第5話 マナ汚染
隣の区画へと続く道路は、いつもどおり空いていた。
昔は小さな町が各区画として独自の発展を遂げていたものだが、近年は中央区画以外は衰退気味だ。
一応、農業や鉱業を生業にしている主要都市はまだまだ発展を続けていると聞く。
人口も増えたし、魔石の需要が凄まじいのがその理由だろう。
だが、それでも郊外は寂れ気味らしい。
人は仕事のある場所に流れる。
大都市であれば割りの良い仕事は山ほどある。
働き盛りの連中が他所にいってしまえば、残された場所が廃れるのは当然だろう。
残されるのは何もなくなった過疎地だけだ。
自然な理とはいえ、寂しい話である。
「すみません、パルメさん。車まで回してもらっちゃって」
「いいっていいって。歩いてたら日が暮れちゃうしねぇ」
鼻歌混じりにパルメが運転席から返事を返してきた。
わたしはというと──。
足をそわそわさせながら、助手席の窓から外に目をやっていた。
中央区画から離れると、それなりに山や緑も多くなる。
天気も晴天。
今日は気温もそれほど蒸し暑くはない。
空気も良いし、たまにはこういう遠出のドライブも悪くないなと思える。
「あー、ラフィ。後ろのクーラーボックスのジュースは勝手に飲んでいいからね」
「…‥えっと、お金は?」
「あはは、いらないよー。これも依頼者からの福利厚生ってやつ」
「ありがとうございます……!じゃあ遠慮なく」
体を捻り、後部座席のクーラーボックスから瓶ジュースを一本取り出す。
蓋を開けて口をつけた。
甘くて少し酸っぱいオレンジの味がした。
今回の仕事には、たしかに多少の不安要素はある。
だがそれを払拭するほどの報酬の良さに浮かれているのもまた事実だし、わたしは今、どちらかというと気分の良さの方が勝っている。
対して、リルは家を出て以降、ずっとむすりとした顔だ。後部座席からぴくりとも動こうとしない。
窓の外を眺めながらそっぽを向いたままである。
どうやら、よほどパルメの依頼が気に入らないらしい。
安易に引き受けてしまったわたしにも腹を立てているのかもしれない。
……まあ、たしかにリルの言い分もわからなくはない。
少々良すぎるほどの厚い待遇だからだ。
そもそも、なぜわたしたちに依頼を持ちかけてきたのか。
そこがいまいち分からない。
腕が立つ請負屋なんて他にもいる。
安く使えると思ったのかもしれないが、それにしてはしっかりとした金額を提示してきた。
冷静に考えるなら、何か裏がある可能性は大きい。
──やっぱり考えなおすべきかな……?
少しだけ弱気な気分が頭をもたげる。
けれど、今から新しい依頼を探したとして、ろくな仕事は見つからないだろう。
それに、もうここまで来てしまった。
こちらを蹴っても他に頼れる伝手はないのだ。
まあそれならば、依頼の詳細をもっと詳しく確認するだけでもやっておこうか……。
「あの、パルメさん。この依頼についてなんですけど、もう少し詳細を……」
「──あぁ、そうそう。この仕事を最後までちゃんと上手にこなしてくれたらさー。この車を譲ってあげてもいいよ?ちょうど買い替えたかったところなんだよねー」
「……ぶ!?!ほ、本当ですか!もちろんやります!最後までちゃんと!」
思わず口に含んだジュースを吹き出しそうになってしまった。
……うん。
まあね、もう細かいことはどうでもいいじゃないか。
これだけの報酬を出してくれるなら、多少のリスクくらいなら織り込める。
パルメは優しくて女神で太っ腹なのだ。
きっとそうに違いない。
「あーぁ、どうなっても知らねぇぞあたしはぁ」
リルが窓枠に肘をついてぼやいているが、いったん聞かなかったことにする。
金は命より重い、とまでは言わない。
だが金と命はこの時代においては同価値だ。
先立つものがなければ、満足に明日を生きることすらできない。
百年前ならともかく、今の時代に生死を賭したサバイバルなど御免だ。
たしかに昔は腕さえ立てばどうにかなっていた。
でも、今はもう時代が違うのだ。
したたかに、貪欲に生きなければならない。
拾えるチャンスをみすみす逃す手はない。
わたしはぐっと言葉を飲み込む。
パルメは気分良さそうにハンドルを回しながら頷いた。
「うんうん、ラフィは賢いねー。どっかの魔族ちゃんと比べて」
「……ちっ」
猫耳少女の煽りに舌打ちするリル。
お願いだからパルメは自分から地雷原を作らないでほしい。
板挟みでいたたまれない。
……うん。とりあえずリルにはご機嫌とりが必要だ。
この仕事が無事に終わったら、酒場で一杯奢ってあげよう。
「──っと、ここだここだ。二人とも、着いたよ」
パルメの言葉とともに、滑るように車が止まる。
動き出しも停止もじつにスムーズだ。
故人であるうちの車とは、えらい乗り心地の違いである。
魔石のエンジン音もすぐにフェードアウトしていった。
扉を開いてその場に降りるパルメ。
彼女の後に続いて、わたしたちもいそいそと車を降りた。
そこは、町外れの小さな商店街──、もとい集落だった。
中枢地区の目新しくて雑多なストリートとは随分違う。
百年前の街並みを色濃く残した、閑静で落ち着いた町だった。
昔なら普通の風景だが、今では田舎と呼ばれてしまうのだろう。
閑静な石畳の道の両側に、昔ながらのレンガ作りの建物が立ち並んでいる。
ここは地元住民のためのマーケット通りといったところだろうか。
最近は大型ショッピングモールなどの台頭により、こういった小売店の集合体はあまり羽振りが良くないらしい。
こういう風景は絶滅危惧種だとも聞く。
だが、長命種のエルフにとっては、どちらかと言えばこちらの方が見慣れた光景だ。
まるで少しだけタイムスリップしたかのような空気感に少し懐かしくなる。
気分もふんわりと落ち着く気がした。
わたしはぐるりとあたりを見回す。
そして、歩き出したパルメのあとに続いて、リルとともに町の通りを歩いて行く。
「静か──というか……、誰もいませんね。住人の皆さんはどこにいるのでしょうか」
「んー?まあそりゃね。一時的に避難してもらったからねー」
「………?」
避難?……なんの避難だろう。
パルメがここら辺の住人みんなに避難を勧告したということだろうか。
たしかに魔獣が現れたらそれなりに大変だ。
ときおり住宅街に出現する野良犬みたいなものである。実際、危険といえば危険だ。
パルメはここの住人にはお世話になっていると言っていたし、住人に避難を促したのはパルメの優しさと用心深さの結果なのかもしれない。
……うん。たぶんきっと、そうに違いない。
間違っても──。
避難しなければならないほどのヤバい出来事がこれから起こるとか……、命が脅かされるほどの危険があるとか──、そういったことではないはずだ。
……ないと信じたい。
信じるしかない。
「二人とも、こっちこっち。ついてきて」
パルメはわたしたちを先導し、どんどん先へ進んでいく。
八百屋やら服屋やら、商店らしきものはいくつも並んでいる。
だが、人の姿は見えない。
窓の木組みも固く閉ざされ、生き物の気配を感じない。
本当にペット諸々、軒並み避難しているのだろう。
生き物の気配がないということは、こんなにも違和感を感じるものなのか。
少しだけ不安な気持ちが鎌首をもたげる。
だが、前を行くパルメはどこ吹く風だ。
すたすたと歩みを進めながら、こちらに声をかける。
「ここら辺も随分変わっちゃったねー。昔はもっと活気あったんだけどね」
「そうなんですか?」
「うん。小さい頃はよく遊びに来たもんだよ。悪戯しては酒場の婆さんに怒られてたっけなぁ」
パルメの声が、誰もいない商店街に響いていく。
たしかに空き家らしきものが目立つ。
おそらく、人が避難しているいないに関わらず、今はもう元から寂れた場所なのだろう。
彼女の口ぶりからすると、昔からお世話になっているのは本当らしい。
わたしだってそれなりに長く生きたエルフだ。
見慣れた光景が消えていく寂しさは理解できる。
いつも陽気に動く彼女の尻尾。
それがほんの少しだけ、いつもより沈んでいるように見えた。
また、しばらく歩く。
雑貨屋の脇を抜け、倉庫の角を過ぎた頃──。
わたしたちは小さなT字路に差し掛かった。
一瞬だけ、前をゆくパルメが足を止めた。
……そのときだった。
ふと──、急に空気が変わった。
立ち入り禁止の看板だ。
明らかに目立つように大量に、それでいて雑に置かれている。
何やら物々しい雰囲気だ。
侵入禁止とかかれたテープも道を塞ぐように張られており、これ以上人が進むことを強く拒んでいる。
どう見ても普通の事態ではない。
「あ、あの、パルメさん、これは一体……」
「あー、気にしないで。跨いで入ればいいから」
いや、そういうことを聞きたいんじゃないんだけど……。
わたしは意を決して彼女に問いかけることにした。
もはや質問せずにはいられなかった。
「……えっと、パルメさん、これってほんとに簡単な仕事なんですか……?」
聞こえているのかいないのか。
パルメは返答を返さず、鼻歌混じりに侵入禁止のテープを越えていく。
ちょっとしたマナ汚染を浄化する──。
そんな単純な依頼だったはずだ。
だが、どう見ても目の前の物々しさとは噛み合わない。
そこまで考えて、はたと気づいた。
……いや、待て。
本当にそうか?
わたしはごくりと唾を飲み込む。
彼女のやたら軽いノリと一般的な価値観で先入観を植え付けられていたが──。
そういえば、彼女は一言だってこれが簡単な依頼だなんて言ってない。
ちょっとしたマナ汚染を浄化する軽い仕事。
それは、わたしが勝手に思い込んでいただけなんじゃないか……?
その事実に気づいた瞬間、とたんに不安になった。
背筋を走るぞくりとした悪寒に思わず身震いする。
曲がり角を曲がった先。
前を行くパルメがふと足を止めた。
後ろに続いていたわたしたちに振り返り、軽く目配せする。
「さてと。ここがマナ汚染の中心地だ。──じゃあ、あとはお願いね、ラフィ」
「は、はい……」
とりあえず考えるのはあとだ。
無意識にゴクリと唾を呑む。
パルメに促され、曲がり角を曲がる。
道具屋の看板の先。
古い家々が立ち並ぶ昔懐かしい風景。
ちょうど見通しの良い、石畳の一本道の先に。
──『ソレ』は、存在していた。
「うっ………!?」
目の前の光景に思わずえずきそうになる。
両手で口を多い、吐き気が込み上げるのをなんとか抑えた。
それは、まるで──、黒い沼のような巨大な汚染溜まりだった。
商店街の一角にこびりつくように、マナの泥山がそこら中に存在していた。
まるで建物を覆い尽くすカビの山だ。
圧迫感のある魔力の余波に、思わずくらりとする。
油断すると意識を持っていかれそうなほどに、その光景とマナの重みは衝撃的だった。
──これはダメだ。絶対、本当にヤバいやつだ。
本能が危険信号を鳴らす。
わたしは膝を震わせながら、呆然とその絶望的な光景を見つめた。
そんなわたしの目の前で。
猫耳の獣人の尻尾が、静かに不敵に揺れているのだった。
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