4 感想へのアンサー

※この章では、作者である私から感想執筆者フィンディルさんへの、実際に感じたこと、受け取ったこと、思ったことを、熱量の再現を重視して書きたいので、重複や引用にあふれます。


※フィンディルさんの文章からの引用には【】囲みます。


※文章として、読みやすさや美しさにも欠けます。不快に思われるであろう話も出てきますし、私が言うことも前後したり戻ったり飛んだりします。(……ごめんなさい。冷静なアンサーは書けません)





 フィン感をいただいた勢いから、感想文章への新鮮な感銘を書こうとしています。(この章のテーマ)


 一晩睡眠を挟んでも、自作へ向けられた真摯な読解を受け取った昂奮こうふんは、鎮まるどころかみてきています。


 私は……ここ最近でこそ、『小説』などという大層なものを書いてる風ではありますが、エッセイジャンルにあたる『感想文』を書くのは、非常に苦手です。

 要は、多少の平静さを取り戻したところでも、読めるレベルの感想文が書けることはないと思うので…………いつもより格段に『読み辛い文章』になっていることを、先にお詫びしておきます。ごめんなさい。

 それでも書きたいので、前置き(これ)を入れさせていただきました。





 では、アンサー。

 いきましょうか!









 フィン感を開く。読んでいこう。

 【「(作者が)意味を決めないこと」「(作者が)管理しきらないこと」を目標および魅力にしている作品と解釈しています。】…………どういうことだ? これは、注意深く読み進めていかないと、私が読解できないかもしれないぞ。


 ふむふむ…………(恐る恐る読んでる)


 【「僕」と小夜さやは“キャラクター”から“人”として描かれているように思います。】ほぉ! 『K.618』は、モーツァルトの『アヴェ・ヴェルム・コルプス』という合唱曲をえて、書いていた。キャラクターより人と思ってもらえたことについては……


 この話の原型は、二〇一九年七月十八日に起きた京アニ事件より少し前に考えていた漫画の為のプロットで、主人公青年が夜勤で働いている工場を燃やす話を描こうと思っていた。ニュースで事件を知って、犯人と主人公に近しいものを感じて、気分が悪くなって、このプロットは何年か手を付けずにいた。


 カクヨムで短編を書いたりして、ずっと『アヴェ・ヴェルム・コルプス』をモチーフに短めのものを書きたいなと思っていて、考えていた時に、机から一枚だけペン入れしたキャラ絵が出てきた。(※キャラ絵は、『K.618』挿絵として近況ノートで公開中)


https://kakuyomu.jp/users/ho1idays/news/16818093088477310835


 この、ひねくれた、救いのない青年をなんとかしたくて、『アヴェ・ヴェルム・コルプス』を勤務中に歌っているシーン(機械の稼働音で誰にも届かない)を思い浮かべたのが始まり。キャラ絵の全体像では、実は青年が包丁を逆手持ちしていて、挿絵としてはトリミングしてあるので(右手が隠れるように)、だからあんな不自然な立ち姿(犯行に向かう前の青年の後ろ姿)が入っている。(漫画プロットで、彼は公休日の夜に工場へ侵入して、夜勤帯で働く人を殺傷してまわり、薬品庫に隠していたガソリンをいて放火するシーンがあった)

 青年の顔や身体に火傷があるのも、放火した際の不手際的なもの。(青年はガソリンの燃焼力を甘く見積もっていて、自らも火傷を負う描写設定があった。実際の犯人程ではないにしろ)(……私がニュースで犯人について知って、吐きそうになった……と言ったら、伝わるかな?)(ほんとに、プロットの設定と現実が偶然、ほんの少し被っただけのことだけど、本当に吐きそうで気持ちが悪くなった)


 当初の(小説の方の)青年には、漫画のプロット設定がそのままで、どれだけ話を進めても青年は救われなかった。これは、青年の設定自体を変えていかないと、ハピエンの短編には到底ならんなと、さすがに私もわかって、(でも、こんなカスみたいな青年でも、何故か私は愛着のようなものを持っていたので)別人にはならないよう、そこだけは留意して変えていった。(漫画プロットの青年が殺害しようとしていたのは、上司だけではなく共に働いていた同僚も一様にだった。何故か? 青年は、夜勤帯で工場勤務する人を自分と重ねて見ていて、その場から殺害することで解放しようとしていた。つまり、漫画のラストは、やりきった青年の自死で締める構成になっていた)(青年への着想自体が、相模原さがみはら障害者施設殺傷事件の犯人からなので。『やまゆり園事件』と言えば、検索してWikipediaを読まなくても薄っすら知っている人、まだ思い出せる人、居るかな?)


 【「(作者が)意味を決めないこと」「(作者が)管理しきらないこと」という魅力が効果的に読者に届けられていると感じました。】魅力として受け取ってくれたんだ。それは、うれしい。【「(作者が)意味を決めないこと」「(作者が)管理しきらないこと」】は、私が必死で残した、漫画プロット設定の青年の名残りから来ているので(元を辿れば)、青年が『言いたくない』『語りたくないこと』、そして作者もそれを地の文でも出さないことは、やっぱりここから来ている。(私の大元の着想が、そもそも後ろ暗いものなので)(なんでこんな病んだ発想をしたかは、現実に私が夜勤帯勤務で、疲弊して、退職して、半年くらい何もできなくなっていた頃だったからだと思う)(書いてる私自身が体調を崩していたので、普通に『救済』を求めていたんですよ。だから『K.618』を読んでくれた人には、青年や少女を通じて、無意識に救いのような何かを見い出そうとしていた様子や、その予感を感じていただけたらいいなって、それだけの話です)


 漫画プロットから小説として成立させるに辺り、青年から、私が作者として奪った(変えた)ものの代わりに、何を与えていったのか?


 漫画でも小説でも、青年の後ろ暗い部分は、それは善悪の悪と描きたくなかった。矛盾しているけど、漫画でも、放火をするのに、根源にあるのはわかりやすい善悪ではないと描きたかった。  

 『K.618』の青年も、(私が彼の比較的小綺麗な面ばかり描写したけど)彼だって孤独に鬱屈うっくつとしたり、理不尽な社員を口汚く言ったりは、全然あるんですよ。(全部書いちゃうと日常が強くなるので、印象操作とまではいかないにしても、日常描写に意図的ではありました。青年が実習生に、『(僕にわかる言葉で)罵倒してくれたっていいさ』となっていたところであり、とどめた箇所ですね。

 読み手がいわんや、うかがい知ってくれたら……いーなー……なんて。別に、知ってくれなくったって、いいっちゃいいんですけどね…………

 【「読者に想像・考察させたいから」書いてしまわないわけなので、読者が想像・考察したくなるような誘導をつけるものと思います。ただ本作にそういう性質はあまり見られない。】いやぁ、ほんと、フィンディルさん。ほんっっとフィンディルさんっ。さほど重要ではないところで、作者はコソコソやってはいたんですよ。それを【あまり見られない】! 【あまり】!! はい、見てる〜〜。フィンディルさん、ちゃんとてる〜〜。(私おもむろに立ち、大きくゆっくりと拍手)…………素晴らしい。(素晴らしい!)


 【“作品の説明”をすることで本作の意味を定義づける。「本作はこういう作品なんだよ」と要約する。これをするほどに本作の魅力が遠ざかってしまう】フィンディルさんの感性は鋭い。そう思いました。気付かれてる。(フィンディルさんがこう文章化するまでには、直感的な気付きと、引っ掛かりへの探り、掘り下げて読み解く工程があったと思うんですよ)だから凄いと、読んでいて私は思う。私は、善悪の悪に該当する行為(放火)を描いて、それは悪意からではないと描こうと試みたかったし、日常を書いて、積み重ねて、非日常の崇高さを描きたかった。(フィンディルさんからの最後にされる指摘にもある通り、私には書ききれなかった。この一作を書ききることはできたけど、到達し得なかった)作者である私でも、この話の概要を語ろうとしてもできないように、私は作品を完成させることはできたけど、完全や完璧には至らなかった。(この章を読んでいる人には、フィンディルさんの指摘に至る凄みに気付いてほしい。作品の本質へ、フィンディルさんは読解から辿り着いていることを)


 【フィンディルが総合的に感じた本作の魅力や良さは「意味を決めないこと」でした。】これは、日常を書き連ねることで描く非日常を、小夜さやの重さも青年の重さも当人が感じている重さとしては同じなんだよと、直裁ちょくさいには言わないけど、実は描写でうるさく言っている。畳み掛けるように辛い思いをしている、二人のクロスオーバーが、それ。

 二人がそれぞれ、目の前に抱えている日常の『今』。【仮に、本当に“自然”を優先すると「僕」は自身の過去を10%も語らないはずです。無作為に切り取った数日で、人が自身の身の上や過去や現状をおさらいする確率は決して高くない。】そうそう。青年が、できる限り不自然ではなく過去語りをするとしたら…………どうする? どうさせる? 散歩に出て、真っ暗な道、人間が思い出にひたる(ひたれる)時間は、手のいた、日常のタスクが一段落ひとだんらくついた時なんですよ。

 【「僕」は目の前の現在のことについて沢山考える必要がある。今日を生きること、今日の仕事、今日しなければならないこと、それらを考えるのに「僕」は精一杯です。遠い過去や遠い未来なんて、余裕のあるときにしか考えてられないのです。】そうですね。追憶は、余裕がないとできないし、哀しむ状態(他者視点だと、あわれみを感じ取れる状態)は、実は精神状態としては贅沢な情動をしている時なんですよ。(内容ではなく、内容量の空き状況的な意味合いで)

 【「僕」の過去が全て書かれなかった理由は、「僕」は現在のことを考えるのに忙しいから。ただそれだけのシンプルな理由と解釈します。】そうなんですよ。そう受け取ってほしかったです。フィンディルさんの解釈は、私に沿っています。(青年に展開上メタい『過去語り』をしてもらうには、加減が難しかった。作者はやり過ぎを越えないよう、不自然でない範囲で、語らせる。及第点くらいはできていたかな? ということが、フィンディルさんの感想から知れて、うれしいです)


 フィンディルさんの読解で感じるのは、素直な受け取り方に由来するであろう『フラットさがあること』で、私はとても惹かれます。向き合い方が、真っ直ぐ。フィンディルさんは、分析力の精度が高い人だと感じます。正しい姿勢で、或いは様々な角度から、観測して得た結果への信頼は、高くなるものでしょう? 証左があってのフラット目線だと、私は思います。

 作品を、コース料理をいただくように咀嚼そしゃくしてくれている印象です。記念日の特別な料理のように、余さず口に入れて、感覚と記憶と思考から、感想が述べられる。作者は食卓の同席者です。私は(私の希望ですが)、食事をするなら、相応ふさわしい相手としたいです。(上から目線での希望ではなく、美味しいものを食べたら美味しい、嫌いなものや苦手なものを食べたらそれがどうだったか話してくれる。そういう人が望ましいと思うのです)私はきっと、フィンディルさんの感想文章へ、何度でも(一つの指標としたくて)戻ってくるでしょう。フィン感は、特別な記憶にもなり得ます。(文章を書く人間に、勧めたくなるポイントです)


 ところで、小ネタを挟みますが……作中冒頭、川っぺりの散歩で青年が、『僕は歩きながら、上を向いた』のは、『涙がこぼれないように』上を向いたんです。(作者自分で言っちゃって『かっこ悪!』ですが)青年は、いまだに泣いてしまう自分が嫌で、泣いてることを認めたくなくて、落涙らくるいしなければ『泣いてない』と判定している。(『涙がこぼれないように』を入れると、あまりにもダサ文になるのでカットした)

 歩いてる途中で上を向く? と違和感が仕事した読み手への、小さなアンサーでした。


 【陽葵ひまりの真意が書かれなかったのは、小夜さやは陽葵ではないから。ただそれだけのシンプルな理由と解釈します。それ以上のものを、作品側が権限を行使して補完してあげる必要はない。】この、青年の過去と対比になっている陽葵の真意についての解釈も、必要性の有無を感じ取ってもらえてるの。作者には、喜び……ですね。書いている意図って、(正確に)伝わるんだと。しかも私が通った道をトレースできていて、作者が出した解へフィンディルさん自身が導き出して、歩いて来ている。驚きですね。読解の確かさが、プロファイリングのようです。


 【方角:北西】、フィン感における方角について。少し探ってみましょうか。


 北西とは、何のことだろう?


 【北:大衆文学的 エンタメ】【多くの人に広く届く面白さを目指した、読みやすく、わかりやすい方向。

 展開や構成などの技術を巧みに使い、作品の面白さを盛りあげます。

 賞を受賞したい、多くの人に評価されたい、人気作になりたいのならば、北北西と北北東の間を向いていることが推奨されます。】


 【西:純文学的 昇華】【誰か(作者含む)の心に深く届く面白さを目指した、人の内面をそのまま抉りとったような方向。正負含めた心のエネルギーを創作にぶつけたような作品。

 展開や構成のお約束を排し、リアルや余韻を追求し、昇華を経た作品も少なくありません。

 昇華を経ていなくても、展開や構成のお約束を排した非作品的な作品は西に近づきます。】(※カクヨムのフィンディル作品より引用)


 あなたの小説の方角はどちら?

https://kakuyomu.jp/works/16818093074649968518/episodes/16818093074650492602


 どうやら『K.618』は、もう少しエンタメ寄りになれていたら、評価も高まった可能性があるのかな?(やればできる子)(それ、できない子に先生が言う台詞では。ヲヲン)


 【本作は小難しい話ではありません。むしろ卑近ひきんな話です。物語を理解するのは難しくない。しかし本作を面白いと感じるには、一定の相性が求められます。本作はどのように読んでいけばいいのか、本作のどこに魅力を見出せばいいのか。】フィンディルさんは、読み方を探ってくれていますね。ありがとうございます。なんかこう『いただきます』と言って、綺麗な箸使いを見ているような心持ち。食べ方が美しい人だなと。

 【連休さんがどのように想定されているかはわかりませんが、「意味を決めないこと」が本作の魅力および読み方であるとフィンディルは考えています。「意味を決めないこと」を読み方に選択してみると、本作はしっくり読めます。非常に読みやすい。】『K.618』がフィンディルさんの嗜好にマッチしたかどうかはともかく、なんとなく作り手的には『食べてくれてる……』というお母さんのような気持ちになってくる。(若干のキモさ)(なんだ、お母さんて。若干どころじゃないぞ)


 【「僕」と小夜は“重苦しい現実を生きる設定のキャラクター”ではなく“眼前の日常を生きている人”として捉えられているとフィンディルは見ています。それが“人”なら、その人の役割や意味を他者が規定するのはナンセンスです。】着想の観点から言うと、作者が主人公を生み出すにあたって、イメージもと材料に『実在の人間』分が多いので、フィンディルさんが感想文章の中で幾度となく、私がキャラではなく人を描いているという読解と解釈は、核心を捉えていて、この手応えはフィンディルさんが感想を書く上でも、根幹を成す解にされてくれていたんじゃないかと、私は推測します。どうですか? フィンディルさん。


 【「意味を決めないこと」について、もう少し具体的な話をしたいと思います。

上述した読み方を象徴するのが「僕」の過去と陽葵ひまりの真意です。特に「僕」の過去は、フィンディルが「意味を決めないこと」を読み方に選択させた主要な理由でもあります。】青年の過去については、過去語りはさせたけど、具体的に詳細はなし。作者からは、登場人物が語りたくないことは書かないと。まぁ、作者がキャラではなく人を描いているからなんだな、へ帰結してくれていますね。(私の感銘文が思いつくまま書いてる状態なので、ちょっとグルグルして申し訳ないですが)

 【何故書かれていないのか。何故連休さんは、「僕」の過去と陽葵ひまりの真意を作中に書くという判断をしなかったのか。連休さんが意識して選択されたかはともかく、フィンディルなりの解釈を示したいと思います。】ここは、フィンディルさんが非常に多方面に渡る視点から眺めて、考えて、コンテキストを読み解こうと、考察と言っても差し支えないフィン感の旨み成分が強い文章なので、フィン感文章の方へ思い切りひたりきってみてください。私、作者からは、感心しきりのハイライトシーンであり、フィンディルさんが『K.618』の読み方へ至る極上の感想文章です。(スタンディングオベーション)


 【フィンディルの解釈について、連休さんが納得感を覚えられたのなら、それは連休さんが本作に込めた表現が読者(フィンディル)に届いているということです。】届いている…………。フィンディルさんにはかなり正確に深く届いている。…………うれしい。作者として、こんなにうれしいことが……あるだろうか……(初めてもらったいいねやコメントの昂奮こうふんとは異なる、未知の衝撃を知ってしまった…………)(打てば返す、これを正確にやってのける読み手は、この世に存在しているぞ。さぁ、どうする? 精進しかあるまい)(ね? 頑張ろう)

 『正確に』では語弊があるな。私より正確に受け取ってくれた。その方が、『正確に』より近しい。


 フィン感を読んでから、アンサーを書きたくて、寝はしましたが、昂奮をエンジンにボケた頭で書いています。老人のようにごとをボヤくのは仕様です。(諦めて)生温なまあたたかい目で見てください。


 【「書かないことにより、書く以上に書く」という表現効果を得ることができます。

ただ本作の場合はこれではないだろうと推測しています。】フィンディルさんが、ここに推測落ち着くの、怖いですよ。どうなってるんですか? どうしてここへ来れたんですか。(それはフィン感を読み込めばわかるけれども! それでも悔しいほどに不思議に思えてしまう、高度な、丁寧な読解……)私は方向音痴でマップが役立たずになるくらい、方向感覚が低いです。フィンディルさんは読解の旅路の途中で、迷うこと、今迷ってるなと自覚できる認識が働くことが、できる人なのでしょうね。私はやぶに突っ込んで、いつか崖から落ちます。小説は書けても、感想は書けません。異能力に羨望。青々とした隣の芝生は、広い庭!


 読解。読み解く、読み手の受け取り、受け取ったもの。フィン感より前に行われた『K.618』の読書実況配信で、私は朗読者の即興的な感想、配信視聴者のコメントを、息をひそめて漏らさず摂取していました。


 実況される麻生津綾音(K.618)

https://kakuyomu.jp/users/ho1idays/news/16818093090322356984


 アンサーに異物混入させたい訳ではなく、私は読み手の読解(配信コメントは、主に私の作品より、朗読者へ向けられたリアクション分の多いコメントではあると、私は受け取っていますが)、これらから意外な驚きをいくつか受けたので、そのことから作者が何をしたのか書かせてください。

 先ず、小夜さや陽葵ひまりの関係性について。作者が書かなかったとは言え、初見のコメントはそうくるかーーと。…………そう。誤読……とは違うが、陽葵はそう見えるのか、小夜はそう解釈されるのかと。

 読書実況は一時間と決まっているので、ラストまで朗読はなされなかった。『K.618』は、重い描写シーンが多いけれども、序盤に青年と小夜の(歌声のみですが)出会いシーンは書いてあるので、作者の思惑では、読み手がハピエンの予感を仄かに想いながら読み進めることができるはず…………と目論もくろんで、いや、信じていられる構成に、なってはいる……よな? と。がしかし、配信終わり間際の、視聴者様方の雰囲気から察するに、あれ、おや、ハピエンへの予感…………感じ取ってくれている人、居な……。えぇ。

 私が関連作、『ピアノ小品集』を書いてしまったの。完全にあせりからの、補足作品作成でしたね。


 『ピアノ小品集』

https://kakuyomu.jp/works/16818023214314530892/episodes/16818093090320313049


 こういった経緯からのフィン感ですよ。わかりますか? 作者の胸中。


 【陽葵ひまりの真意は、小夜さやにとって非常に重要です。陽葵の言動にはどういう意味があるのか、陽葵は自分(小夜)のことをどう思っているのか。この“正解”は小夜にとって非常に重要です。今の小夜はこの“正解”だけを考えて生きていると言っても過言ではありません。そのため小夜の独白は、陽葵の真意の推測に占められている。】そう。推測どころか、願望、希望のようなものですね。

 【しかし小夜の独白に反して、作品としては陽葵の真意にさほど興味を示していないんですよね。結果的に陽葵の真意の“正解”が綴られることはありませんし、それを推理できる決定的な何かが示されることもない。】そう。そうなんですよ。書かなかった。小夜パートは、小夜にわかることしか書かない。青年が過去について、明かしたくない、青年にすれば思い出したくないことは書かない。どちらのパートも、二人それぞれの一人称で、小夜も青年も、他人からどう思われているのか気にしていない。というか知り得ない。だから書かなかった。

 誤解されてもいい、知られたくない、ではなく、私は生きている人間を書いたから、そうなった。(でも、それでも、コメントなどから、意図しなかった方向の読解を知った作者としては、ソワソワしましたね)(私が『ピアノ小品集』を書いてしまった気持ち。多分フィンディルさんなら、苦笑にがわらいしてくれるかも、と私は想像します)


 【連休さんは本作について

―――――――――――――――――――

登場キャラの語りたくないことは出さない。

―――――――――――――――――――

と仰られています。それについて「話が重くなるから」ということも付け足されていましたが、それは“話の重さ”を管理しきりたいからそうしたというよりは、“話の重さ”を管理しきりたくないからそうしたようにフィンディルは見ています。】ここもね、鋭いです。ここから続けられるフィンディルさんの読みは、非実在ではある、登場人物への倫理観念的なものすら感じる感想文章だと、私はそんな印象を持ちました。


 【ただフィンディルとしては、本作には技術が豊かに用いられているように見えています。技巧的と称しても差し支えないくらいには。】この辺は…………技術というより、修正パッチのようなものですね。多用しているから技術に見えましたか? ボロ隠しですよ。

 『K.618』には、見せたくないところ、語りたくないもの、隠したままでいたいこと、知り得ないから想像するしかない、それに応じた処置がそこかしこに沢山ありました。フィンディルさんは技術と言ってくれましたが、そんな大層なものではないと思います。処置が旨くいったんだと、やっぱり私は思ってしまいますね。(このひねくれ者!)


 【しかし、ここには明確な技術があります。連休さんがご自覚されているかは別として、技術がある。】青年が過去語りをする散歩のシーンですね。

 【そこで本作は、この不自然な問わず語りの“不自然”がある程度軽減するような、別の技術を用いているとフィンディルには見えています。】青年が『がえるの説話』を皮肉っぽく持ち出すシーンです。

 【この修辞は読者の存在を作中に部分的に包摂する効果があると考えます。】青年は作中で何回か、誰に向けてか『だろう?』とか『思わない?』と呼びかけをしています。

 【この呼びかけ法が配置されていなければ、「僕」が自身の過去をある程度語る“不自然”はもっと俎上に上げられてしまうようなものだったと思います。】…………これは〜〜…………技術、なんですかね? 修正パッチも処置も、技術といえば技術でしょうか。


 もう一つ、『キャラの配置』と『カットバック形式』についてですね。

 ダブル主人公から。青年と小夜さやは、配信の感想でも『一方は明るくして、対比させるのかと思ったら、どちらも心の悲鳴だった』かな? いや、そらそうでしょう。もう一人連れて来たところで、そんな綺麗な対比なんて、あるもんじゃない。じゃあ何故に小夜をクロスオーバー(交差)させた構成にしたのか?

 そこら辺の『何故?』に対するアンサーは、私からは『いや、そうなるだろ』です。素っ気ないにもほどがありますか。フィンディルさんの(作者より)懇切こんせつ丁寧な解釈を見てください。ほんと、言わなくてもわかるだろ的な『それはそう』を、フィンディルさんは私には持ち得なかった筆致ひっちで書いてくれているので。(これは単純に得意分野の違い。私にない能力)


 青年と小夜の会うか、会わないかについて。これは〜〜〜〜迷いました。いちばん最初の構想では、会うのは歌声のみで一度だけ。でしたが、直ぐに違うなと。

 読書実況でも朗読者さんが『会わないのも美しい』と言っていましたが…………そう、この美しさを捨ててでも、実際に会わせる価値とは? いや、価値なんて考えて生きてない。う〜〜〜〜ん。

 フィンディルさんも書いてるけど、【「出会うかもしれないし出会わないかもしれないし、出会うか出会わないかは重要ではない」が理想だとして、それにかなり近い選択をしているなあという印象です。近似値を出している。】そう。会うか、会わないか。どうして二択なのに、ズバリにはならないのか。

 【本当に、現実的にバランスがとれるような着地をしているなあという印象です。作品が大事にしたいことと、読者の期待・重要視とで、一番重心がとれそうなところを選んでいる。】いいですよ、フィンディルさん、『日和ひよった』で。私の円周率計算には穴があって、ヤスリがけして丸くしたんです。(終わらせたことをもってして、完成とした)

 【おそらく連休さんとしても「ベストな選択とは思っていないが、ベターな選択はできたと思っている」感覚なんじゃないかなと想像します。もしそうなら、フィンディルとしても同意します。】そう。不正とまではいかなくても、どう着地したらいいのか結局わからなくて、私は明確に【ベスト】を見極められないまま、完成させたんです。フィン感には、密かに期待をしていた。(投げやりな)期待があって……もしかしたら、フィンディルさんの指摘から私より【ベスト】なものが提示されるかも……と。


 【締め方(出会わせたが出会いの意味は書かない)は意識的だと思います。】【「出会うけど、出会いの意味は書かない」という塩梅にしよう。】これね。そうです。ここでも書きませんでした。

 青年と小夜さやのハピエンは、海辺で歌声だけ重ねるシーンで、私はもう充分だとしたんですよ。

 一度だけ、すれ違いのような、このシーンを超える出会いを、ラストで実際に会わせるなら、それは、二人にとっても読み手にとっても、『予感のようなもの』……それがいちばん……まさに【ベター】だろうと。

 ここで初めて、読み手に書かれなかった未来をあれこれ想像してくれたらいいな、という余白、余韻にしました。


 【作品のひとつひとつを見ればベターにまとめられていて納得感があってこれでいい気がするけれど、作品全体を眺めたときにこれでいいような気がしない。そういう「できているはずなのに、できていない気がする」という感覚を、連休さんは本作に対して持ってらっしゃいませんでしょうか。】私が書いてる時、フィンディルさん居ました? 頭の中、覗き見でもしたんですか? まんまその通りです。【できていない気がする】〜〜、私全く同じ台詞ボヤいてたかもしれません。(マジで)


 【本作に本来似合う誉め言葉は「上手い作品」ではなく「すごい作品」だろうと思います。フィンディルには本作はまだ「上手い作品」に見えています。】ここは…………ちょっと素直に喜ばせてください。(わーーーーい! やったぁ)あのですね、喜ぶポイント、もう少しフィン感文章の前の方だろ? そこじゃないだろ? …………いーや、いやいやいや。ここで、いいんです。ここが私はうれしい。フィンディルさんは、『K.618』の上位の姿に仕上がっていたならのifに与えられたであろう言葉を【すごい作品】と言われている。(まぁ、私は届かなかったけれども)やりきった者にしか、チャレンジ賞の価値は響かないし、フィンディルさんは私の書いたものに完成の光明を想像してくれた。私は今はこれを糧にしたいから、喜びとして受け取り、手放さない。


 (からの〜)【ただ連休さんが本作に「何か、何かなあ」という殻を感じていたとして、この殻は技術と課題解決を積みあげていくスタンスが生みだしているというフィンディルの見解は、何かしらの参考になるかもしれません。】うんうん。

 フィンディルさん発【いくつか考え方をばらまいてみます。】助かります。


 【この表現・課題ではあえてバランスを放置してみる。あえて偏った表現にしてみる。そうすると全体で見たときに何故かバランスが整っているということもあります。】これ! 特に良いですね。好きです。

 ほんと直ぐ取り入れたいけど、使いこなす……というか、良い作用へ働くように、いや、私は考え過ぎで陥るのかもしれませんね。課題として、書いてる時に気を付けて、留意してみたいと思います。


 【あるいは、本当に余計なことは何も考えず、ひたすら「僕」や小夜さやという“人”を描いてみるのもアリかもしれません。】これは、非常に良いアドバイスと私は受け取ります。  

 『K.618』では、構成の為に青年や少女たちに作為的なものを強いているきらいがあったので、作者視点での申し訳なさや、かわいそうに思っている節がありました。『ピアノ小品集』を書いてみたことで気付き、自覚して反省した点です。

 『ピアノ小品集』では、短いながら青年や陽葵ひまりの人間らしい描写が少しはできて、書いていて私も楽しかったです。


 ここで、青年の名前についての小ネタを一つ。あれだけ作者と付き合いの長い青年でありながら、名無し。『ピアノ小品集』では、なんとか彼の名前を無理くり、出してみました。

 人名ネーミングのセンスがない私は、よく検索して名付けランキングとか参考にするのですが、今回は脳味噌圧搾あっさくして、名付けてみました。麻生津綾音おおつあやと。モーツァルトの読みから、もじりですね。(え? 遠くない?)最後の最後までアヴェ・ヴェルム・コルプス頼りでした。


 【意外と本作の連休さんからはプロデューサーっぽさを感じるんですよね。プロデューサー的な視座で執筆されている印象を受けます。】ドキ! ……………………ヒャーーーー

 フィンディルさん、やっぱどこかに居ました? 見てました?(そういう話ではないw)

 恥ずかしい話、作者でいる時の自分は、創造神的な神視点ではあるかもしれませんね。ちょっとマジで小っ恥ずかしいので、字書きは書いてる時、そうだよね? ね? と同意を求めたい。


 最後に、フィンディルさんからの【個人的には、連休さんが物足りなさを覚えてらっしゃるならばそこに同意してあげるのが、フィンディルに今できる一番のことなのかなと思います。】この言葉。

 『K.618』のベターな完成という形に対する、最大の感想と、私は受け取りたいです。フィンディルさん、誠にありがとうございました。





 作品の分析と読解によって導き出して提示された、最も合った読み方、読み解き方。

 作者への作品の感想でありながら、魅力として紐解いて言語化してくれた解釈の数々。

 技術と称してくれた、作者の試行錯誤について、その働きが作用している様子の、丁寧な解説。

 

 私はこのアンサーを書くにあたって、フィンディルさんの感想文章を何度も見ながら書いてるうちに、『K.618』に至るまでの着想元まで記憶を遡って、追想することができました。(青年が、私と今ここまでやって来れて、それはとても長かったんだなぁと)

 総合的に、本当に良い体験をさせていただきました。このアンサーは、フィンディルさんに捧げる、感謝です。私は、感想文章を書くのは下手くそですが、受け取っていただけたら幸いです。

 

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