第3話 情報屋
「まずいですね……」
とある集合住宅の一室。
天気の良い昼下がりの午後のこと。
部屋の隅の戸棚の前で、わたしはどんよりとした空気に覆われていた。
複雑な悩み事に遭遇したわけではない。
直面しているのは、いたってシンプルな問題である。
「……お金が……、ない」
通帳の残高に並ぶ貧相な数字にくらりとする。
天井の木目を仰ぎ見ながら、わたしは気の抜けた息を吐いたのだった。
さて。
月末の極貧生活は毎度のことではある。
だが、今月は出費も多かった上に、先日の車の処分代でかなりの金が飛んだ。
来月の家賃も足りない。
それに、生活するための魔石代も足りないのだ。
魔石は全ての魔動機械の動力、つまり燃料である。
焚き火に対しての薪みたいなものだ。
水道にもコンロにも魔石は必要だし、これがなければ最低限文化的な生活を送ることすらできない。
大袈裟にいえば命に直結する問題だ。
ピンチというよりもはやアウトだ。
まあ最悪、半サバイバル生活になるとして……。火はわたしの魔術でなんとかなるかもしれない。
水は……川の水でも汲んでくるか?
でも最近はこの辺の川の水質も悪いと聞く。気軽に野宿できた百年前とは状況が違うのだ。
何か変な病気にでもなったらそれこそ破産だ。
わたしは戸棚の前で手元の通帳を睨みつける。
なぜ社会は豊かになったのに、わたしたちの生活は苦しくなるのだろうか。
本当にこの世は理不尽極まりない。
「はぁ……。どこかに落ちてないですかね。手っ取り早く大金が稼げる仕事が……」
そんな都合の良い仕事があるわけがない。
人生そんなに甘くない。
わかってはいる。
わかってはいるのだが……、願わずにはいられないのだ。
貧しい子羊に救いの手を差し伸べてくれる神々しい女神の存在を……。
そんなわたしの切実なぼやきに反応したのか。
ソファで寝転がっていた少女が、くるりと体を反転した。
彼女は頬杖をつきつつこちらを見る。
「お、仕事探しかぁ?なら久しぶりに冒険者ギルドにでも行ってみるか?依頼あるかもしれないし」
「その呼び方はいい加減改めてください、リル。若者に笑われますよ。……もう存在しないんですから、冒険者なんて職業は」
ぱたん、と通帳を閉じて振り返る。
その呼称は、いわゆる死語だ。
最近では、その名称を使うのは人間の爺婆か、時代の流れに取り残された長命種だけである。
少なくともわたしは年寄り臭いので使いたくない。
冒険者という職業──。
それは、時代の流れに飲まれて消えた、今はもう存在しない職業だ。
かつての花形職が衰退したのには明確なわけがある。
一番の理由は至極簡単だ。
世界には、もう冒険するような場所は残っていないのである。
まず、馬車よりも速くて便利な魔動車が世界を狭めた。
あれらは魔石さえ食わせておけば馬より速く地を駆ける。
遠方へのアクセスが昔より遥かに容易になり、誰でもそれが可能になった。
結果、秘境と呼ばれる場所も次々と減っていったのだ。
昔は地の果てと言われた極北の妖精族の森でさえ、今は目の前に外食チェーン店が構えている始末である。
冒険心もくそもない。
次に、武器が目覚ましく発達した。
ときおり現れる魔獣の退治も、兵士数人で事足りるようになった。
火薬や魔力を使った銃の誕生。
それが全体の兵士の戦闘力を底上げしたのだ。
せこせこと剣を振る必要もなくなり、今や女や若い兵士でも魔獣に挑めるようになった。
薬草などの採集も、めぼしい物は企業規模で栽培されるようになった。
もはやわざわざ遠隔地にとりにいく必要はない。
リスクを冒さずに手に入れることができるし、値段も安く落ち着いた。
唯一、魔石の需要だけは鰻登りだが、それは冒険者ではなく鉱夫の仕事になった。
その結果──。
かつて冒険者と呼ばれた者たちは、需要の低下とともに段々といなくなっていった。
時代の流れによる自然な淘汰と言えるだろう。
少し寂しさを感じなくもないが、それが時勢というものなのだ。
わたしは通帳を棚にしまう。
そして、呑気に頬杖をついている相方に言葉を返した。
「──いいですか、今のわたしたちは冒険者ではなく『請負屋』です」
ため息とともにそう告げる。
冒険者という職は消えた。
だが一応、その流れを汲んだ似たような職業は残ってはいるのだ。
それが請負人。もとい請負屋と呼ばれる者たちだ。
面倒事や一筋縄ではいかないこと。
そんな内容の依頼を金で受けて、いい感じに解決する職業である。
有り体に言うなら便利屋、つまり何でも屋だ。
それがリルとわたしの現在の仕事なのだ。
かつての花形職業が、今は不安定で低賃金な職へと落ちた。
時代の流れの無情さを感じずにはいられない。
リルはわたしの突っ込みに、「ああね」と肩をすくめる。
「ギルドじゃなくて、今はジョブセンターて言うんだっけ?なんかえらくフレンドリーな響きになったよなぁ」
くすくすと笑う魔族の少女。
呑気な彼女は、細かいことはあまり気にしていないらしい。
まあ、明日を憂うわたしと、今を楽しむか彼女との違いだろう。
たまにその性分が本気で羨ましくなる。
「まあ、たしかにここで悩んでてもしかたないですよね。行くだけ行ってみましょうか。月末なのでロクな依頼残ってなさそうですが……」
どんな仕事でもないよりはマシだ。
とりあえずなんでもいいから当面の日銭を稼がなければならない。
「おうよ。もし依頼受けれたらさぁ、帰りに飯でも食って帰ろうぜぃ。景気付けにぱぁーっと酒でもさぁ」
「だからお金ないって言ってるじゃないですか……」
「じゃ、金が入ったらってことで」
リルはくるくると人差し指を回す。
……うーん。
まあ、美味い仕事にありつけたなら、たまには良いかもしれない。
最近何かとついてない気もするし、景気付けというのも悪くはない。
なんだか上手いこと言いくるめられた気がしないでもないが、身近な目標を持つことは良いことのはずだ。
たしかに、窮屈な時間ばかりでは気持ちも滅入ってしまう。
「わかりました。考えておきます」
「よっしゃ!」
握り拳を作るリルを横目に戸棚を離れた。
上着を羽織り、バッグを肩にかけ、鏡の前で軽く前髪を整える。
中身の軽い財布を持ち、いざ仕事探しに出発──。
──まさに、そんな時分だった。
「ラフィにリル?いるよね?お邪魔するよー」
ガチャリと、ふいに玄関のドアが開く。
そして一人の少女がひょっこり顔を出した。
茶髪のおさげがふわりと揺れる。
……おかしいな。鍵がかかってたはずなんだけど。
突然の来訪者は、頭についた猫耳をぴょこりと揺らした。
次いで、こちらを見とめると、ぶんぶんと右手と尻尾を振る。
「あ、いたいた。おひさ、二人とも」
「鍵開けスキル使って入ってくるのやめてもらえませんか、パルメさん……」
こちらのじっとりとした視線もどこ吹く風。
パルメはピッキングツールを手のひらでくるくる回し、「ごめんごめん、次から気をつけるねー」と、実にどうでも良さそうに返事を返した。
あれは絶対聞いてない。
というかわざとやってるし、次もやるやつだ。
ソファからのっそり身を起こすリル。
さっきとうって変わって、赤毛の魔族の少女から珍しく不機嫌な空気を感じる。
急に無口になるのは、彼女が警戒モードに入った時と相場が決まっている。
そして、リルはじとりとした視線をパルメへ向けた。
「……何しに来たんだよ、コソ泥ネコやろー。あたしたちはなぁ、今忙し──」
「リルー!久しぶり!相変わらずちっちゃくて可愛いねぇ!お姉ちゃんがよしよししてあげよう!」
「やめろぉ!あたしに抱きつくんじゃねぇ!コロスゾこのヤロゥ!」
ぎゃーぎゃーと暴れるリルとパルメ。
なぜか知らないが、リルは彼女とはあまり相性がよくないらしい。
なんだか会うたびに言い合いになっている気がする。
以前に喧嘩するほど仲がいいんじゃ?的なことをリルに告げたら、なぜか滅茶苦茶キレられた。
まあわたしにとっては、これといって実害といった実害はないのだが……。
触らぬ神になんとやらだ。
そういうことで、それ以来わたしはリルとパルメの仲裁を諦めている。
とりあえず近所迷惑なので、ここで騒ぐのだけはやめて欲しい。
うちの集合住宅は壁が薄いのだ。
となりの部屋のドワーフのおじさんは怒ると怖い。
「いいから早く用件いえよ!そんで帰れ!」
「まあまあ。そんな邪険にしないでよ」
パルメはリルを軽くあしらうと、こちらにくるりと顔を向けた。
流し目に目を細める彼女。
いつも以上ににんまりとした笑顔だ。
ちょっと不気味である。
「あんたたちが金欠でピンチだって聞いたからさぁ。こうしてわざわざ来てやったというわけよ」
「なんで知ってるんですか、それ」
「わたしは何でも知ってるからだよ」
答えになってない。
まあ、たしかに彼女の言う通り、今月はかつてないほどお財布事情が切羽詰まっているのは事実だ。
パルメは優秀な情報屋だ。
いろんなスジに顔がきく。
知るべきことは知っているし、知らなくていいことも無駄に知っている。
おそらく請負屋に回す依頼もそれなりにツテがあるはずだ。
もしかすると割りの良い仕事を回してくれるのかも……。
パルメはちらりとわたしを見る。
そして、こちらの心情を知ってか知らずか、可愛らしくウィンクをしてみせた。
「今日はね、女神様がキミたちに良い依頼話を持ってきてあげたんだ」
彼女は満面の笑みでそう言った。
獣人族特有の犬歯が、口の端からうっすら姿を覗かせていた。
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