第4話

 翌日、南雲と俺、間に小さな変化が生まれた。朝、教室で彼女と目が合った瞬間、南雲がふわりと笑った。それまでの彼女の笑顔と違って、どこか柔らかく、俺に向けられた特別なもののように感じた。


「あ、おはよう、米内くん!」


「お、おう、おはよう。」


 自然体で声をかけてくる南雲に、一瞬どう答えればいいのか迷った。これまでは、廊下ですれ違えば挨拶を交わす程度の関係だったのに、昨日の一件以来、南雲が俺に少し近づいてきたような気がする。


「今日も放課後、一緒に帰ろうよ。」


 突然の誘いに俺は一瞬戸惑ったが、断る理由もないので軽く頷いた。


「まあ、いいけど。」

「やった!ありがとう。」


 南雲は嬉しそうに笑った。その笑顔に一瞬ドキリとしたのを、俺は自分でも気づかれないように誤魔化すように目を逸らした。


 ▽


 昼休み、食堂で珍しく南雲が俺の席までやってきた。彼女はトレーを持ちながら、俺に声をかける。


「ねえ、一緒にご飯食べてもいい?」

「えっ、別にいいけど……なんで急に?」


 南雲は少しだけ顔を赤らめながら、椅子を引いて俺の隣に座った。


「なんか、米内くんと話してると安心するから。」


 その言葉に俺は少し驚いた。普段の南雲は誰とでも気さくに接するタイプだと思っていたが、俺に対して「安心する」という感情を抱いているなんて想像もしなかった。


「俺そんな大したやつじゃないけどな。むしろ、周りから目立たない地味なやつだし。」

「そんなことないよ。昨日も、あの時すぐに助けてくれたし。米内くんは頼りになるんだよ。」


 俺はなんとも言えない気まずさを感じながら、手元のおにぎりをかじった。こういう褒められ方に慣れていないせいか、どう反応すればいいのかわからない。


「それより、最近はあの手紙とか靴の件、進展はあったのか?」


 話題を変えるように尋ねると、南雲は少し真剣な表情になった。


「うーん、先生たちが動いてくれてるみたいだけど、まだ犯人の目星はついてないみたい。でも、少しずつだけど気持ちは落ち着いてきたよ。」

「そうか。それならいいけど……。」


 彼女が落ち着いてきたと言うのなら、俺がやるべきことは一つだ。引き続き、南雲の力になること。それだけを考えていた。



 ▽


 放課後、俺たちは校門を一緒に出た。周りには部活終わりの生徒たちや帰宅途中の生徒たちがちらほら見える。校庭に広がる夕陽が俺たちの影を長く伸ばしていた。


「そういえば、米内くんって普段どんなことしてるの?」


 南雲がふとそんなことを尋ねてきた。


「俺?特に何も。家でゴロゴロしてることが多いかな。まあ、勉強したりゲームしたり……普通だよ。」

「ふふ、なんか意外と家庭的なんだね。」

「別に家庭的ってわけじゃないけどな。お前こそ、普段はどうなんだよ?」

「え?私?んー……部活で忙しいことが多いかな。あと、家では猫と遊ぶことが多いかも。」

「猫?お前、猫飼ってるのか?」


 南雲は嬉しそうに頷く。


「うん、白い毛の子で名前は『さかな』。すごく人懐っこいの。でもちょっと気まぐれで、私の膝に乗ってくるかと思えばすぐにどこかへ行っちゃうの。」


 南雲が猫の話をするたびに、彼女の顔がさらに明るくなるのがわかる。その様子を見て、俺は自然と笑みを浮かべていた。


「お前の猫の名前はさておき、お前も猫っぽいよな。」

「えっ、どういう意味?」

「いや、なんとなく気まぐれで、でも人懐っこいところが似てるなって思っただけだよ。」


 南雲は少し考え込むように顔を傾けた後、にこりと笑った。


「それ、褒め言葉として受け取っていいのかな?」

「別に悪い意味じゃねえよ。」


 そんな何気ない会話を交わしているうちに、いつの間にか家の近くまで来ていた。南雲とこうして一緒に帰るのは、なんだか妙に自然で心地よかった。



 ▽


 家に帰り、自室のベッドに寝転がりながら今日の出来事を振り返っていた。南雲とこんなに話すようになるなんて、少し前の俺では考えられなかったことだ。


「安心する、か……。」


 彼女がそう言った時の表情が頭から離れない。普段は他人に頼るイメージのない南雲が、俺にだけ見せる弱さ。それが妙に心に引っかかっていた。


「俺……あいつのこと、どう思ってるんだ?」


 自問自答してみても、明確な答えは出ない。ただ一つ言えるのは、南雲光凛という存在が俺の中で少しずつ大きくなり始めているということだった。


 翌日もまた、南雲と過ごす時間がやってくるだろう。そのことを思うと、不思議と嫌な気分にはならなかった。


「まあ、なるようになるか。」


 そう呟きながら、俺は目を閉じた。

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