幻影三尸蟲

「さようなら。」


 そう言った里美の顔が妙に頭に残っている。里美のひいおじいちゃんの話に真実味を感じながら、現実離れした話を信じ切れていない自分がいる。


 今夜、私は私のドッペルゲンガーに殺される。


 果たして、こんなことが起こり得るのだろうか? 


 昨日までの自分なら、信じていなかっただろう。しかし、100点のテスト用紙、部活で暴れた私の偽物。こんな非現実的なことが起こり得たその後なら、私はそのことを信じるを得ない。


 そんなことをベットで目をつむりながら、ぐるぐると考えていると、上手く寝ることができなかった。


 結果、私はすっかり目が覚めてしまった。先程まで、何も見えなかった暗闇の部屋に、すっかり目が慣れてしまって、ぼんやりと自分の部屋の輪郭が見えている。私は枕元に置いてあるスマホを手に取り、時間を確認した。


 スマホの明かりは、暗闇に慣れた目には眩しかった。目を逸らし、薄目で時間を確認すると、深夜の1時だった。11時くらいに寝転び始めたから、2時間、眠れずに、寝転がっていたことになる。なんだか、このまま寝る努力をしたまま、ベットの上に寝転がっているのも、無駄な感じがした。


 私は誰もいない暗闇で溜息をつくと、ベットから上体を起こした。私はそのまま、暗闇に腕を振って、照明を点けるひもを見つけた。そして、ひもを引っ張って、電気をつけた。電気の明るさに目を細めた後、あくびをしながら、目を擦った。


 私はもういっそ、起きてみようと思った。


 おそらく眠れない原因は、自分の分身への恐怖もあるだろうが、放課後に寝すぎたというのもあるだろう。なら、眠くなるまで、起きていようと思った。このままベットの上で目を閉じ続けているよりも、気分転換に散歩でもした方がいいような気がしたからだ。


 私はパジャマを着替えて、外に出ても恥ずかしくないような服に着替えた。そして、ズボンのポケットに財布とスマホを入れた。両親を起こさないように、静かにリビングを通り抜けると、玄関に向かった。


 真夜中を徘徊するのは、初めてじゃない。眠れない時は、外で散歩をしたことは何度かある。なぜと言われると、なんとなくそうしているとしか言えない。私は靴を履いて、ドアノブに手をかける。


 ……と、その前に、一応、顔を確認しておこう。


 こんな真夜中に知り合いに会うことはないだろうが、念のため確認する。スマホを内カメラにして、自分の顔を見る。スマホに映った自分の顔は、少しむくんでいた。私は頬を手で持ち上げて、少しむくみを直そうとした。


 まあ、焼け石に水だった。私は諦めて、頬を触ることを止めた。どうせ、むくんでいようとむくんでいなかろうと、飛び切りの美人になれる訳じゃない。私のありふれた普通の顔は変わらない。


 努力しようと、里美の様な美人にはなれないことは分かっている。私が化粧をして、服をおしゃれにしたって、Tシャツ、すっぴん姿の里美に可愛さで負ける。だから、むくんでいようとむくんでいまいとどうせ、変わりはない……。


 私はスマホの内カメラを消すと、玄関にあるマスクを手に取って、顔に身に付けた。そして、玄関の扉をそろりと開けた。私は20階建てマンションの7階に住んでいるので、エレベーターで下に降りる必要がある。私は戸締りをした後、エレベーターで1階に降りた。


 マンションのオートロックの扉を開けて、外へ出る。もちろん外は暗く、街灯と月が光っているだけだ。今日はどうやら満月のようで、欠けのない綺麗な円が丸々と夜空に浮かんでいる。


 私は満月の月明りを浴びながら、とことこと夜道を歩き出した。先日まで寝苦しい夜が続いていたかと思うと、こんな身を震わすような夜風が吹く程寒くなった。長袖長ズボンだが、薄い生地なのでもう少し厚い服を着れば良かった。私は腕を手で擦り、肩を縮こませた。

 

 何歩か自分の家から離れた所で、余りに寒さに目が冴えてしまった。眠気を誘うための散歩だったはずなのに、これでは逆効果だ。道の真ん中で立ち止まって、進もうか戻ろうかと考えた。立ち止まると余計に寒くて、私は小さくくしゃみをした。私は鼻をすすった後、腕を手で細かくさすって、体を温めた。


 いや、いくらなんでも寒すぎやしないか?


 秋なのに、冬の様な寒さだ。部屋を出た時はそこまで寒くはなかった。なのに、外はかなり寒くなっている。それも時間を経つごとに、寒さが増している。私は何か不思議な空気を感じた。寒くなっている上に、何か空気が重い。


 肩を誰かに押されているような、そんな異様な空気の重さだ。音もあり得ないくらいに静まり返っている。自分の足と地面の擦れる音ですら、遥か遠くにあるかのように、全く聞こえない。代わりに、自分の心臓の音だけがバクバクと大きく聞こえる。


 私は絶対におかしいと思って、自分の家に帰ろうと振り返った。そのまま、マンションに向かって、足を走らせる。段々と異様な感覚が増していく、自分の五感がちぐはぐになって、現実ではないような感覚だ。


 私はその異様な感覚に気持ち悪くなってきた。


 今にも吐いてしまいそうだ。


 心臓は握られ、心臓の中の血液を搾り取られているようだ。空気の重さはダンプカーの下敷きになっているようで、まともに立つことができない。さらに、音は鼓膜を揺さぶるほどの心臓の音だ。


 私は地面に這いつくばって、異常な苦痛に耐えた。そんな時、視界に幻覚のようなものが映る。親指程の大きさの虫のようなものが、這いつくばった地面にうろついている。その虫は一本足だったり、ネズミのようだったり、人のようだったりする。


 本当にやばいようだ。夢でも見ないような妖怪が見えている。走馬灯的な何かだろうか? こんなもの今までの人生で見たことはないが。 


 その3つの小さな妖怪はとことこと地面を歩いていく、私のマンションの方向へと進んでいく。その様子を目で追いかける。すると、目で追いかけた先に、誰かの足が見える。その小さな妖怪はその足の周りに集まっていた。


 私は助けを求めるつもりで、手をその足に向かって伸ばす。そして、顔を上げて、その足の持ち主の顔を見ようとする。その足を段々と見上げると、何か見覚えのある姿であると気が付く。そして、月光に照らされた顔を見た瞬間に、その正体が分かった。


 私だった。


 目の前に映るのは、正真正銘の私だった。鏡で毎朝見る私の顔そのものだ。私は驚いた後、里美の話が思い出される。


 私を殺しに来たドッペルゲンガー?


 そう心の中で思うと、目の前の私はそれを見透かしたように、にやりと笑った。目の前の私は不敵な笑みを浮かべた後、緩ませた口元に親指を入れた。そして、白い歯を見せながら、親指を噛んだ。親指からは血が噴き出しす。


 白い歯は赤く染まり、口元からはたらりと血が垂れている。たらりと垂れた血は、首元をつたっていった。目の前の私は、口から血だらけの親指を出した。口から出した親指からは血の色が混じった糸を引いている。そして、目の前の私は、地面に倒れた私に近づいてくる。


 ドッペルゲンガーらしき私は、私の目の前で立ち止まり、しゃがみこんだ。そして、覗き込むように、私を見る。ドッペルゲンガーは私の顎を押さえる。私は顎を押さえられたことで、口をぱくりと開けてしまった。そして、目の前の私は血だらけの親指を私の口に押し付けてきた。


 私は地面に押し付けられたままだったので、抵抗することができず、血だらけの親指を咥えてしまった。口の中には、鉄さびのような味と生臭い香りが鼻の奥から抜けていく。


 不思議と嫌な感じはしない。私は口の中に広がる血の広がりを感じながら、意識は遠のいていった。そのまま、うとうとと心地よい眠気が襲ってくる。まぶたが重くなり、視界が狭くなる。


 最後に映った目の前の私は、涙を流して、笑っていた。


 その笑顔を見ながら、目を完全に閉じ切った。そして、意識が段々と遠のいていく。


 私は遠のく意識の中で、喜怒哀楽の全てが混じった不気味な私の顔が最後まで残っていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る