「…………」

「本当クソだわ」

「……そう」

 ミミ・マギグラウンが彼女に出せる範囲で低い声で返答した。

「お前どうせ、俺が殺人鬼かなんかだと思ってんだろ。俺の家の鍵返せよ、CDと」

 ミミ・マギグラウンは無言で玄関に入ると、輪っかに入った鍵の束を出して、確かめる。金ピカの鍵をもぎとるように外すと、レウリー・アウストンという名前の若者に乱暴に投げつけた。

「……テメー……ッ」

 しかしそれ以上レウリー・アウストンは何も言わなかった。おそらくは、彼を専属担当する事になった弁護士に、余計な発言は慎めと言われたのだろう。

 

「返せっつってんだろ」

「持ってくる」

 一緒に家の中に入ろうとするレウリー・アウストンの腕をジェイデンは捕まえた。

「ここで、待ちましょうか?」

「チッ……なんなんだよ……」

 予想に反して、レウリーは大人しく従った。

 

「はいどうぞ」

 口調は丁寧だが、彼女は眉間にしわを寄せていて、声も明らかに怒りを含んでいる。が、怒っていても可愛い声だとジェイデンは思った。そんな事を思うなんて”らしくない”と、ジェイデンは今まで怒っている女性を見るたびに感じた威圧感や忌避感を思い出した。

 

 家から出てきたミミ・マギグラウンから、レウリー・アウストンがCDを奪い取るように受け取る。

「二度と顔も見たくねぇわ。じゃーな、クソアマ」


 レウリー・アウストンは突風魔法で飛び上がると、二階から一階のコンクリートの地面に着地した。あの男は、顔立ちだけは世間的な解釈で言えば美しいのだろうが、浅薄せんぱくで見当違いな男だ。短気で合理的な判断もできない。衝動性が高く嘘つきで一貫性がなく攻撃的。

 しかし、そんな男でも、新しい男が前の女と本当に付き合い始め、もう彼のATM、というか情欲処理玩具ラブドールを取り戻すことはできないと察知したのかもしれない。とにかく一刻も早く立ち去りたいのだろう、とジェイデンは思った。

 

 ジェイデンは、ミミ・マギグラウンの表情を伺ったが、この手の暴言には慣れているのか、むっとしているだけだった。そして、すぐにミミ・マギグラウンはジェイデン・レックス・スライミィを、照れながら恥ずかしそうに見つめて、ソワソワし始めた。



●  ●  ●  ●  ●  ●  ●  ●



 ジェイデンさんと私だけの、二人きりになった。廊下は静かだ。今は夜の11時だから、当然だろう。ご近所迷惑だったに違いないな……と思うと頭が痛くなる。

「ミミさん。なんで戦おうと?」

 ジェイデンさんが、眉をハの字にしながら、言った。

「すみません、顔を見たらイラついてきて、一発叩き込んでやろうかと」

「……そう」

 困ったような、笑みをジェイデンさんが浮かべる。

 その時、にゅっと手が伸びてきた。

 二人きりの廊下。頭に感触。

……え?


「とにかく、無事で良かった」

 私の髪の毛と頭を撫でるように、力の入っていない、ぎこちない手付きで、手が動く。


(あ、頭撫でられた……⁉)

(ナチュラルにこの人、成人女性の頭を撫でやがったーっ!)


 手が離れた。

 そのタイミングを見計らって、ぴょん、と飛びあがり、羽で浮遊する。

 そしてお返しに、ジェイデンさんのサラサラの黒髪を触りながら、ちょっとだけ頭を撫でさせて貰った。めちゃくちゃしっとりしてる……! なんだこの髪の毛……! 艶々してる……!

 

 ジェイデンさんが、あんまり驚いてなさそうな棒読みで「わあ」と言った。

「すごいね。空中浮遊してるのにあんまり羽がジタバタ動いてない」

「そこ⁉ 妖精だもん、ていうか照れてよーっ!」

「照れていますよ」

 棒読み。明るくて爽やかな笑顔だ。じっと目を見つめられる。

「ううっ……」

「もう夜中なので、帰りますね」

「待っ……て」

「はい……?」

「けっこう外寒かったよね、お茶淹れるよ」

「いえ、お構いなく」

「せっかく会えたからまだ帰って欲しくないもん」

「貴女は……事件や犯罪に率先して巻き込まれるタイプですね」

「え⁉ ……だいじょうぶだよ、ジェイデンさん無害そうだもん」

「へえー、初耳ですね。都合の悪い事は忘れちゃうタイプなのかな?」

「入って」

「……良いけど」



 ジェイデンさんが、玄関の回すタイプの鍵をかけてくれた。

「あっ、ありがとう」

「どういたしまして」

 ジャリジャリ、チャリンチャリン、カチャリと、鎖が音を立てた。

「あ、あれ……?」

 チェーンロックまでしてくれなくても……。

 

「靴は脱いだほうが良い?」

「あ、そうですね、スリッパで……」

「ミミさん」

 靴を脱いで、スリッパを履かずに、ジェイデンさんが、言った。靴下黒い。綺麗。新品かな。

 急に、距離を詰めてきて、手を伸ばせば触れるくらいの至近距離に来たら、その長い両腕を伸ばしてきた。手が、私の二の腕と肩の上に、置かれた。

 

「えっ」



「家に迎え入れた男に急に近寄られ、突然……」

 美しい顔がドアップになる。笑顔なので、白い普通の歯や鋭利な犬歯が露出している。試すような挑発的な表情だ。

「こんな風に」

 引っ張られてくるりと180度回転させられ、姿勢を崩したら、後ろから、抱きとめられた。

「相手に抱きつかれたらどうします? 怖くないですか?」

「それは……!」


「それに」

 腕が離れる。

「ひゃっ!」

 後ろからドンッと突き飛ばされた。痛くはないけど、体はクリーム色のもっちりした人を駄目にしそうな私のお気に入りのソファに沈んだ。

 ぽふっと音がした。スタスタと歩いて近寄ってきた。え、え……? ドキドキしてしまう。……どうしたの⁉

「本当にぎゅーっとするだけで、開放されると思いますか? 家の中ですよ。ソファやベッドや、床でも、いたそうと思えば致せます」

「えっ」

「貴女は悪魔じゃない。妖精です。妖精族の筋力および身体能力、攻撃力は、多数ある種族の中でも、最弱の部類に位置します。人間族にも劣ります。それは知ってるでしょう……?」

 なんで、私の喉首に、手を回すの……?

 なんで、そんなに怖い顔をしてるの……?

「こうやって、抵抗できないようにして、頭や顎を押さえつけるとですね……?」

(近い近い近い!)

「簡単にキス、できますよ」

 ずい、と顔を近づけて、言った。

 

 なんかっ、葡萄ぶどうのいい香りが……!

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