第3話 未来のための火魔法の修行
新学期の慌ただしさがひと段落ついた休日、わたくしは再びコーエン公爵家の庭で火魔法の修行に励んでいた。
コーエン公爵家の敷地はとても広大だ。
中庭には魔法訓練専用の区画が設けられ、そこには周囲への被害を防ぐための魔除けの結界が張られている。
魔力が暴発しても、結界内で全て吸収されるため、わたくしのように炎を使う魔法使いでも存分に力を発揮できる。
公爵家の潤沢な財力があってこその環境だ。
心の中で小さく感謝しながらも、同時に「この家を追われたらどうなるのか」という不安が頭をよぎる。
追放されても生き抜くための力を身につけなければ――その一心で、わたくしは杖を強く握りしめた。
火魔法は攻撃力が高い分、制御が難しいと言われている。
それを、さらに「聖性」を帯びた特殊な力として昇華させたのが《浄化の炎》だ。
古い魔術書にわずかな記録があるだけで、実際に使いこなした例はほとんどない。
わたくしがこの炎を編み出したのは、幼い頃からの努力の賜物だが、まだ完全に制御できているとは言えない。
杖を構え、深呼吸を一つ。
腹の底から魔力を引き上げ、慎重にそれを練り上げていく。
次第に手元に橙色の火球が浮かび上がる。
その炎の輪郭が揺らめき、やがて白く輝く光を纏い始めた。
これが《浄化の炎》の兆し。
わたくしは全神経を集中させながら、的に向かって杖を振り下ろす。
「はぁっ……!」
火球が一直線に飛び、的に命中すると同時に、ボンッという破裂音とともに閃光が広がった。
その光はわたくしの顔を照らし、わずかながら清浄な気配を感じさせる。成功だ。
だが次の瞬間、魔力を使い果たした反動で体がどっと重くなり、息が荒れる。
「はぁ、はぁ……。やはり、まだ負担が大きいですわね」
額に滲む汗を指で拭いながら、独り言のように呟く。
七歳から始めたトレーニングでここまで来たものの、まだまだ完成には程遠い。
そんなわたくしのもとへ、庭の奥から母が優雅な足取りで近づいてきた。
母はその美貌と洗練された物腰から「社交界の華」と呼ばれる存在だ。
今日も薄桃色のドレスに身を包み、絵画から抜け出したような気品を漂わせている。
「ヴィクトリア、そろそろお茶会の準備をしなくてはなりませんよ」
母はわたくしの姿を見て、ため息をつきながら眉をひそめた。
「あまり火遊びにばかりかまけていると、淑女としての嗜みがおろそかになります」
火遊び――その言葉に、胸がちくりと痛む。
「わかりました、お母様。すぐに戻りますわ」
そう答えながらも、心の中では反論したい気持ちが渦巻いている。
《浄化の炎》は、普通の火魔法とは一線を画す力だ。その温度は通常の炎を凌駕し、魔物を一瞬で灰に変える。
特に、聖魔法しか効かないと言われるアンデッドさえ浄化できるのだ。
この力を持っていれば、たとえゲームのように追放されても、冒険者として身を立てることができるはず。……そう、信じている。
もっとも、公爵令嬢であるわたくしが冒険者として暮らす未来など想像もつかない。
厳しい生活が待っているのは間違いないだろう。
それでも、わたくしには前世の記憶がある。
ブラック企業で鍛えた忍耐力や危機回避能力が、きっと助けになるはずだ。
(婚約破棄されても、悪役令嬢と蔑まれても、わたくしは独りで生き抜いてみせる)
わたくしはそう自分に誓いながら、再び杖を握り直した。その手に込めた力は、未来への不安を払拭するためのものでもある。
「おーほっほ、訓練もお茶会も、わたくしには朝飯前でしてよ!」
高笑いを響かせ、わざとらしいほどの余裕を装ってみせる。その声が庭に響いたとき、胸の中にわずかながら安堵が広がった気がした。
弱さを見せるわけにはいかない。貴族令嬢としての誇りと、前世の経験で得た信念が、わたくしを支えているのだから。
母が立ち去るのを見送りながら、わたくしはそっと空を仰ぐ。
初夏の青空には一筋の雲もなく、どこまでも澄み渡っている。
けれど、その晴れ渡った空とは裏腹に、心の奥底では、何か得体の知れない不安がもやもやと広がっていた。
(この力を極めれば、どんな未来が待っていようと生き抜けるはず――そうよね)
誰にともなく問いかけるように呟くと、わたくしは心の奥底の不安を隠して庭を後にした。
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