第4話 お礼に一曲歌ってよ
「待て、小娘」
怒鳴り声と罵声。声のする方を向く。
太った男が、少女を追いかけている。
ソイツの顔は、漫画に登場するような悪党顔をしている。
彼女は涙混じりの形相で、必死に駆けている。
だが、そんな少女を誰も助けしようとしない。
――そんなにあのデブが怖いのか?
それで、見捨てるのか?
僕たちの前を、荒い息で、フラつく足取りで走り抜けようとする。
既に歩いているのと代わらない速さで。
走り疲れたのだろう、少女は蹌踉めき、転びそうになる。
僕は彼女の手を取る。
たたらを踏む少女、どうにか転ばずにすんだ。
「あの、リョウタ様」とデルクさん。
「その子は――」
僕はデルクさんの言葉を聞かないで、追いかけて来た男を睨む。
「おい小僧。『ソレ』をちゃんと捕まえておけよ」と威張り散らす声。
先ほどの太った男だ。
「何だって」このビヤ樽野郎、女の子を物みたいに言いやがって。
「その小娘はなあ、俺の奴隷だ。その印がそうだ!」
「奴隷?」
僕は少女を見やる。彼女の額に薄らと文様が浮かんでいる。
「違います。騙されたんです、アイツは……」否定する少女。
「アイツが、仕事を紹介してくれるって……」
太った男は、哄笑を浮かべると「黙れ」と小さく呟いた。
少女の身体はビクン跳ねて、動きを止めた。
「手間取らせやがって」
男の手に握られているのは羊皮紙、文字が浮かび上がり光っている。
太った男は、汗で脂ぎった額を手で拭うと
「ガハハ」と高笑いし始めた。まさに悪役、という嫌らしい笑顔で。
少女は動きを止める。まるで蝋人形のようだ。
「この子は」
「奴隷契約の証書。そののチカラです。残念ですが――」とデルクさんはそう言って首を左右に振った。
「その小娘はなあ、俺様の店で飲み食いをしたあげく、逃げだしやがったんだ。
薄汚いこそ泥よお」と自信満々のデブ野郎。
「そんなことで、奴隷に」
「あの子は騙されたのでしょう。つい今し方みたいで、契約書のチカラが浸透していないみたいです」
「それじゃ、どうにかして無効にしなきゃ」
「騙されたとしても、契約は契約です。
契約書の履行は絶対なのです」
とデルクさんは、無念そうに首を振る。
商人として、契約書の意味は絶対なのだろうか。
「カカカッ。汚れちまったなあ。
仕方ねえ、今から綺麗にして確かめなければなあ」
嫌らしい笑みを浮かべるデブ野郎。
僕は眉をひそめる。どうせ碌でもないことをするつもりなんだろう。
「あの男は証拠を絶対に残しません。悪党ですが、色々と太いツテを持っているのです」
僕には良く分からない。彼女を縛っているのは、魔法の類いなのだろう。
魔法の契約書、違反すると呪いが掛かるみたいだ。
正直な所、僕はこの子を助ける義理は無い。
衛士がいるのだから彼らに任せた方が確実だろう。
――だけど
(気にくわないんだよな)
転生したこの世界。異世界情緒があるし、意外とと不便ではなさそうだ。魔法文明が面白くて興味深い。
そう思っていたんだよ。
だが、今目の前で繰り広げられる光景は、そんな正の面とは逆に負の面で、強烈だ。
この世界の命の値段は安いだろうとは、容易に想像出来た。
命を張った冒険者ギルドが、商売として成立しているのだから。
目の前で行われている奴隷の強要も、ただ僕が知らないだけで何処かで行われているのだろう。
単純に、この少女を助けてあげたい。
この子一人救っても意味は無いのかもしれない。ただの偽善なのかもしれない。
だが、やらない善意よりもやる偽善の方が良いに決まっている。
ただの格好付けかもしれないが、この子を助けたい。
衛士が来るまで粘ればどうにかなるだろう。
ここまであからさまな行為を見て、何もしないならば、この国は終わっているぞ。
突然の強風が周囲に吹き荒れる。
突風が、デブ野郎から契約書を巻き上げた。
「それ」ミラが契約書をキャッチ。
次にサラに手渡して、彼女はパッパと汚れを払う。
「主様、どうぞですー」
「有り難う、ミラにサラ。お手柄だぞ」
「エヘヘ」と照れる二人。
「こ、この野郎。返せ! 俺の契約書だ」
怒鳴り散らすデブ野郎。ソイツの声を無視して、僕は契約書を読む。
誰かの名前、恐らく少女のもの。だが、肝心のインクは薄いようだ。
(インク代をケチったのか)
アイツにとって大切であろう契約書を始末する間抜けぶり。
僕はぞんざいにサインを指で擦る。すると簡単に消えていった。
残ったインクで爪で適当に文字を付け足す。間抜けと。
「この字、間違っているんじゃない」とうそぶく。
「は、素人が。俺が間違えるハズが無い。目ん玉腐ってるんじゃねえか」
とデブ野郎。
「そっちの目玉こそ何を映してるんだ。名前なんて、何処に書いてるんだよ」
そう言い返す。
「どれどれ」
とデルクさんが僕たちの間に割って入り、契約書をジッと見つめる。
「この契約書は不正ですね。落書きほどの価値もありませんよ」
そう言って契約書をヒラヒラさせる。
サインのところは、消え去り空白である。
「ゾルゲ氏。あなた虚偽罪で訴えられますよ?」
「そ、そんな馬鹿な」
とゾルゲはデルクさんから大慌て契約書をひったくると、何度も見返す。
「な、何故だ。あのインクは絶対に消えないハズだ……」と呻くゾルゲ。
嘘つけ、簡単に消えたぞ。大方インク代でもケチったんだろう。がめつそうな顔しているからな。
「それじゃ、これはただの紙切れだね」
僕はゾルゲから偽の契約書をひったくると手に取り、ビリビリと破り捨てた。
「あ、それは……。何故破れるんだ?」
太った男は顔を青ざめて、僕を指さす。
「何故って、ただの落書きなんだろ?」
僕は偽物をちぎる。新聞紙を破るみたいなもので、至極簡単だ。
「そ、そんな馬鹿な」
「馬鹿なのはお前の方だろう。ねえデルクさん、この街の衛士と連絡を取りたいんですけれど?」
「ええ、是非しましょう。衛士の知り合いがいますから」デルクさんは、ニンマリと笑いながら小柄な箱を取り出す。
「もしもし、デルクですが――」
トランシーバーみたいに見える。携帯電話なのだろうか。
今になって周囲の連中も騒ぎ出す。興味本位の野次馬ばかりだ、遅いぞ。
「う、ぐぐぐ。覚えていろよ」
太った男は陳腐な捨て台詞を残して逃げ出した。
ポツンとその場にへたり込んでいる少女。唖然とした顔をしている。
「あ、あの。あの……」
少女は口をパクパク動かす。
突然のことに理解が追いついていないのかもしれない。
顔色も冴えないし、ぎこちない。ボロボロと涙も流している。
(まあ、奴隷にされて連れて行かれる寸前だったんだ、無理も無い話だけれど……)
女の子の泣き顔は嫌いだ。
どうにかして緊張感をほぐしてあげたい。
(よし)僕のとっておきのオタ芸を見せてあげよう。
好きなアイドルの曲に乗せたタップダンス。これだけは自信がある。
僕の動きを見よう見まねで、リアとサラも踊る。何だか楽しくなってきた。
デルクさんが手拍子を打つ。
少しずつ周囲に人が集まる。
(おお、足が上がるぞ)
若返った分だけ身体が軽い。ヘルニアも完治している。
ようし、調子に乗った僕は、思い切り足を上げて……。
ステンとすっころんでしまう。盛大に尻餅をついてしまった。
「いてて……」
サッとサラとリアが僕を起こしに来てくれる。
その最中に、少女と目が合う。
彼女は、思わず吹き出した。
「もう大丈夫だよ。安心して」
「は、はい」
少女の顔に安堵の笑みが浮かぶ。
「あの、お貴族様。助けていただいて有り難うございます」ペコリと頭を下げる。
「アタシの名前は、エレナ。エレナ・カンポーラと言います」
「お貴族様か、そんな大層な者じゃないんだけどなあ
僕の名前は亮太・皆川だ」
「はい、ミナガワ様。
……ミナガワ様は、お優しいのですね」
エレナは再び頭を下げた。
僕は苦笑する。普通のサラリーマンだったのに、そんなに畏まられても困る。
エレナは、まだ少し緊張しているみたいだ。
「アタシは、これからどうなるんでしょう。また売られるのでしょうか」
「いや、契約書は偽物だったんだろう? もう大丈夫だよ」
「そうです、よね」
「ああ。だから気にしないでいいよ」
「はい。ですが……」
少し気が晴れたみたいだけれど、エレナは、まだ僕を完全には信用していないみたいだ。
(お貴族様。僕は自分が貴族だなんて一言も言っていないんだけどなあ)
勘違いな身分差に緊張しているのだろうか。それとも、今後の身の振り方に戸惑っているのだろうか。
「……そうか。それなら、お礼に一曲歌ってよ」
「歌、ですか?」
少女は戸惑う瞳で僕を見詰める。僕は優しく微笑みかけた。
「ああ。君が好きな歌でかまわない。
歌はね、安らぎを与えてくれるんだぜ」
納期ギリギリの仕事、終わりの見えない残業、帰ったら寝るだけの家、アホな上司等々。
それでも、好きな歌を聴いたり歌ったりしていたら、いつの間にかやる気が湧いてきたんだよ。
「で、では」
エレナは瞳を閉じ、歌い始めた。
当たり前だけど初めて聞く歌。聞いた感じでは童謡みたいだ。
エレナは緊張し震えている。時々音程がズレているようだ。
「大丈夫。ゆっくりと、君のペースで歌って良いんだよ」
僕はエレナの肩をそっと触れる。
彼女の震えが収まっていくのが分かる。
彼女の頼り投げない瞳の色に、力強い光が一瞬輝いて見えた。
彼女の声が変わった。想いの籠もった声。
僕に対しての感謝と、奴隷を免れた嬉しさ。
複雑な色が『見えた』。それは淡い桃色の光だ。
(ん?)彼女の身体を覆っていく、淡い桃色の光。
デルクさんや周囲の人たちは、誰も気にしていないみたいだ。
この世界では当たり前のことなのだろうか
それとも誰にも見えていないのだろうか。
エレナから漏れ出す桃色の光は、周囲の人たちにまで伝播していく。
その淡い光に包まれた人たちは、一様に笑顔となり、誰ともなく手拍子をし始める。
彼女は手拍子に合わせて即興の踊りを披露する。
エレナの拙いが、明るくて元気を与えるような歌声が、踊りが桃色の光と供に周囲を優しく包み込む。
彼女が歌い終える。
心が温かくなるような、良い歌だった。
僕は、ふと元の世界のことを思い出した。
駆け出しで、知名度なんて全く無いアイドルのことを。
ふとした切っ掛けで知り、オタク仲間と供に彼女たちを応援していたことを。
(未練かもな)
もう戻れない元の世界のことを、少しだけ思い出したのだった。
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