第12話 保険はたくさんかけておいたほうがいい

 アンジェリカ・バードレイが休日のたびに街の噴水の前をウロウロしている。


 その報告を受けたとき、わたくしは思わず眉をひそめた。


 報告を届けてきたのは、公爵家に仕える影――いわゆる、裏の情報収集を専門とする者たちだ。彼らは日々、わたくしのために動き、必要な情報を集めてくれている。


「噴水の前で、ですって?」


 わたくしは繰り返しながら、心の中でその意味を考えた。


 「ローズ・オブ・セレナーデ」のイベントの一つに、噴水での再会という重要な場面がある。

 攻略対象の一人である暗殺者が、ヒロインと噴水で出会い、そこから彼の物語が動き出すのだ。


 だが、この世界ではその暗殺者――レイはすでに処刑されている。


 処刑の報せが届いたとき、わたくしは正直、安堵した。

 彼はゲームの中でも特に危険なキャラクターであり、ヒロインと親しくなることで悪事を軽々と行ってしまうことが多かったからだ。


 そんな彼がいない以上、噴水前でイベントが起こるはずがない。


 にもかかわらず、アンジェリカが噴水の前をうろつくのは、ゲーム通りのイベントを起こしたいからに他ならない。


(アンジェリカ……やはり、前世の記憶を持っているのね)


 彼女が「逆ハーレム」を目指しているのは明らかだ。

 そのためには、悪役令嬢であるわたくしがその恋を妨害し、それを乗り越えて愛を育まないとならない。


 でも当然、わたくしがそんなことをするつもりはない。


 だってアラン殿下の有責で婚約解消できるなら、それに越したことはないもの。


 一般に、婚約を解消された貴族の娘が新たな相手を見つけるのは難しい。爵位を受け継ぐ有望な嫡男は、既に婚約していることが多いからだ。


 ただ選ばなければ、それなりに相手はいるものだ。


 わたくしの場合は、アラン殿下の有責であればそれなりの賠償金をもらえるだろうし、父から余っている爵位をもらって新たな家の当主になってもいい。


 わたくしに爵位があれば、婿になりたい男性は選び放題だ。


 アラン殿下の有責で婚約解消できれば、の話だけれど。


 もし冤罪でわたくしの有責ということにでもなったら、わたくしの立場はかなり苦しくなる。

 ゲームでのように、公爵家から除籍されて追放か、最果ての修道院に押し込まれるか。


 いずれにしても未来は暗い。


 ゲームのヒロインが悪役令嬢を断罪する構図は、アンジェリカの記憶の中に刻まれているはず。


 アンジェリカが無理やりにでも逆ハーレムを望むのであれば、彼女は、ゲームの筋書きを元に冤罪を仕掛けてくるに違いない。


(実際に罪を犯しているならともかく、冤罪なんて。……そんな未来、絶対に受け入れられないわ)


 王太子アラン殿下との婚約が断罪という形で終わりを迎え、すべてを失う未来――そんなものは真っ平ごめんだ。


 だからこそ、わたくしは色々と行動を起こしている。


 パトリック様とのダンジョン行きもそうだが、もう一つの保険は、わたくしがアンジェリカに手を出していないことを証明する証人の確保だ。


 そのために、公爵家の影が、毎日のわたくしの行動を詳細に記録してくれている。


 それは万が一、アンジェリカが何かしらの罪をわたくしに着せようとしても、事実によってそれを否定できるようにするためだ。


 そもそも、王太子の婚約者という立場上、王家の影もまたわたくしを監視している。


 王家が監視しているなら、公爵家の影など不要では、と思う人もいるだろう。けれど、それは甘い考えだ。


 アラン殿下は次の国王。その身を守るために、王家がわたくしを切り捨てる可能性も十分にある。

 いや、それどころか、公爵家自体が王国のためにわたくしを犠牲にすることだって考えられるのだ。


(一人だけが犠牲になれば、すべては丸く収まるものね)


 でも、そんな理屈で見捨てられる未来など、到底認められない。

 だからこそ、わたくしは公爵家の影を子飼いにしている。


 わたくしが買うドレス一枚で、優秀な影を何人も雇うことができるのだから、雇わない理由などない。


 さらに、彼らが裏切らないように、その家族を抑えている。


 特に、影の長である男には病弱な娘がいる。


 その娘には特殊な薬が必要で、それを購入できるのは裕福な貴族だけだ。

 今、わたくしはその薬代を援助しているが、働き次第では――そう、学園の卒業式が終わったら、神殿に頼んで最高級の治癒魔法を受けさせてやることもできる。


(つまり、彼らがわたくしに絶対の忠誠を尽くすのは、わたくしが彼らの未来を握っているから)


 わたくしがこれほどまでに備えを固めるのは、すべて自分を守るためだ。

 もし彼らがいなければ、アンジェリカが仕掛けてくる冤罪に対抗する術は限られてしまうだろう。


 公爵家も王家も信用できない以上、自分の身は自分で守るしかない。


「おーほっほ。どんな未来が待っていようと、わたくしは絶対に負けませんわ」


 久しぶりの高らかな笑い声が、わたくしの部屋に響き渡る。


 この先アンジェリカがどんな手を使ってきても、わたくしは必ず勝ちますわ!

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