第2話 詠唱魔術
──真夏の炎天下。
空は快晴。
そして、わたしたちはハイウェイのど真ん中で立ち往生。
いったいなんの罪だ。わたしたちが何をしたというのか。
どうやら救いの女神様は、わたしたちにはとことん興味がないらしい。
とりあえず、車の方はリルが頑張って押して脇に寄せた。
そのおかげで、後続車の怒りのクラクション地獄は回避できた。
リルは小柄で生意気だが、腐っても魔族だ。
腕力と喧嘩だけはやたらと強い。
非常時には何かと役に立つヤツである。
今日も思いがけず彼女のおかげで助かったし、今度肩でも揉んであげよう。
さて、あとはこのポンコツ車をどうするかだけど……。
「うーん……」
道脇に鎮座する鉄の塊にジトリとした視線を向ける。
こういうときは、まず現地に魔動車の修理屋を呼ぶのが鉄板だ。
しかし──、わたしたちにそれは不可能だ。できない理由があるのである。
ボンネットの中を舐めるように覗き込む。
鼻をつく刺激臭に、わたしは思わず顔をしかめた。
「動力の魔石は──、無事ですね。問題なのは……」
わたしは一応、それなりの魔術師だ。
魔動機械にも少しの知見くらいは持っている。
もちろん本職には及ばないが、長く生きているわけだし、まあまあ語れるくらいには勉強もしている。
魔力の流れを読むのは器用なエルフ族の得意技だ。
だが、正直わたしはそういうのはちょっと苦手なのだが……、まあその話はいったん横に置いておく。
とにかく、故障の原因の特定をするのには役立つ技能なのだ。
あとは流れが滞っているところや、乱れているところを探せばいい。
つまりはそれが原因箇所だ。
ゆっくりと目を閉じる。
そして、網のように広がる魔術回路をなぞり、魔力の流れを追っていく。
魔動機械の回路は非常に細かく複雑だ。
だが理路整然と積み重ねられているだけで、理解しがたいということはない。
集中して紐解いていくうちに、それらしい箇所に突き当たった。
「……着火のパーツ──。おそらく、火の魔術回路の部分に問題があるようですね」
動力部分の中核パーツだ。
運が悪い。
これは、ちょっとドライバーを使えばなんとかなる類いのものではない。
……まあ、とりあえず原因はなんとなくわかったし、あとは具体的にどう対処するかだ。
こちらが必死に状況の打開策を探している最中。
リルの眠そうな顔が、ボンネットの向こうで呑気にあくびをかましていた。
「で、どうなんだぁ、ラフィ?直るんかぁ?」
間延びした声で聞いてくる彼女に、ため息で返す。
本当にいつもマイペースなやつだと思う。
もう付き合いもそれなりに長いが、リルが焦ったところは見たことがない。
身体スペックがぶっ壊れている体力バカの魔族のことだ。最悪歩いてでも帰ればいいとか思っているのだろう。
わたしは絶対嫌だ。
そんなの、インドア派な自分には致命傷である。
そうなると、とれる行動はそれほど多くはない。
というか、方法はもうこれしかないだろう。
ふんすと鼻を鳴らして拳を握り、しっかりと気合いをいれる。
「……解決策はあります。わたしが魔術を使って車を動かすのです。魔動パーツだって魔術の道具なんですから、壊れたパーツの代わりをわたしの魔術で代替すればいいんですよ」
要は、無理やり動かせば良い。
仕組み的に連続点火さえできればいいのだ。
つまり、壊れたパーツが行っていた仕事を、わたしが魔術で代わってあげればいいのである。
もちろん、それはかなり精密な魔術の行使だ。
実際に可能かどうかはわからない。
少なくとも、そんじょそこらの魔術師ではどうにもならない仕事だろう。
だが、わたしならきっとできる。
……たぶん。きっと。……おそらく。
リルはわたしの返答をあくび混じりに聞いていた。
だが次の瞬間、跳ねるようにがばりと体を起こした。
いつも眠そうな瞳が、珍しく驚愕で丸くなっている。
「いや魔術って……。まさか呪文?詠唱魔術でかぁ?獣狩りならともかく、あんな百年前のカビの生えた技術で何すんだよ。原因わかったんなら、さっさと修理屋呼んで魔動パーツ取り替えてもらおうぜぃ」
リルは呆れ顔だ。
その口ぶりに、少しムッとする。
たしかに、言いたいことはわかる。
魔動機械が発達してからは、魔術はこれまでと在り方そのものが変わってしまった。
今はいちいち呪文を詠唱して魔術を使う者などほとんど残っていない。
火の魔術を使うなら、火を出す魔道具を使う。面倒な詠唱などせずとも、火の魔術回路を内包した着火用の魔動機械を使えば良いのだ。
他の属性魔術でも同様である。
詠唱魔術は呪文の唱え方ひとつでも効果が変わるし、魔力の消費もまちまちだ。
術者の実力やメンタルに大きく左右されることも少なくない。
つまり──、安定性が無いのだ。
それに対して、魔動機械は正確だ。
魔力効率に最適化された回路を内包し、ボタンひとつで魔術を発動できる。
魔石を燃料とするため、使用者の魔力量も関係ない。
悔しいが実に効率的なシステムである。
詠唱魔術とは、もはや滅びに向かう伝統工芸のようなものなのかもしれない。
──けれど。
「……わたしは百年以上を生きる魔術師です。エルフの大魔導士モルディアスの娘ですよ。詠唱魔術をバカにしないでください。そして、この程度の魔術の行使など──、このわたしには朝飯前なのです!」
「お、おう……」
啖呵を切るわたしに、リルはちょっと引いたように相槌を打つ。
絶対信用されてない。
そりゃあ、わたしだって本当はちょっぴり不安だ。
でもこうするしかない。
さっきも言ったが、修理屋を呼ぶことなどできないのだ。
……その理由はとても簡単。
なぜならそれは──、わたしたちがド貧乏だからである。
わたしはリルの方へと向き直り、腰に手を当てて睨みつける。
「修理屋と気軽に言いますけど。呼んだらいったいいくらかかるか知ってますか?高級ミレー酒の瓶が10本は買えますよ!」
「え、マジ……?嘘だろ、そんなに……?」
ここ一番の絶望顔を見せるリルだった。
根が飲んだくれの彼女には、理屈を並べるよりも酒で例える方が効くらしい。
「……よし。頼むぜぃ、ラフィ!おまえならやれる。あたしは信じてる」
コロリと態度を変えるリル。
ばっちり親指を立てている姿に、こめかみがピキリと鳴る。
じつに現金なヤツである。
……そこでわたしの勇士を見ているがいい。絶対に見返してやる。
わたしは大きく息を吸い込んだ。
そして、炎天下の空を見上げると、静かに瞼を閉じる。
「『万物の祖たる炎の精霊よ、エルフの魔術師、ラフィーリアの名を以って命ずる──』」
「頑張れラフィー。ふぁいとー」
「ちょっと気が散るんで黙っててください!これ精密パーツですよ!?マジで針の穴に糸通す感覚なんですから!」
呑気な相棒を黙らせ、再び詠唱に入る。
じりじりと降り注ぐ日光の中、炎の魔術の行使。
蒸し風呂で焚き火してるようなものである。
いったいなんの冗談だ。
暑さと緊張で変な汗がだらだら流れ落ちていく。
だが、ここで諦めるわけにはいかない。
お金の問題を抜きにしても……、わたしには絶対に引けない理由があるのだ。
──そう。
たしかに、魔術の在り方は変わった。
だがそれでも、わたしにはかつての父のようになりたいという『夢』がある。
どんな手段を使っても構わない。
詠唱魔術を復興するのだ。
滅びゆく伝統工芸にはさせない。
そのための努力ならいくらでもする。
それに、この程度の魔術行使もできないなら、そんな大願は成し得ない。
そうだ。
そして──、いつか見返してやるのだ。
英雄の誇りも捨て、名声も捨て。魔術を唱えることすらやめてしまった今の父。
かつての大魔導士モルディアスを。
「『──今ここに顕現せよ。燎原を焼き尽くす、大いなる炎のうねりを!』……ああっ、ちょっと待った、最小版で!」
慌てて詠唱を後付けする。
元々呪文詠唱とは攻撃用に作られたものだ。
素の状態では威力がでかすぎる。
それにわたしは魔力を絞るのがちょっぴり苦手なわけで……。
溢れる魔力の高まりを感じつつも、急いで限界まで出力を引き絞る。
アクセル全開で同時にブレーキを踏んでるようなものだ。
体中の神経がごりごり削られるような苦痛を感じる。
「ぐぬぬ……!」
だが──。苦痛に耐えたかいがあり、なんとか発動には成功したようだった。
目の前にふわりと極小の炎の塊が現れた。
一度小さくゆらめいたそれは、ゆっくりと移動を開始する。
車体の中に、精密に力と形を制御された炎の魔術が吸い込まれていく。
エンジンの隙間、壊れたパーツの内部へと──。
そして、一拍の間を置いて──。
ブルン、と車体がひと揺れしたのち。
派手な音を立ててエンジンが再始動した。
やった……!
思わず安堵で腰が抜けそうになる。
「や、やりましたか……」
「おぉ、すげーじゃんラフィ。さっすがあたしの相棒だぜぃ」
「ふん、当然です。そんじょそこらの魔術師と一緒にしてもらっては困りますね。わたしは大魔導士モルディアスの娘で、いずれは──」
──ボンッ。
高らかに名乗りを上げようとした、その瞬間。
軽快な音とともに、愛車は黒煙と火柱を吹き上げた。
まるでちょっとした火花の噴水だ。
思わずぽかんと口を開いてその光景に呆然とする。
「あっ……」
「あー」
リルはひょい、と助手席から飛び降りる。
そして徐々に火葬されていく車を眺め、唖然としたままのわたしを交互に見つめた。
「これ……、修理屋というかさぁ、もう解体業車呼んだ方がいいんじゃね?」
「うう………」
リルに反論する気も起きない。
よろよろと力が抜け、がくりとその場に膝をつく。
実際、大失敗もいいところだ。
もはや怒りを通り越して、情けなさでどうにかなりそうだ。
車と一緒に燃え尽きて消えたい。
いつも口の悪いリルも、そんな意気消沈なわたしをさすがに見かねたらしい。
珍しく、慌てたようにフォローする。
「……あー。……ま、まあ、そんな落ち込むなって!ほら、次にまた車が壊れたらさ、そのとき頑張ろうぜぃ!」
あははー、と笑いながら肩を叩かれた。
わたしはハァーと長い息をつくと、
「──次があってたまりますか!破産しますよ、わたしたち!」
青く澄み渡る大空に、無情な叫びが吸い込まれていくのだった。
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