血吞劉天童

「まぶたの情報は本当か。」


 彼女が血濡れた左足を腕で拭くと、傷など元からなかったように、引き締まった柔肌が見えるだけだった。彼女は痛くも無いようで、準備運動をするように、足を曲げ伸ばした。


 私は何が起きたのかさっぱり分からないまま、その状況を仰向けで見つめていた。血を吸い取られて、頭に回る血の分が足りなくなったからか、その状況を考える気力も湧かなかった。


 彼女はしばらく自由に体を動かして、体の動作確認をしていた。そして、大体の体の調子が分かったようで、ようやく私のことを思い出すようで、彼女はこちらに目を向けた。彼女は私に向けて手を伸ばす。私は躊躇をしながらも、差し出された彼女の手の上に、私の手を恐る恐る乗せた。


 すると、彼女は私が手を置いた途端に、私の手を握りしめて、私の体を引っ張った。肩に傷があることを考慮しない、力任せな引っ張りだった。私は肩の痛みを感じながらも、段々と肩の痛みに慣れ始めていた。私は彼女に引っ張られて、上体を起こした。


「ところで、君の才能は何なんだ? この銃の才能ではないだろう。」


 彼女は腰に挟んだ銃に手を置きながら、そう言った。


「……なんで、銃の才能がないと分かるの?」

「それは、銃を撃とうとしているのに、安全装置が外れてなかったからな。」


 言われてみれば、そうだった。銃を撃つ時は、安全装置を外さなくてはならないんだ。これじゃあ、新米ルーキーだ。


「で、君の才能は? 


 私の力にも抑え込まれるくらいだし、格闘技っぽい才能はまるでなさそうだけれども。」

「……私に才能はない。」


 なんだか言葉にすると、心に来るものがあるが、私は事実を彼女に伝えた。


「なるほどね。まあ、そう言われると、そう見えてきた。」


 彼女はあっさりと私の言ったことを飲み込んだ。


「まあ、安心しなよ。


 血を飲ませてもらった分くらいは、守ってあげてもいい。あんたと違って、才能に恵まれているんでね。」


 少し癪に障る言い方だが、私は感じた不満を我慢して、気になっていることを聞いてみることにした。


「その血を飲むって、どう言うことなの?」

「ああ、知らないのか。


 ……じゃあ、目を10秒程閉じてみると良い。きっと分かるだろう。」

「どういうこと?」


 私は何が起こるか分からないが、言うとおりに、目を閉じた。


 私は目を閉じて、頭の中で数を数えた。私は数字を半分数え終わったくらいで、まさか、彼女は目を閉じている隙に何か私にするつもりじゃなかろうかと考えた。相手は日本刀を持っているし、何かこの行動に意図があるのではないかという疑念が生まれていた。


 しかし、そうこう考えている内に、彼女が目を閉じさせた意図が分かった。ちょうど10秒経った頃、真っ暗だったまぶたの裏をスクリーンにするように、赤い文字がうっすらと浮かび上がってくる。その赤色は、時間とともに明確になっていく。


 私は濃くなっていく赤い文字を読んでみると、1つは真ん中に大きく数字が映し出されていた。その数字は84と書かれている。そして、その下に、平仮名でこのように書かれていた。


「さるたひこももよはひゃくにんそんざいする。

 しかし、あかいつきがしずむころ、

 さるたひこももよはたったひとりでなければならない。

 ひゃくにんのさるたひこももよのぶきは、こわれぬかぎりふそくしない。

 なお、さるたひこももよのいきちは、さるたひこももよのいきちである。

 さるたひこももよのいきちをふくすることでじゅんかんする。


 それでは、こよいもびゃくやこうしんまちをかいしする。」


 私は赤く染まった文字を読み終わると、目を開けた。そして、彼女の方を見る。


「そう言うことらしい。


 だから、そこに書いてあることが本当かどうか確かめてみたんだ。そしたら、この通り、足が治った。まさか、血を飲むだけで、この傷が治るとは思わなかったけれどもな。ざっくり切られていたんだが、この通りさっぱりだ。」


 そう言って、彼女は血で濡れた左足を手で撫でた。手で擦ったことで血が取れた足は、綺麗で、傷の跡などはなかった。私はそのことに1つ1つ引っ掛かるところはあるが、全て目の前にあることを信じることにした。


「じゃあ、この生き血がうんぬんかんぬんは、自分の分身の生き血を飲めば、自分の傷が治ることだとして、このまぶたに大きく映し出されている数字はなんなの?」

「それは、普通に考えれば、生存している私達の分身の数だろう。


 猿田彦百夜は100人いる。誰かの銃を持っているくらいなんだから、そこら中に死体が転がっているのは知っているだろう。だから、100人から死んだ分身の人数を引いた数字がその数字だろう。」

「じゃあ、この夜明けには1人しかいないって言うのは?」

「それはその通りの意味だろう。」

「……じゃあ……。」

「そう、これは99人が死に、たった1人が生き残るまで夜が明けない百夜庚申待だとさ。」


 私は喉をごくりと鳴らして、彼女の言葉を嚙み締めた。彼女は簡単にそのことを言って見せたが、ここにいる私達の内、少なくともどちらかは生き残れないことを言っている。そして、その言葉は私に実質的な死を突き付けていることになる。


 なぜなら、私には生き残るための武器、才能が欠けているからだ。


 私は先ほどの弓矢の掴み取りを見ている。こんな異次元な才能を持つ者に、武器を持たせた鬼に金棒状態の自分の分身がごろごろとこの空間にいると思うと、鬼ではなく、金棒も無い者に生き残る方法があるだろうか?


 少なくとも、目の前の日本刀を持った彼女に勝つビジョンが思い浮かばない。それに、この並外れた強さを持つ彼女でさえ、負傷してしまう程の相手がいる。まさか、自分で自分の足を斬りつけることは無いだろうから、そういうことだろう。


 もし、彼女が一方的にやられてしまうような敵が存在するのならば、そのような敵に私が出会った時に、勝てる見込みなど微塵もないだろう。


「そんな身構えなくてもいい。私が守れる範囲ならば、当分は守ってやるから。」

「当分っていつまで?」

「……さあ、まぶたの数字が2になったら考えることにしよう。それまではとりあえず守ってやるよ。お前の血がなけりゃ、私は失血でくたばっていただろうし、あの機動力を欠いた足じゃ、すぐに誰かに殺されていただろうしな。」


 私は少し安心した。まだ完全に信用しきっていないが、彼女が私を守ってくれるのならば、心強い。


「じゃあ、問題はここからどう逃げ出すかだ。」


 彼女は右手を日本刀の柄を握り、戦闘姿勢を整え、トイレの外の窓ガラスから外を眺めた。


「状況を整理すると、今、私達が狙われているのは弓矢を武器とする私の分身。まあ、遠距離攻撃だな。それもとてつもなく遠くだ。100mや200mなんてものじゃない、下手したら、1kmは軽く離れている可能性すらある。


 なんたって、私が掴み取った弓矢の角度から考えて、地面から大体15m位の建物だ。ってことは、大体、6,7階のマンションから射てきていることになる。それで、このコンビニの入り口とに面する方角にある6,7階のマンションは1㎞以上も離れている。


 そこから私の頭をあれだけ正確に狙うことができるならば、中々なものだ。もしかしたら、この刀の間合いの中で撃たれたなら、弓矢を掴みどることはできないかもしれない。」


 間合いの外なら掴み取れるの?


「だから、そのマンションまで距離を詰めて、私の間合いに入ったら、弓を引かれる前に、相手を無効化すれば、こちらの勝ちだな。


 ……ところで、お前は付いて来るか?」


 私はすぐに首を振った。


「本当に行かなくていいのか? 


 俺を除いて、83人の殺人鬼がこの狭い町にうようよいるんだ。弓矢の奴だけが自分の命を脅かすものだと思うなよ。私はお荷物1つ持ったくらいどうってことはない。じゃあ、もう一度聞くが、付いて来るか?」


 私は彼女の誘導尋問に応じて、首を縦に振った。


「まあ、危なくなったら、肉の盾にでもなってくれ。」


 彼女はそう言ってけらけらと笑った。彼女は冗談のつもりなのだろうが、私は笑えるはずがなかった。


「さあ、じゃあ、始めようか。」


 彼女はそう言って、彼女は鞘から刀を取り出した。刀を取り出した彼女の姿は、自分の体に日本刀を持たせただけであるはずなのに、私には決して出せない風格と気迫を醸し出していて、同じ姿なのに格が違った。私はたくましい彼女の姿を見て、先ほどまで感じていた死への恐怖は少し和らいだ。


 彼女に守られているならば、この世界でも少しは長く生きていられそうだと思った。


 ドシュッ


 肉が破れ、臓物を貫く音。


 つい数分前に聞いた生々しい音だった。


 それは私達が油断しきった瞬間を見計らったかのように、撃ち込まれた弓矢の一撃。


 それは、彼女の腹を背中から貫いた。


 確かに、風切り音はしていた。だが、鉄筋コンクリートの壁の後ろにいるからと私達は安心していた。


 そう、弓矢は鉄筋コンクリートの壁を打ち砕いたのだ。


 私の視界に広がるのは、日本刀を持った彼女の腹に滲む大きく真っ赤な染みだった。


 その大きな赤い染みの中心の服は破れていた。私は即座に、彼女の腹が弓矢で打ち抜かれたことを理解した。



 同時にそれが彼女にとっての致命傷であることも悟った。

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