第9話 夜中の来訪者
(いやぁ、しかし、自分から告白せずに済んで助かりました)
忍び笑いが口から漏れてくる。
恋愛関係か友人関係になり、彼女に接近して関係を構築しろ、と言われた時には、想像もしていなかった事だ。もっと数週間は時間をかけて、じっくりと接近するつもりだった。それが、あちらの方から自分の顔や性格が好きで、仲良くなりたいと言われたのだ。笑いが漏れてくるのも致し方ないと、ジェイデンは自宅の部屋で一人、思った。
(でも、彼女がもしこの部屋に来たら……きっと、びっくりするでしょうね)
(同僚が見ても、驚愕するか、呆れ果てると思いますが……)
ジェイデンは精神科医である同僚兼友人と、上司である人狼(ウェアウルフ)族のアルファ雌である女性、アルマーナ・ロカッピェにだけ、秘密を……、つまり自分の特殊な願望と性的嗜好を知られている。
初めてソレが露見した時には、ジェイデンは静かに弁明した。暴力的なシチュエーションの映画で女優の演じる泣き顔や反応を見たいだけで、自分は暴力行為には興奮していない、と。
が、しかし、暴力に関心がないというのは嘘だった。歪んだ妄想を現実の物にしたいという気持ちは一切ないが、興奮するのはシチュエーションだけではなく、やはり、暴力にも興奮する。
自分が殴りたい訳ではないが、殴られている女そのものにも、多少興奮するし、生命が終わった瞬間の高等生物という物に心惹かれないと言ったら嘘になる。あの、人生を経験してきた生き物が、ただの肉の塊になってしまい、もう二度とコミュニケーションを取ることも叶わないという虚しい感じがたまらない。
それを証明するかのように、彼の鍵のかかった黒色のタンスのとある引き出しには、大量の
(リセルソンには、変態も大概にしろと言われそうですね……)
同僚の精神科医の名前が頭に思い浮かんだ。
(というか、いつもコレをお土産にくれる上司も、嬉々として受け取ってる俺も、バレたら減給処分、あるいは懲戒免職処分ですかね?)
(いや、……俺は決してコレを口外しないし、ましてや上層部に食い込む狡猾な彼はそんなヘマはしない。……それに。上への言い訳ならなんとでもできます。上層部も、また一から捜査のいろはやプロファイリングの基礎を叩き込む事も、警察学校の優等生を殺人課に引き抜く事も大変でしょうし、俺達の部署は現場で動く人員の不足と潤沢な資金の不足が常なので……)
これ以上写真のことは考えなくて良いだろうと判断した。
それよりも、ジェイデンには気になることがあった。
(俺が
(ああ。でも、あれは余計な言葉だったな。だから多分俺は怒られるだろう。ティーンエイジャーや女子大生が喜びそうな、爽やかな好青年のような笑顔の素敵な大人の男を……なんの傷もほころびもない、完璧に普通の男を演じるべきだっただろうか? なんにせよ、ボス……彼女は無駄を嫌う。これは間違いなく怒られるだろうな)
『
『
いつか兄に恋に落ちた自分の恋人と、兄が、突き放すように言った言葉だ。欠陥品って、俺は車か何かか? と思ったが言わなかった。
彼女を寝取ったのも、お前が病的だからという相談を彼女から受けている間に、色々あったからだと兄は言った。
兄の振りかざす論理と正義感にはついていけない。
冷静になるために、目をつぶる。すると澱のように溜まった兄への憤りや、軽蔑の心が、静かに流れていく。お風呂のバスタブの栓をぬいたみたいに。台所シンクの栓をぬいたみたいに。軽やかに。音を立てて。
…………。
で。ミミ・アップル・マギグラウン。彼女には自分はどう見えているのだろう。恐怖と嫌悪感を促すような、吐き気を催すような狂った男だろうか?
それとも、それを覆い隠してしまうほど――素敵な理想の
(俺の顔がお気に入りなようですけど、その点に関しては両親に感謝ですね……)
彼女が「なんか、うれしすぎて、えへへ……」と言った時の笑顔。
花が弾けて花弁が舞い散ったみたいな笑顔。
これから謝肉祭のフライドチキンとして丸々と太らされる事も、殺され肉になるためだけに生まれてきたという目を覆いたくなるような残酷な事実も知らずに、きらきらしたお日様の下で愛情いっぱいの飼い主と思っている
エメラルドだったかどうかは忘れたが、昔母が結婚記念日の中でもとりわけ大切な日に父に買って貰ったと言って俺にこっそり見せてくれた、神秘的な緑の柔らかくて清浄な光を放つ……それでも妖しさを隠せない宝石みたいな目。
有名な女児向け人形シリーズのキャラクターの中で一番人気のドールみたいな色素の薄い金髪は、ふわふわとカールしている。なんだか、全体的に、羽といい、髪といい、おもちゃみたいな造形で、現実味がない。
笑うと見えた歯は、全部、四角いヨーグルト味の粒ガムか白とうもろこしがお行儀よく整列しているようだった。要するに、自分みたいに凶悪な牙が無かった。
頬がうすい桃色のバラみたいに紅くなるのも、可愛い。
完全に
(純粋で、笑顔のまぶしい子でした。それに、見るからにいい子そうですね)
(まあその純粋さが、嗜虐欲を掻き立てるんですけどね……)
ジェイデンは思わなかった。
その彼女が今、窮地に陥っているとは。
● ● ● ● ● ● ● ●
『ミミ!』『おい!』
『返事しろ』
(あ、どうしよ……)
さっきからメッセージ通知が鳴り止まない。
82件のメッセージ。レウ君から。
『見てるだろ』
『無視かよ』『ふざけやがって!!!!』
『おい』
ティロリロリン♫
(電話かかってきたー! うわあああ!)
無視して震えていると、メッセージがさらに届いた。
『はあ、、、』
『今からお前の家』
『行くから』
「えっ、うそうそっ、殺されるじゃん!」
ジェイデンさんといい感じだし!
私は慌ててスマホを取り出すと、「Heyスマホ、ジェイデンさんに電話かけて!」と言った。
「かしこまりました」
男性の機械音声がそう言う。
ティロリロリン♫ ティロリロリン♪ ティロリロリン♫ とのんきで牧歌的な音楽が流れる。
ジェイデンさんを呼び出している。
ティロリロリン、ティロリロリン、ティロリロロン、ティロン♫
いつまでも、出てくれない。
「出てよー! お願いだから」
わああああ、と泣きそうになっていると、『ピッ』と短い音がした。
「どうしたの? ……寂しくなっちゃった?」
声を聞くと安心した。
「助けて下さい……」
「んー。ベッドの下におばけでも出ましたか?」
「私の事、五歳児と思ってますよね⁉」
「ああ、インスタントコーヒーメーカーが壊れたなら業者に……」
面白がっている声だ。愉しむような意地悪な口調になっている。
「元彼が、今から家に来るって」
*
「……えっ」
一呼吸置いた後、ジェイデンさんがそう小さく言った。
「住所知られてるし、あいつ鍵は持ってないけど、家に来たことは何回かあって、だから、ころされるかも……」
「窓と扉の鍵しまってるかチェックして。電気消して。カーテンも閉めて」
ジェイデンさんが言った。
「閉めたよ……消した……」
カーテンを引いてから言った。
「ずっと通話中にできますか?」
「うん」
「一応、今からそっちに行くね」
「うん……っ」
「住所教えて下さい」
「シティ・アレスナ州タイガーリリー郡中央西区十三番街オーストリイチ・フラワー・アパートメント9棟15号室……二階……」
「シティ・アレスナ州タイガーリリー中央西区十三オーストリイチ・フラワー・アパートメント9棟2階の15号室?」
「うん……」
「ショッピングモールの近くですね」
「うん……。なんか、いま、外で足音した……」
小声になる。
「ミミさん、何言われても返事しないで。動かないで。押し入られた時のために杖持っておいて下さい」
「うん……うっ、ううっ……」
「泣かないで。静かにして居ないふりをして下さい」
「つえ、もった……」
「扉絶対に開けないようにね」
ピンポーン! ピンポーン!
ピーンポーン、ピンポーン! ピーンポン、ピンポン、ピンポン!
…………。
レウ君だろうか、と思い、忍び足で玄関ドアに近づく。内側から外は見えるが外からは内側が見えないマジックミラーののぞき穴を覗き込む。
「ひっ……」
息を呑んだ。わずかだけど声も出た。
「そこに居んのか。開けろ! ミミ!」
(どうしよう、突風魔法で玄関こじ開けられたら……)
どうするって、戦うしか、ないんじゃ……?
(色々と、許せない……)
ぎゅっと杖を握りしめた。
「ミミ、悪かったって……」
悲痛な声がする。
「ミミィ……俺が間違ってた……」
泣いている。
誰が騙されるか。そう思った時だった。
「君ィ!」
やけに陽気な場違いな雰囲気の、聞いたこと無い声が聞こえた。
大きすぎる不格好な赤色のメガネ、
「ここってミミ・マギなんとかさんのお宅だよね? 15号室だよね?」
……いや、誰……?
背筋が寒くなった。
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