第8話 パトリックの提案
「こちらへどうぞ。神殿の内部をご案内いたします」
柔らかな声に促され、わたくしはパトリックの後について歩き出した。
神殿の廊下は白い石造りで、磨き上げられた床が歩くたびに光を反射する。
高い天井には荘厳なアーチがかかり、ところどころに並ぶステンドグラスが神々の物語を描き出していた。
その色とりどりの光が床に幻想的な模様を落とし、まるで異世界に迷い込んだかのような錯覚を覚える。
(わたくしにとって、こここそが異世界なのだけれど……それとはまた別の、神々の世界のようだわ)
「この神殿は建国当時から存在し、王国の精神的な柱として崇められています。騎士たちはここで鍛錬を積み、司祭たちは神々に祈りを捧げているのです」
パトリックの説明は穏やかだが、その言葉の一つ一つに敬虔さが宿っているのがわかる。
わたくしは彼の後姿を見つめながら、自然と感嘆のため息が漏れた。
(パトリック様は、やはり素晴らしい方ね)
その佇まいからは一切の隙がなく、王族としての威厳と聖騎士としての品格が見事に調和している。
黒髪と紫の瞳が柔らかな光を受けて輝き、彼の存在そのものが神殿の一部であるかのように見える。
(豪華で静謐な神殿に負けないくらい……いえ、それに負けないくらい、パトリック様の存在は際立っている)
だからこそ、彼が王太子でないのは惜しいと思った。
アランの婚約者だった時にはあまり接点がなかったので気がつかなかったけれど、パトリックを王にと推す一派がいるのは当然だ。
だが、彼はその立場をよく理解しているのだろう。
パトリックが王太子の地位に就くことはなく、王位継承権もあくまでアラン殿下の次に過ぎない。
それゆえ世俗から距離を置き、神殿騎士としての道を選んだ。
そしてその選択に後悔しているようには見えない。
むしろ、自らの立場を受け入れ、全うしようとするその姿勢には、わたくしも尊敬の念を抱かずにはいられない。
パトリックはやがて大きな扉の前で立ち止まり、軽く振り返った。
「ここが聖騎士たちの祈りの場です。日々の鍛錬の後、この場所で心を清め、神に感謝を捧げます」
扉を開けると、そこには広々とした礼拝堂が広がっていた。
中央には神々の像が並び、その足元には祈りを捧げるための席が整然と並んでいる。
高い窓から差し込む光が神々の像を照らし出し、厳かな雰囲気を一層際立たせていた。
「素晴らしい場所ですね……」
思わず口をついて出たわたくしの言葉に、パトリックは微笑みを浮かべた。
「ありがとうございます。この神殿は、私にとっても特別な場所です。ここで学び、祈り、そして騎士としての役割を果たしてきました」
わたくしは彼の真剣な表情に心を打たれた。アラン殿下とはまるで違う――そう感じてしまうのは仕方がないだろう。
(パトリックは、王族としても騎士としても、完璧な人物ね。……本当に、側妃の子でさえなければ、彼こそが国王にふさわしいわ)
けれどパトリックはそんな未来は望んでいないのだろう。
こうして見る表情は穏やかで、神殿騎士の職務を誇りに思っているのが伝わってくる。
「パトリック様は、いずれは司祭長になられるのでしょうか?」
ふと、そんな言葉が口をついて出た。
「そのように言われることもありますが、まだまだ未熟です。今はただ、神殿騎士としての役割に専念したいと思っています」
謙虚な答えに、わたくしの胸がじんと熱くなった。
もっと早くにこの方のことを知りたかったと強く思う。
そうすれば、コーエン公爵家が神殿騎士以外の道を、選ばせてあげられたかもしれないのに。
きっとそんな同情すら、パトリックには必要ないのかもしれないけれど、それでも……。
やがて、彼は足を止め、わたくしを振り返った。
「ヴィクトリア嬢の《浄化の炎》についてですが、その力はアンデッドにも効果があるのではないかと推測しています」
「アンデッドに……ですか?」
その言葉に、わたくしは少し驚いて問い返した。
「ええ。アンデッドは炎に弱いという特性を持っています。そこに浄化の効果が加わるならば、討伐が容易になるのではないでしょうか。ただ、それを確かめるためには、実際に試してみる必要があります」
確かに、《浄化の炎》がアンデッドに効果的であるなら、それは大きな力となるだろう。
けれど、アンデッドは通常、ダンジョンに出現するか、地上の墓地から発生する。
しかも地上に現れるアンデッドは、近隣の村を襲う危険性があるため、すぐに討伐されてしまう。そのため、実際に試す機会は限られているのが現実だ。
「そこで提案があるのですが……。今度、ダンジョンにご同行いただけませんか?」
パトリック様の言葉に、わたくしは驚いて再び聞き返した。
「ダンジョン、ですか?」
「ええ。もし《浄化の炎》がアンデッドに有効であれば、その効果を確かめる良い機会になるかと思います。もちろん、私もご一緒しますので、安全には十分配慮いたします」
なるほど。それならば行ってもいいかもしれない。
歴代の神殿騎士の中でも最も強いと言われているパトリックが同行してくれるのなら、危険性も最小限に抑えられるはずだ。
わたくしは静かに頷いた。
「ありがとうございます。ぜひ、そのお申し出をお受けいたしますわ」
パトリックは柔らかく微笑み、深く礼を取った。
「感謝いたします。それでは、準備が整い次第、日程をお伝えいたします」
こうして、わたくしとパトリックの初めての共同作業が始まることになった。
わたくしの《浄化の炎》の力がどこまで通用するのか――それを確かめる日が待ち遠しいと感じる自分がいた。
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