第6話

 雨音が校舎の窓を叩いている。6月の半ば、梅雨の真っ只中だ。朝から降り続く雨は止む気配を見せず、帰りの時間になっても相変わらず空を灰色に染めていた。


「うわ、降ってるね。」


 南雲が窓の外を見ながらそう呟いた。俺、は机に座りながらカバンから折り畳み傘を取り出す。


「忘れたのか?」


 俺が尋ねると、南雲は少し恥ずかしそうに頷いた。


「うん、今日は朝晴れてたから油断しちゃった。」

「あー、まああるあるだな。」


 教室にはまだ数人の生徒が残っていたが、大半はすでに帰り支度を終えていなくなっている。俺もさっさと帰ろうと立ち上がり、南雲に声をかけた。


「じゃあ、送ろうか?」

「え?」


 南雲は一瞬驚いた顔を見せたが、すぐに嬉しそうに笑った。


「いいの?」

「別にいいけど、俺の傘に入るしかないぞ。」

「それでもいいよ。」


 南雲の即答に少し驚いたが、まあ断る理由もない。俺は折り畳み傘を広げ、南雲を促した。


 ▽


 校門を出た途端、雨脚が強まった。俺たちは傘を差しながら、歩幅を合わせて歩き始める。折り畳み傘は小さいので、自然と肩が触れ合う距離になる。


「狭くて悪いな。」

「ううん、大丈夫。むしろ、こうやって一緒に歩くの、新鮮かも。」


 南雲はそう言いながら、ふと俺の顔を見上げた。その瞳が雨に濡れた街灯の光を受けてキラキラと輝いている。


「その見た目で結構乙女っぽいところあるなお前。」


 俺が冗談めかして言うと、南雲は耳まで赤く染めた。


「そ、そんなことないよ! ただ、ちょっと緊張してるだけだよ!」

「それを乙女って言うんだよ。」


 南雲は恥ずかしそうに目を逸らしたが、その表情がどこか可愛らしく見える。普段の彼女の堂々とした態度からは想像もつかない一面だった。


 ▽


 途中、雨脚がさらに強くなり、俺たちは近くの商店街の軒先で雨宿りをすることにした。傘を閉じて、少し距離を取ると、南雲が自分の髪を軽く絞っている。


「雨の日って、なんだか特別な感じがするよね。」

「そうか?」

「うん。普段は気づかないことに気づけたりするから。」


 南雲の言葉に、俺は少し考え込む。普段、俺は雨の日をただの鬱陶しい日としか思っていなかったが、南雲と一緒にいると、その見方が少し変わる気がする。


「例えば?」

「んー、例えば、今日みたいに相合傘することとか。」


 南雲は恥ずかしそうに笑いながら答えた。その笑顔に、俺は少しだけ胸が高鳴るのを感じた。


「まあ、確かに悪くはないな。」


 俺がそう言うと、南雲は嬉しそうに微笑んだ。


 ▽


 雨が少し弱まったところで、俺たちは再び歩き始めた。住宅街に差し掛かった頃、南雲がふと立ち止まる。


「どうした?」

「ううん、なんでもない。ただ、もう少しこのままでいたいなって思っただけ。」

「雨も止みそうだし、急ぐ必要はないだろ。」

「そうだね。」


 南雲は再び歩き出した。その横顔には、どこか安心感のようなものが漂っている。


「米内くんって、意外と優しいよね。」

「だからその『意外と』ってのは余計だって。」

「ふふ、でも、そういうところが好きだな。」


 南雲のその言葉に、俺は一瞬足を止めた。好き、という言葉の意味が一瞬頭の中を駆け巡る。


「それ冗談で言ってるだろ。やめてくれ。」

「どうだろうね。」


 南雲は意味深な笑みを浮かべながら前を向いて歩き続ける。その姿を見て、俺は何とも言えない気持ちになった。


 ▽


 南雲の家の前に到着すると、雨はすっかり小降りになっていた。俺は傘を閉じて南雲に手渡す。


「これ、貸してやるよ。明日返せばいい。」

「いいの?」

「俺はもう家まで近いしな。お前が濡れるよりマシだろ。」


 南雲は少し驚いた顔を見せたが、すぐに嬉しそうに微笑んだ。


「ありがとう、米内くん。」

「気にすんな。それじゃ、また明日。」


 俺が背を向けて少し急ぎ足で歩き出すと、南雲の声が背中越しに聞こえた。


「米内くん!」


 振り返ると、南雲は傘を握りしめながら、少しだけ頬を赤らめて言った。


「今日は楽しかった。ありがとう。」


 その言葉に、俺は少し照れくさくなりながらも、軽く手を振ってその場を後にした。


 雨の日の出来事は、俺たちの距離をほんの少しだけ近づけてくれたような気がした。


 ▽


 その帰り道、俺は一人で歩きながら、ふと立ち止まった。湿ったアスファルトの匂いと共に、先ほどまでの南雲との会話が脳裏をよぎる。好き、という言葉の重みが、意識の奥底に微かに響いている。


「なんだよ、別に意識する必要なんてないだろ。」


 自分に言い聞かせるように呟いて、歩き出す。だが、南雲の笑顔が頭から離れなかった。


 ▽


 次の日、教室に入ると、南雲はすでに席についていた。俺が近づくと、彼女は明るい笑顔で振り向いた。


「おはよう、米内くん。」

「おう、おはよう。」


 普段通りの挨拶のはずなのに、どこかぎこちない自分がいるのを感じる。南雲はそんな俺を気にする様子もなく、昨日の傘をカバンから取り出して差し出した。


「これ、ありがとね。」

「別に気にいいけどな。昨日の状況なら当然だろ。」


 その言葉に、南雲はまた微笑んだ。その微笑みが、俺の中で昨日よりも少しだけ特別なものに感じられるのだった。


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