第4話 容疑者って誰

「ああ。百歳……換算すると、二十歳ですね。失礼しました。はい、お返ししますね」

 なんの感情もない義務的な声で、なんの興味も関心もなさそうな顔で、この悪魔さんはスッとカードを返してくれた。安心したと同時に、自分への関心の無さに傷心モードになる。


「あの」

 私が言う。

 はい? と真面目な顔で言われる。

「スライムおにいさんは、探偵さんかマスコミの記者さんですか。それとも、お役所の公務員さんですか……? ほら、飲食物衛生法の検査員さんみたいな」

「スライムおにいさんって、俺の事でしょうか?」

「あ、はい。スライムをいつも買っているので、つい」

「俺、名前、ジェイデンと言います。仕事は、もう大体、うっすらと察しはついているんじゃないですか……?」

 目を細められた。本当にお人形さんみたいな、でも艶めかしい顔面に、試すような色が浮かぶ。

「いえ、ぜんぜん、なんの手がかりもありません!」

 子供の頃から、謎解きゲームとか水平思考クイズとか、推理とか論理的思考とか、苦手なんだ……。


「そうですね、三流電子タブロイド雑誌には、国家権力の犬、と呼ばれている仕事ですよ」

 犬? なにそれ。罵倒表現で軍人さんを『女王陛下の犬っころ』とかよく言うし、そういうこと?

 

 いやいやいや、こんなに細身な、職種が専門技能と頭脳労働っぽそうな、ド偏見だけど秒で国の重要機密事項を諸外国に叩き売りそうな冷酷イケメンな見た目の、軍人さんが居てたまるか……! あ、いや、なんか機械関係の国防系なら、筋肉なさそうな細身おにいさんが軍人として働くことも、あり得るのかな……?

 

「へ、へえー! なんか強そうなお仕事ですね。必殺技みたいですねー!」

「何のお仕事か分かって頂けて嬉しいです」

 意地悪な声だ。でも、嫌われているような感じはしない。


「最近、変わった事や困った事がないか、知りたいんです」

 じぇいでんさん、ジェイデンさんに、言われる。

(名前、なんだか古風というか伝統的なトパズスタ連邦の男性名のひとつだけど、顔に似合ってて……いいな……)


「えっと、それはあるにはあるけど、初対面の方にべらべらお喋りするような内容じゃないし……」


「相手が、皆から嫌われている国家権力の犬だからですか? まあ、警戒するし、萎縮しちゃいますよね」

 自虐ネタにも聞こえるけど、(笑えない)冗談を言って、私の心を開こうとしてくれているのかな……。

「いや、ううん……。でも、犬って可愛いですよね。私達高等動物と違って飼い主を裏切らない所とか、金をせびってこない所とか、態度を豹変させない所とか、罵倒してこない所とかが好感が持てます!」

「……何かあったんですか?」

 聞いて欲しそうだから一応聞いてあげようかな……みたいな表情だ。博愛主義者か……冷酷そうな顔面とか思ってごめんね……。

「よくある話ですけど」



「え。……本当ですか?」

 彼が言う。

「はい……事実ですよ……?」

 ふ、ふふ。涙が出そうだ。

「彼氏さんが金を頻繁に無心してくる。浮気相手が居る。その浮気相手と彼氏さんが眼の前で身体接触。罵倒。要求が多くて自分は見返りを一切与えない。冷たい。乱暴。すぐに憤慨する。……別れないんですか?」

 あれ、レウ君がすごく酷い人みたいに聞こえる。

 

「一応、初めて付き合った人で……依存してて、別れづらいんです。すみません、こんな話して。あとは最近、買ったばかりのコーヒーメーカーが調子悪くて困ってるくらいです」

「……コーヒーメーカーのほうは俺にはどうしようもないですね……。業者に電話して下さい。それに、もう一つの方も、俺はカップルカウンセリングの専門家ではありませんからなんとも言えませんが、個人的に思った事を言っても良いですか?」

「あ、あまり、手厳しい事は言わないでくださいね……」

 怒られるの、にがてなんだ……。

 

「浮気って、治らないとよく聞きます。お金も返してもらわないと。どこかで、ここからはもう絶対に駄目……というルール作りをして、境界線を引かないといけないと思いますよ」

「ごもっともです……」

「お話を聞いた感じでは彼氏さんは……今後も増長していくかもしれませんよ」

「え。えと」

 難しいことを言われている気がする。

「関係を清算したほうが、良いんじゃないでしょうか。距離を置くのも難しそうに聞こえますし」

「……うっ」

 ”関係を清算”って別れろってことだよね。皆言うじゃん、それ。

「……あ、余計なお世話でしたか?」

「い、いえ、現実という名のコンクリートを顔面に叩きつけられたというか」

 すごい汗が出た。

「俺の発言に気分を害されましたか……?」

「いや、違います! すっきりと目が醒めたというか、自分の状況を理解できたっていうか、なんていうか、勇気が出ました……」


「絶対にいつか、もっと良い人が現れますよ。貴女がそう望むのなら」

 口元は愛想よく笑おうとしているけど、目が、無気力で無関心で、でも根底ではすごく憎悪している、みたいな禍々しい雰囲気になって、ちょっと怖い。なんで?


「……えっと、あ、ありがとうございま、す……?」

「でも」

「はい」

「本当に距離置いたほうが良いよ。彼氏さんと。結婚なんて間違ってもしないほうが良いはずです。そのうち貴女に逃げ場がなくなったら、きっと暴力を振るい始めますよ」

「だ、だいじょうぶです! 暴力を振るわれたのは、数回だけなので!」

「酷い男なんですね……。シティ・アレスナ州の家庭内暴力とデートDVホットラインの番号が載っているプラスチックカードを持っているので、それをお渡ししますね」



「い、いや、そこまで大げさな感じではないです……! はい!」

「……相談は無料で、プライバシーは守られ、内容は秘匿されます。貴女が望まないのなら、彼氏さんと裁判沙汰になったり、大げさな事には、しないという選択肢を取ることができる場合もあります。場合によりけりですけど」

「いや、でも、本当に、ほんとうに、大丈夫ですから……!」

「知らない人に話すの、怖いですか」

「え、えとまあ、そんな感じ……ていうか、裏切りたくないし……」

 うつむいてしまう。

「それは違うと思います。……これ、俺の名刺です」

「え……えっ? なにこれ、役職名、長っ」

 トパズスタ連邦 国家国民安全推進署 犯罪対策 公安特殊捜査部(シティ・アレスナ州及びミルズコイ州・トレンデン州総合捜査局/警察殺人課)……?

 え、ちょっと待って。

 警察殺人課……⁉

「彼氏に無理やり合意を得ずに抱かれそうになったり、殴られたり、モメそうになったり、何か死にたくなるような悩み事でもあれば電話して下さい」

「いや、そこまでなら別れてますからね……⁉」



「危なくなったら電話してね。俺、彼氏さんの近くに別件で張り込んでるから、すぐに駆けつけられると思います。……しばらくは、ですけど」

「え、張り込み⁉ 捜査ですか⁉」

「声が大きいですよ。あと、捜査の事を彼氏さんには口外しないほうが、身のためですよ。…………。……名刺……要らないなら、机の引き出しにでも入れておいて良いので。持って帰って下さい。事態が急速に悪化するのって、意外と簡単な事がきっかけなんですよ」

「でも。さ、殺人課の刑事さんの名刺、私みたいなただ彼氏ともめてるだけの妖精が、貰っちゃって、大丈夫なんですか……?」

「貴女に今度お話があって、お店の方に電話をするかもしれません。俺ではないかもしれませんが。貴女も、重要参考人の関係者なので」


「え、ええっ。わ、わかりました。何かあったら連絡しますね……。というか重要参考人って誰……あっ、今日でも大丈夫ですよ、質問」


「駄目です。タイミング的に、今は、質問をする事や必要以上に説明できないんです。ごめんね」

「あ……はい……」

「お友達とか、家族の人とか、彼氏さんに喋っちゃうでしょう? 聞かれたこと」

「…………」

 私、間抜けと思われてるのかな……。



「それでは、失礼します。お話、してくれてありがとうございます。――ミミさん」

「あ、はい!」

 ミミさんと親しげに呼ばれたのが嬉しくて、思わずにこっとしてしまった。

 そうしたら、殺人捜査官のジェイデンさんも、少しだけだけど、嬉しそうな雰囲気になって、私は、あらぬ期待を寄せた。


「またお話聞かせてね」


 その言葉に、つい、羽をぱたぱたさせてしまった。

 特に深い意味なんて無いと分かっているのに。


 そして羽をぱたぱたさせている事に気がついて、私は大慌てで「はいっ、失礼します!」と言って逃げた。そして、お店の中をぐるぐる巡回して、欲しかった商品をカゴに入れた後、お会計の列に並んで、いっぱいお酒を買った。ふへへ。



(でもなんで、レウ君追われてるの……?)


 お酒とお菓子と色んな種類の紅茶パックが入った紙箱を買った。

 そして自宅で私は、レウリー・アウストンさん、つまり彼氏のレウ君に、電話をした。

 

「もしもし? 私だよ」

 おー、みたいなやる気も力もない声が電話越しに返ってくる。そして私は言った。

 

「もう、――て下さい!」

「あァ? 今なんて?」

「別れて下さい! いや、別れます!」

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