第2話
翌日の昼休み、俺はいつものように教室の自分の席で弁当を広げていた。
窓から差し込む光は初夏の柔らかさを帯びて、机の端にぼんやりと影を落としている。周囲では友人たちの笑い声が交錯し、昼休み特有の賑やかさが満ちていたが、そのざわめきのどこにも自分の居場所がある気はしなかった。
騒いで過ごすのが嫌いなわけではない。ただ、静かに飯を食う時間を奪われたくないだけだ。
──そのときだった。ふいに影が差し、俺はゆっくりと顔を上げた。
南雲光凛が、こちらを見下ろしていた。
その瞬間、教室のざわめきが一瞬だけ止まり、すぐに別のざわめき──好奇と驚きが入り混じった囁き──が波紋のように広がった。
「米内くん、一緒にご飯食べてもいい?」
彼女の声は、昼休みの空気の中でもよく通り、周囲の視線が焼けつくほど俺に刺さる。肩が自然と重くなる。
「なぜ俺なんだ。他に友達がいるだろう」
そう返すと、南雲はまるで気にした様子もなく、春風みたいな笑顔を浮かべた。
「なんか、米内くんと話していると落ち着くの。駄目?」
──落ち着く、だと?
その一言は思いがけず胸の奥に触れてきて、俺は気恥ずかしさをごまかすように肩をすくめた。断る理由もない。断りたいわけでも、たぶんなかった。
頷くと、南雲は嬉しさを隠そうともせず、俺の隣の席に腰を下ろした。
「それで、今日はどんなお弁当?見せて見せて!」
無邪気な声音に、思わず苦笑が漏れる。こうして話してみると、彼女の持つ“完全さ”は少しだけ遠のき、案外普通の女子の顔が覗くのが不思議だった。
「ただのコンビニ弁当だ。別に珍しくもない」
「ふーん。でも美味しそう。私のも見る?」
彼女は弁当を開けた。彩り豊かで、丁寧に詰められた惣菜がふわりと香りを立てる。
「これ、自分で作ったのか?」
「ううん。家の人。私、料理はあんまり得意じゃなくて」
その言葉は軽いものだったのに、俺はなぜか胸の中で小さく驚いた。完璧に見える彼女にも、不得手がある──当たり前のことなのに、どこか安堵すら覚えた。
「そうか。それにしても、お前がここにいると目立つな」
俺が視線をちらつかせると、教室のあちこちで視線が慌てて逸らされた。
「大丈夫。気にしない気にしない」
軽く笑う彼女を見ると、不思議と肩に入っていた力がすっと抜けていく。まるで彼女の周囲だけ、空気が少しやわらかくなるようだった。
▽
午後の授業は淡々と進んだ。初夏の空は青く高く、窓の外を流れる雲の速度が眠気を誘う。黒板の文字も、教師の声も、遠い水音のようにぼやけていく。
そして放課後。いつものように教室を出て下駄箱へ向かった俺は、背後に視線を感じて振り返った。
──南雲光凛が、またついてきていた。
「何をしているんだ」
「ちょっと待って。相談したいことがあるの」
さっきまでの軽やかさとは違う声音だった。ほんのわずかだが、不安の色が混じっている。俺は足を止めた。
「……何だ」
「実は……昨日の靴の件、あれ、やっぱり誰かが意図的にやったみたい」
予想していたはずの言葉なのに、胸の奥がざわりと揺れた。
「確かに奇妙だったが……何か証拠でもあるのか?」
「ううん。でも、最近ちょっと嫌な噂を耳にすることが多くて。それが……私に関係しているみたいで」
彼女の瞳が揺れる。普段は凛として近寄りがたいほど強い光を放っているその瞳が、今はほんの少し曇っていた。
「誰かが意図的にお前を狙っているということか?」
「わからない。でも……もしそうだとしたら、どうしたらいいかわからなくて」
南雲光凛が、こんな弱い声を出すとは思わなかった。完璧に見える彼女だって、きっと影を抱えている。光が強いぶん、影もまた深い。
「とりあえず、その噂の出所を探る必要があるな。俺にできることがあれば手伝うが」
「本当?ありがとう、米内くん……」
そう言った彼女の声は震えていた。今にも泣き出しそうなほどか細くて、俺は少しだけ視線を逸らした。胸の奥が妙に落ち着かなくて、どう返すべきか迷った。
「まあ……俺にできる範囲でだ。それ以上は期待するな」
そう言うと、南雲はふっと笑った。先ほどまでの不安が、ほんの少し溶けていく。
「うん。それで十分」
夕方の光が、彼女の横顔を橙色に染めていた。この選択がのちにどんな波紋を広げるのか──その時の俺は、まだ知る由もなかった。
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