彼女がつま先立ちする事情

久良紀緒

#1

あたしとあいつは幼稚園からの幼馴染。


同じ幼稚園で初めて見たあいつの第一印象は、背が低い男の子。


何をするのも少しどんくさくて、失敗ばかりしているのを覚えている。


あたしは3人姉妹の一番年上で、お母さんから褒められるのがうれしくて、妹たちの面倒をよく見ていた。


その性格もあってか、いつも失敗ばかりしているあいつが気になって、ついつい手を差し伸べていた。


失敗しても、いつもニコニコしていて、少しイラっとしたことが何度もあったけど、「ありがとう」と素直にお礼を言ってくれるので結局幼稚園の間はずっと気にかけていた。



小学校に入ってから、あいつとの関係は幼稚園のころと大きくは変わらなかった。


ただ変わったのは、あいつの身長が少しだけ伸びていたこと。


年下のダメな弟だと思っていたあいつが、急に背が伸び始めて、お姉さん気分だったあたしの地位を脅かしだしたからちょっといい気はしない。


ついつい学校で意地悪してしまって、家にかえってから少し自分が嫌になったりもした。


そんな時でもあいつはあたしが意地悪したことに気づいていないのか、幼稚園の時と同じようにニコニコしていた。

その笑顔が少し、私の気持ちを逆なでして、腹立たしく思ったりもした。



そして、小学校6年生の身体測定の時、ついにあいつの身長があたしと並んだ。


測定の前から、身長差がほとんど無くなってきていることに気づいてはいた。

負けたくないという一心で、あいつのそばにいるときは、いつもこっそりと軽くつま先立ちをしていた。


身体測定の日に、こっそりとあいつの測定票を見て、身長が同じになったことを知った。

ただひたすら、ショックだった。


お姉さんだったあたしが、弟だったあいつに身長で並ばれるなんて。


それでも、あたしの測定票があいつに見られてなかったことがせめてもの救い。


そこからあたしは、あいつのそばにいるときはずっとつま先立ちをして、あたしの方が背が高いアピールを続けていた。

あたしの方が大きいんだ・・・

あたしの方がお姉さんなんだ・・・


つま先立ちを続けていると、ふくらはぎが痛くなることもあった。

それでも、あたしの方が背が高いんだ、弟のあいつに負けてはいけないんだとよくわからない意地を張り続けていた。



中学校に入って、あたしはバスケットボール部に入部した。


それは、バスケットボール部に入れば、背が伸びると聞いたからだった。


あたしがバスケットボール部に入るというと、あいつも一緒に入ると言ってきた。

そんなの絶対に嫌だ。


あいつがバスケットボール部に入るなら、あたしは二度とあいつと話をしない、絶交だと子供のように駄々をこねた。

それを聞いて、いつも笑っていたあいつは少しだけ悲しげな表情を浮かべた。


そして、あいつはバスケットボール部に入るのを断念し、帰宅部を選んだ。


あの時見せた悲しげな表情が何を意味していたのか、あたしには良くわからなかった。

けど、これ以上身長に差をつけられるわけにはいかなかったので、その時は結果オーライと思った。


中学校では、背が伸びるからと聞いて、あまり好きではない牛乳も毎日飲んだ。


あたし自身でも、なんでここまで身長にこだわっているのか、あいつのお姉さんでいることにこだわっているのか良く分からなかった。

ただ、どうしてもあいつに身長で負けたくない。

あいつのお姉さんで居続けたいという気持ちだけが、強く心の中にあった。


バスケットボール部では、先輩からあたしのシュートフォームが綺麗だと褒められた。

飛び上がって投げる瞬間に、つま先までピンと伸びていて美しいと。


それもそうだろう。

小学校時代にいつもつま先立ちしていた経験のおかげですとは言えなかった。

ただ、先輩のことばに笑顔で黙って答えることしかできなかった。


これも、間接的にはあいつのおかげかもなんて考えながら・・・


中学校でそれだけ頑張ったにもかかわらず、あたしの身長は結局あまり伸びなかった。

160センチを超えたあたりで、ピタッと止まってしまった。


そして、あいつはというと、帰宅部で特に運動もしていなかったにもかかわらず、かなり伸びていた。

中学校を卒業する時に、あいつの身長は180センチを超えていた。


今ではあたしがいくらつま先立ちしても、あいつの背に届くことはないほどに、身長差ができてしまった。


あとから聞いた話では、あいつは夜9時には寝ていたらしい。

そういえば、昔から「寝る子は育つ」と言われていた。

それに比べて、あたしは部活が終わってから、本を読んだり宿題をしたりして、夜更かしばかりしていた。


あたしの中学時代の頑張りは、一体何だったのだろう。


ここまで身長差ができてしまったら、もうあいつのお姉さんも引退するしかないじゃない。


幼稚園の頃から、あたしの後ろについてきた、可愛い弟のようなあいつだったのに。

もうお姉さんになれないんだと思うと、急に悲しくなってきた。


あいつといっしょにいるとき、そんな気持ちがあふれて、涙があふれてしまった。

あたしの涙を見て、オロオロとするあいつ。


こんなところは、昔からあんまり変わってないんだと少し安心した。


お姉さん気分がまだ残っていたせいもあって、弟を困らせてはいけないという気持ちから、涙の理由をついついあいつに話してしまった。


すると、驚いたような顔をした後、いつものニコニコ顔を見せた。

「それじゃぁ、お姉ちゃんはもう卒業なんだね。」

「だって、身長が低いお姉ちゃんなんて、おかしいじゃない。」

「なら、ちょうど良かった。」

「良かったって、何がよ。」

お姉さんができなくなって悲しむあたしに、『良かった』はひどくない?


そんなに、あたしとの関係が嫌だったの?

なんて思ていると、彼からひとこと。


「だって、お姉ちゃんのままだと、好きって告白できないじゃん。」

あいつが頬を少し赤らめながら、あたしの顔をまじまじと見つめる。


「好きって・・・えっ?」

驚くあたしの顔のそばまで、あいつの顔が近づいてくる。


そして、あたしの唇にあいつの唇が触れた。


その瞬間に、これまで身長にこだわり続けた・・・お姉さんの役割を演じようとしていたあたしの気持ちの本当の理由が分かった。


あたしは、あいつとずっと一緒にいたかったんだ。


あいつが一人で何でもできるようになって、あたしが何も手助けできなくなると、あいつとあたしの関係が薄れてしまう。

やがて、あたしからあいつが離れて行ってしまうかもしれない。

それが怖かったから、お姉さんで居続けようとしていたんだ。


あいつからキスをされて、ようやくあたしの本当の気持ち・・・あいつのことが好きだと分かった。


「いきなりキスするなんて、びっくりするじゃない。」

照れ隠しのつもりで、驚いたふりをする。

あたしの顔がほてっている。きっと頬が赤くなっていると思う。


「ごめん。つい好きな気持ちがあふれてしまって・・・」

あいつが少し照れくさそうに答えた。


「身長差があると、キスしにくかったんじゃない?」

ついつい年下の弟を気遣うようにお姉さんの気分で聞いてしまう。


「んー、それはちょっとあるかな。」

悪びれもせず、素直に答えるあいつ。


「だったら、これならどう?」

そういって、あたしは目をつぶって、つま先立ちになった。


あいつは少し不安定になったあたしの肩を手で支えてくれた。


そして、唇に当たるあいつの感触。


一度目よりも二度目のキスの方が、少し長かった。


「こっちの方が、やりやすいかも。」

「じゃぁ、次からも、こうしよっか。」


こうして、あたしとあいつは弟と姉のような関係を卒業し、恋人同士になった。


姉であり続けるために、背を高くするために渋々やっていたつま先立ち。

理由は変わって、うれしさと恥ずかしさを抱きつつ、あたしは今でもつま先立ちをしている。


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