第5話
放課後の校舎。授業の終わりを告げるチャイムが鳴り響き、生徒たちが帰り支度を始める中、俺は、ぼんやりと教室の窓際に立っていた。窓の外は初夏の日差しが柔らかく、遠くで野球部が練習する声が響いている。だが、俺の頭は別のことでいっぱいだった。
南雲光凛のことだ。
彼女が受けている嫌がらせの件。俺たちは先週、教師に相談したものの、まだ決定的な進展はなかった。だが、それ以上に気になるのは、南雲自身の態度だ。普段の明るくて堂々とした彼女が、どこか元気を失っている。笑顔を見せることはあっても、それがどこか無理をしているように感じられるのだ。
そんなことを考えていると、教室の入り口から声が聞こえた。
「米内くん、まだいたんだ。」
振り返ると、そこには南雲が立っていた。彼女は相変わらず端正な顔立ちで、制服姿がよく似合う。だが、その表情にはわずかな疲れが見て取れる。
「おう、ちょっと考え事してただけだ。」
俺がそう答えると、南雲は少しだけ笑った。
「そっか。実は…ちょっと相談したいことがあって。」
「相談?」
彼女は頷くと、俺に近づいてきた。その動きに、俺の胸がなぜかざわつく。
「この間、先生に話したことなんだけど、まだ誰がやったのか分からないでしょ?でも…やっぱり気になっちゃって。」
「そりゃそうだろうな。」
「それでね、今日少しだけ付き合ってほしいんだ。いいかな?」
そう言われて断る理由はない。俺は頷いて、彼女の後に続いた。
▽
南雲が俺を連れて行ったのは、昇降口の靴箱の前だった。生徒たちの靴が並ぶ中、南雲は自分の靴箱の前で立ち止まる。
「ここに、手紙が入ってたの。」
そう言って南雲は靴箱を開けた。中には何も入っていなかったが、彼女の表情はどこか緊張している。
「それ…最近も入ってたのか?」
「ううん、ここ数日は何も。でも、また入るかもしれないと思うと怖くて。」
俺は南雲の話を聞きながら、靴箱の中をじっくりと見てみた。特に異常はない。だが、これが嫌がらせの現場である以上、何か痕跡が残っている可能性もある。
「監視カメラとかは…ないんだよな。」
「うん、昇降口にはないって先生が言ってた。」
俺は腕を組んで考え込む。犯人が手紙を入れる瞬間を捉えられればいいが、それには現場を直接見張るしかない。
「南雲。」
「なに?」
「今日、少しここで様子を見よう。俺が見張ってるから、お前はどこかで待ってろ。」
彼女は驚いたように目を見開いた。
「でも、米内くんにそんなことさせるのは悪いよ。」
「別にいい。お前が安心できるなら、それでいいから。」
そう言うと、南雲はしばらく迷ったようだったが、やがて小さく頷いた。
「…ありがとう。じゃあ、お願いしてもいいかな。」
「ああ、任せとけ。」
▽
夕方の昇降口は、次第に人影が少なくなっていった。部活へ向かう生徒も通り過ぎ、校舎全体が静けさに包まれる頃、俺は隠れるようにして靴箱の近くで待機していた。
南雲は別の場所で待っている。彼女に直接危険が及ばないようにするためだ。俺はその場にじっと立ちながら、耳を澄ませていた。
やがて、廊下の向こうから誰かがやってくる気配がした。足音は軽く、近づいてくるごとにその主の姿が見えてくる。
「…やっぱり。」
俺の視線の先に現れたのは、同じクラスの女子だった。名前は確か…
大角は周りを気にするように辺りを見回し、そっと南雲の靴箱に手を伸ばした。その動きに俺は確信する。
「おい。」
俺が声をかけると、大角はびくっと体を震わせた。彼女は振り返り、俺と目が合うと、その顔が一瞬で青ざめた。
「な、何してるんだ?」
「え、えっと…」
言い訳を探している様子だが、明らかに怪しい。俺は彼女に一歩近づき、問い詰める。
「お前、何か入れようとしてただろ。」
大角は口を開こうとしたが、言葉が出てこない。やがて、観念したように小さく呟いた。
「…ごめんなさい。」
「何がごめんなさいだ。何でこんなことしたんだ?」
俺の問いに、大角はうつむいたまま震えている。その姿を見ていると、苛立ちよりも虚しさがこみ上げてきた。
「南雲が何かしたのか?」
「…違う。でも…彼女がいつも注目されてるのが、なんか悔しくて。」
その言葉に、俺は言葉を失った。嫉妬——それが彼女の動機だった。
「そんな理由で嫌がらせしてたのかよ。」
俺が呆れたように言うと、大角はさらに縮こまった。だが、これ以上責めても意味がないことは分かっていた。
「とりあえず先生に話す。行くぞ。」
そう言って大角を連れて行こうとしたそのとき、後ろから声が聞こえた。
「米内くん。」
振り返ると、そこには南雲が立っていた。彼女は真剣な表情でこちらを見ている。
「大角さん…どうして?」
その問いに、大角は何も答えられなかった。ただ、南雲の表情を見ていると、俺はこの件をどう終わらせるべきか考えさせられた。
▽
その後、俺たちは教師に事情を説明し、大角も自分の行動を認めた。嫌がらせの件は解決へと向かうが、南雲が受けた心の傷は簡単には癒えないだろう。
だが、その日の帰り道、南雲は俺に微笑みながら言った。
「ありがとう、米内くん。本当に助かった。」
「別に、俺がやるべきことをやっただけだ。」
そう答えると、彼女は少しだけ笑って。
「でも、米内くんがいてくれると安心するよ。」
その言葉に、俺の胸が少し熱くなるのを感じた。そして、この出来事を通じて、俺たちの距離が少しだけ近づいたような気がした。
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