第5話 たとえ仕事が理由でも

 ああ? とかざっけんじゃねえぞ、とか聞こえるかと思ったけど、しばらく気味の悪いほどの無言が続いた。そして、電話越しに聞こえた声が、こう言った。

「ごめん、悪かったって」

「……え」

「今から会える?」

「え……でも」

「愛してる。話し合お」

「……話し合おって、浮気してるのはそっちじゃん。お金返さないし。絶対やだ」



「俺にはミミしか居ないんだって」

 悲痛な、すがりつくような声だった。

 

 

●  ●  ●  ●  ●  ●  ●  ●



 バーなんてめったに来ないけど、来てしまった。

「…………」

 あ、あそこで水飲んでるの、レウ君じゃ……。

「レウ君……?」

 声をかける。

「…………。……ハァ」

 聞こえていないみたいだ。

「レウ君……!」


 明らかに聞こえている距離なのに、レウ君は何も言わない。

「来たよ、もう、レウ君? ……レウ君ってば!」

 振り返ったレウ君の顔は、今まで見たことがないくらいに、醜い憎悪に歪んだ、怒りに満ちた顔だった。目は充血している。

 

「他に好きな男でもできたァ……?」

「そんな訳、な、ないじゃん」

 図星だ。うまく取り繕えただろうか。地面を見てしまう。きれいなフローリング材だ。

 

「じゃあなんで、お前なんかにこの俺が捨てられなきゃなんねぇんだよッ?」

 牙が見える。鋭い犬歯は、肉食動物の象徴でもあるんだよなと思い出す。彼は、精霊だけど、歯はギザギザしている。

 

「浮気。お金。最近冷たいし」


「俺と別れたってお前みたいなブサイク誰とも付き合えねーぞ」

「へ」

「遊ばれて終わりなんだよ。基本頭悪りぃし、精神年齢も幼児だしなぁ?」

 その時、私の中で、長年溜め込んでいた怒りが、わずかにだけど吹き出した。「豚とレスリングはするな、泥だらけになるから」ということわざにもよくあるように、怒っている相手と同レベルに自分を落としたら、火に油を注ぐことになるし、冷静な話し合いなんてできなくなってしまう事は分かるのだけれど、でも。我慢できなかった。


「……サイテー」

「あ?」

「最低。顔だけ野郎に言われたくない。愛してるとか嘘だったんじゃん。そんなに嫌いならどーぞ別れて頂いて結構ですが……⁉」

「つーかさっき浮気っつったじゃん」

「ああ、言いましたけど⁉ 貴方が隠す気もないようなので言いましたけど……⁉」

「飽きられるお前が悪いんだろ」

「は? はあ……?」

「高校から付き合ってんのに、結局いつまでもヤらせないしよ」

 冷静な声で何言ってんの?

「……っ⁉ 自分が馬鹿みたいに乱暴だからでしょ⁉」

 周囲が気になったので、声を潜めて言う。誰もこっちなんて気にしてないみたいだし、照明は薄暗いから誰も私の事なんて分からないかもしれないけど。


「ざけんな殴ったりしたか? 俺がいつお前を殴ったんだよ」

「いやいや、二回、叩いてきたり蹴ってきたりしたでしょ⁉ 青あざできたよね」

「別に毎日やってた訳じゃねェし。それに悪かったのは全部お前だろ。お前がわざとキレさすよーな真似すっからだろが、ああ⁉ そんなに別れたきゃ百万用意しろよ、ぶっ殺すぞ! クソアマ!」

 凄んできた。急に声を荒げて。何言ってんの、この人。言葉が出ない。

 

 顔が青ざめて、本能的に、体全身に恐怖が走る。あれ、レウ君って、こんな目ができるやつだったっけ。こんな冷たい、人殺しみたいな目が、できる精霊だったっけ……?



「大きな声出されてますけど、大丈夫です?」

「え……?」

 私が言う。私の中の聴覚が、その声を『好きな人』の声として察知した。

「『殺す』って聞こえましたけど。君、随分と穏やかじゃありませんね」

「え、ジェイデンさん⁉ と昼間のおじさん……」

 私が言った。言ってから、しまった、と思った。レウ君は、自分が浮気するのはOKだけど、人には物凄く嫉妬深いんだった……。

 

「……ミミさん。大丈夫?」

 そう言うジェイデンさんの目を見つめ返すと、気まずそうに目線を逸らされた。おじさんはレウ君を凝視している。

「レウリー・アウストンさん、ですね?」

 ジェイデンさんが涼しい冷たい声で言う。



「誰だテメエ、……とオッサン。二対一でヒーロー気取りか? 寒いんだよ」

「恋人にアザ作って偉そうにしてるチンピラのしょうもねえガキほど寒かねぇよ」

 おじさんが初めて喋った。冷めた顔だ。

「サンダーさん。例の機械、オンになってますよ」

 ジェイデンさんが、言いづらそうに言う。

「ああ。分かってるよ。言われなくてもな」

 おじさんが言った。

「老害がいい年してイキってんじゃねえぞ。つーかお前ら何? そっちの何の苦労もしてなさそうなクソお坊っちゃまにしか見えねえお前。髪も目も服もツノもクソ入りの靴墨みてえに真っ黒いお前だよ。お前さ……」

「……何でしょうか?」

 挑発に慣れているのか、冷めた顔でジェイデンさんが返答した。

「コイツの浮気相手お前だろ? 全然俺と似てねぇな。ガリガリだし、ヒョロヒョロ背だけ高いし、陰気臭えし。ガリ勉っぽいし」

 レウ君が言う。失礼すぎる。

「ちょっと止めてよさっきから失礼でしょ」

 レウ君にだけ聞こえるように、言う。

「はっ、やっぱりそうか。だと思ったわ。金でもちらつかされたか?」

 それはどっちかっていうとお前だろーが!! と思った。殴り倒してやろうか。



「いかにもロリコンっぽいもんな。幼女趣味っぽいし、どう見ても陰キャで変態そう。まともな女に相手されねぇから、こんなガキくせえ中身の馬鹿に入れ込むんだろ」


 杖でめちゃくちゃに強力な魔法でフルボッコにしてやろうか⁉

 

――と思ったけど、杖は持ってきてない。詠唱呪文なんて使えない。それにジェイデンさんが見ているし、サンダーさんという方もいる。つまり警察の目があるし、他の人やお店にも迷惑がかかってしまうので、黙った。


「…………」

 ジェイデンさんが、レウ君の言葉を聞いていたらしくて、軽蔑したような目で、レウ君を見下ろしている。

 レウ君もジェイデンさんを、親の仇を見るみたいな憎悪の目で見る。 

「モヤシ野郎に騙されやがって、どうせコイツもヤりたいだけだろ」

 レウ君が吐き捨てるように言った。


「落ち着いて……。私は警官です。貴方には、集団婦女暴行殺人と殺しと特殊詐欺の協力者の容疑がかかっています。そして……」

 ジェイデンさんの怖い雰囲気になった目が、私を逃すこと無く捉えた。

「ま、まさか……私も……?」

 泣きそうになってしまう。いや、正確に言うと泣いている。

「違います。彼だけです」

 一瞬、何言ってんだコイツ、みたいな毒気を抜かれた顔になると、また怖くて凄みのある真顔に戻り、レウ君を見据えた。



「取り調べにご協力して頂ければ、有罪なら罪が軽くなりますよ。貴方の車が監視カメラに捉えられています。捉えられた車が事件現場に入っていくのも、記録されています」

「俺はやってねえ、あれは……」

「話なら署でいくらでもこのクソ老害の寒ーいおじちゃんが、そこの幼児性愛者ペドフィリアみたいな顔面のヒョロヒョロしたお坊ちゃんのかわりに聞いてやるよ」

「あァ?」

「あ゙? ”あー?”じゃねえだろが! 自分が言った事分かってんのか⁉ テメエは! 行くぞ、ボケッ……」

「サンダーさん……」

 少し低い声で警告するように、名前をジェイデンさんが呼んだ。


「あーっと、会話は録音されてる。なお、専属弁護士に電話したければするんだな。もしこれから署に任意で同行するのがやな場合はさ、それ相応の手続き踏んで、任意じゃなく同行して貰う事になるけどよ、……任意のうちに同行しとけ」

「糞が。チームの奴らが密告したのか? アイツか……? それともアイツ……ぶっ殺してやる……!」



●  ●  ●  ●  ●  ●  ●  ●



「ミミ、覚えとけよ。俺が犯罪者になったら、お前も犯罪者の恋人になるんだからな」

 レウ君が言う。

「あー……知ってるかな」

 ジェイデンさんがついに口を開く。

 

「脅迫と名誉毀損って分かるかな? それに、裁判の時に裁判官の心証が悪くなりますよ。裁判官には女性も妖精も居ますからね」

 やさしい笑顔が怖い笑顔にしか見えないし、禍々しいオーラがぴりぴりと発されているし、作り物の、異様な雰囲気のするほどやさしーい声が死ぬほど怖い。


「……という訳で、黙れますか?」

 急に低い声になった。

「それと、この方に迷惑をかけるのはもう止めましょう。人身保護令状で、迷惑行為やストーカー行為に対する接近禁止命令を出すのは割りと簡単ですけど、裁判ってそう何回もしたくなるほど、楽しいイベントじゃないですよ」


 こんな怖い顔見たことない。夜寝れない。セリフと声と顔が釣り合っていない。こんな顔とドスの利いた声に近い低い声で怒られたら、たぶん私なら一生のトラウマ確定だ。心臓に獣の剛毛が生えているようなレウ君には一切効かないだろうけど。こわい、こわい。

 自分が怒られている訳じゃないのに、体が震える。前にTVで見た、暴力団のアジトに警官さんが押し入って強制連行する時みたいな怖さがある。


「……ッ、弁護士を呼ぶッ……!」

「お勘定は? ああ、水だけか。水って普通無料だよな?」

「ええ。アレスナでは普通サービスでついてきます」

 ジェイデンさんが言った。

「だよな。でも、一応店に聞いとくか?」

「ここは国内です。それに砂漠地帯でもないので、お水が有料なんて事はまず、無いと思います。まぁ、万が一の時は、俺が立て替えて、あとから領収書を渡して彼に払わせます」

「じゃあもう行くか」


「……チッ、良い気になりやがって。そっちのジェイデンとか言うヤツ、覚えとけよ。悪魔の癖に、善人ぶりやがって。俺が犯罪者キツネならお前は血に飢えた怪物だぞ、汚れた種族が!」


 バタン、と扉が閉められた。サンダーのおじさんが元彼氏のレウ君と消えたので、バーには私とジェイデンさんだけになった。


「大丈夫ですか……?」

 私が言う。

「何が?」

 まだ声が少し厳しい。

「変なこといっぱい言われて、その……嫌な気持ちになったかなって思って」

「いや、凶悪犯の中にはもっと変な事を言う人がたくさん居ます。生ぬるいくらいです」

 厳しい声の名残が、薄れていく。

「た、たすかりました。別れ話してて」

「隠しマイクで複数人で盗聴していたので知っています」

「……あ」

 ふらついた。ジェイデンさんが、腕を伸ばして、転倒しないように肩を掴んで、倒れないようにするのを手助けしてくれた。体が触れるのは、お店ではお釣りを渡すのも機械がやってくれているので、初めてだ。



 でも、ドキドキするけど、それよりも……どっと疲れて、くるしい。もやもやする。

「辛かったでしょうね」

 手をそっと離された。

「さ、殺人鬼なんて、わらえないですよ……」

「容疑は殺人の幇助ほうじょです。それにまだ容疑者の段階なので、彼が黒と……罪人だと決まった訳ではありません」

「……でも、怖かったです。あそこまでとは思ってなかった。……本当に失礼な事ばっかり言って、本当にご迷惑おかけしました……! すみませんでした……!」

「えっ。……貴女は悪くありませんよ……」

 びっくりしたような顔をされた。

「ジェイデンさん」

「はい」

「ありがとう……えっとね、助かりました……。本当に、ありがとう……なんて言ったら……いい……のか……。このままだったら私、その、大変な事になってたんだよね……? えと、助けてくれて、ありがとう……」

 泣きそうになる。

「いえ、仕事ですから」

「でも……その……」

「仕事なので」

 真顔だ。引くほど真顔だし、声のトーンまでそんな感じだ。



「うっ……!」

 傷口に塩だ。

「こちらから確認した感じ、大丈夫そうではあったけど、もしかして、怪我とかはない?」

「はいっ心の捻挫と心の擦り傷だけです」

「……一人で、帰れそう?」

 スルーされた。

「もちろんです! 羽で飛んで帰ります! こうみえても、飛ぶの早いんですよ」

 羽の話をされると嬉しくなってしまう。


「そうですか」

 あれ、なんで、若干悲しいような目で私を見るんだ……?

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