詠唱魔術は衰退しました

@kinakoanpan

第1話 魔動機械



 魔動共和国フラクトロギア。

 それが、わたしたちの住む国の名だ。


 人類と魔族──。勇者と魔王の戦争の時代はもう遥か過去の話。

 世界を二分していた争いは、人族側の勝利で幕を下ろした。

 彼らが戦争終盤に開発した大規模魔術が決め手だったと聞いているが、まあ今を生きる人々にとってはどうでもいい話だ。


 今では人も魔族も共存して同じ社会の中で暮らしている。

 長命種のエルフであるわたしでさえ、種族ごとに争っていた時代は遠い昔のように思える。


 ──争いの時代が終わり、約百年。


 世界は目まぐるしく変わっていった。

 人族の社会は飛躍的に進歩を遂げた。

 教育機関の発達に伴い、魔術は正式な学問の一つとして扱われるようになる。

 魔力を伴う現象は統計と解析により体系化され、科学や工学、錬金術と組み合わせられ──。

 ついには、人間たちは魔力を便利な動力とすることに成功した。

 そして、様々な用途に特化した道具である『魔動機械』を作り上げたのだ。



「ふんふふーん」


 助手席に座っている相棒はいつもより機嫌が良さそうだ。

 開け放たれた窓から入り込む風を顔に受けながら、ヘッドホンをつけた小さな頭が音楽に合わせて愉快に振られている。

 彼女が頭につけているその道具。

 それも、まさにこの百年の進歩の恩恵の一つだ。


「楽しそうですね、リル」

「んんー?まあなぁ。今回は楽な依頼だったからな。金払いも良い依頼主で助かったぜぃ」


 リルはいつも通りの間延びした声でそう答えた。


 魔石を燃料として動く、新しい技術で作られた道具たち──。

 いわゆる魔動機械とは、本当に素晴らしいものだった。


 農業や工業は過去とは比べものにならないくらいに大規模になった。

 後に産業革命とも呼ばれたそれは、物流を変革し、経済を回し、多様な仕事を創出した。

 金の流れが増えると人の数も増える。

 人の営みが大きくなると、それに応じてますます文明は進み、富は増大していく。

 そして、人の生活は過去と比べ物にならないくらいに豊かになったのだ。


 ──そして今。


 人間だけではない。

 わたしたちエルフや亜人種さえも、魔動機械が組み込まれた社会の中で暮らしている。

 隣の少女がつけているヘッドホンもその一つ。

 もちろん、今わたしたちが乗っている魔動車──。

 魔石で動く車もその道具の一つだ。

 100年ほど前は、荷馬車を馬に引かせていたというのに。

 時代の進歩の速さとは凄まじくも恐ろしいものである。

 とにもかくにも、娯楽も生活も、以前より遥かに便利な時代になったのだ。


「そうですね。今回はスムーズに事が運んで良かったです。次もこのくらい楽に稼げるといいんですが……」

「なんだぁ?ずいぶん浮かねぇ顔してんなぁ、ラフィ」

「家計は相変わらず厳しいですからね……。まだまだ楽観はできません。ちゃんと切り詰めていかないと」

「まったく、おまえは相変わらず湿ってんなぁ。もっと気楽に生きようぜぃ」


 あっはっは、と相変わらず能天気に笑う相棒にため息をつく。

 いくら文明が進もうと、遥か過去から続くこの世の不条理はそう簡単には変わらない。


 皆が皆、豊かさの恩恵を平等に受けられるわけではない。

 こうまで国が豊かになっても、貧富の差というのはどこにでも生まれるのだ。


 かつては力の強いものが強かった。

 だがこの新しい世の中では、富と名声が全てだ。

 つまり、わたしや彼女のような貧乏人には、実に生きづらい世界なのである。


「──なぁ、ラフィ。せっかく金も入ったんだしさぁ。たまには酒でも買って帰ろうぜぃ。このままじゃあたし健康になっちまうよぉ」


 隣の助手席に座っている小柄な少女。

 赤髪がハイウェイの風にバサバサとなびいている。

 彼女は足をバタつかせながら、気だるそうな声を上げた。


 わたしはちらりと彼女に視線を向ける。

 そして、ため息とともにいつもどおりの返事を繰り返した。


「良いことじゃないですか。というか、お酒なんかにかけるお金はありません。まずは家賃を払うのが先です。もし滞納でもしたら、今度こそあの部屋追い出されますよ……!」

「この真面目ちゃんがよぉ。ラフィのケチクソでかケツやろー」

「──このクソガキっ……」

 

 魔動車のハンドルを握る手に、つい力が入る。

 魔石を燃料に走る車が、がたんと左右に揺れた。


 ……いかんいかん。

 リルは見た目は幼い少女だが、それなりに長くを生きた魔族だ。

 こう見えて結構したたかなヤツなのである。

 わたしを煽って怒らせ、良いようにコントロールしようとしているのだ。


 その手には乗らない。

 時代は大きく変わったが、わたしは由緒あるエルフ族の魔術師、ラフィーリア=ローレンス。

 こんな魔族の挑発になど乗らない。絶対にだ。


「いいですか。今回の仕事のように全てが順調に行くわけじゃありません。普段から節制を心がけて、余裕のあるときに少しでも貯金に回すのです。それが賢い人の生き方で──」


 リルに人生の講釈を垂れ始めた、そのときだった。

 ブレーキを踏んだわけでもないのに、突然車がガクンと減速する。

 思わず前につんのめった。


「おぉ?」

「……え?」


 ガタガタと断続的に揺れるシート。

 アクセルを踏み込むが、車の減速は止まらない。

 まるで気の抜けた風船のように、動力がしぼんでいくのを感じた。


 嫌な予感がする……。

 再度アクセルをがしがしと踏み込み、成果の出ない行動を必死に繰り返す。

 顔に感じていた向かい風が、ゆっくりと収まっていく。

 そして、数秒後──。


 ぷすん、ぷすん……。


 情けのない断末魔の音を上げて、車のエンジンが息の根を引き取った。

 かろうじて動いていたタイヤも止まり、車体は最後にがくりと揺れて──。

 ……ガクンと完全に停止した。


 ハンドルを握る手に冷や汗が滲む。


「う、嘘でしょ……」


 絶望である。

 ここは都市間を繋ぐハイウェイのど真ん中。

 家まではまだずっと遠いし、押して帰れる距離ではない。

 このままでは万事休すだ。


 慌てて飛び降りるように車を降りる。

 そして車体の前に回ると、ボンネットを開いてみた。


「うわっ……」


 とたんに蓋の隙間から黒い煙が立ち上る。

 油の臭いと魔力の濁った臭い。鼻をつまみたくなるような激臭。

 明らかなエンジンの異常だった。


 助手席のリルが、やれやれと肩をすくめている。

 そして、これ見よがしに口を尖らせて言った。


「ほらみろぉ。ケチってボロ中古車なんか買うからこうなるんだ」

「し、仕方ないじゃないですか!お金ないんですから!」


 わたしは魔族の少女を睨みつける。

 たしかにちょっと節約のつもりで安い中古車に手を出したが、まさかこんなにすぐダメになるなんて思わなかったし……。

 まあ今は言い争っている場合ではない。

 すぐに車に向き直ると、鼻を摘んで再度ボンネットを覗き込んだ。

 故障の程度は不明だが、とりあえず放っておけば収まる程度のものではなさそうな気がする。


「……だ、大丈夫です!ちょっと魔石の調子が悪いだけですよ。こういうのは斜め上から叩いてやればすぐに直ります。お婆ちゃんもそう言ってました!」

「いや、なんだよそれ……。エルフの民間伝承かぁ?」


 呆れ顔の相棒はさておき──。神に祈るつもりで、がすん、と家族直伝のヤケクソチョップをかましてみる。

 だが当然、車は道路の真ん中で物悲しげに揺れるだけだった。

 なんともいえない静寂があたりを包む。


「ダメじゃん」

「………。」


 リルの可哀想なものを見るような視線が痛い。

 とにかくなんとかしないと、このままでは炎天下でずっと立ち往生だ。

 さすがに真夏日のハイウェイでこれは命に関わる。

 早急に対策を考えなければならない。

 まったく、仕事終わりになんて一日だ。


 わたしは、はぁ、と深くため息をつく。


「これだから魔動機械ってやつは……。いざってときに頼りにならないんですから……」


 普段便利なだけにより腹立たしい。

 爪を噛み、ぶつぶつと文句を呟くわたしの前で、リルが不意に声を上げた。


「なあ、ラフィ」

「…………。」

「ラフィよぉ」


 助手席からふりふりと振られる手の平。

 彼女の間延びした声に、思わずイラッとする。

 リルはいつも呑気だ。

 それは長所でもあるし、べつに嫌いではない。むしろせっかちなわたしには、相方としてちょうど良いのかもしれない。

 だが──。さすがに今はときと場所を選んで欲しい。

 わりと生きるか死ぬかの瀬戸際なのだ。


「もうっ、なんですか!今それどころじゃ……」

「なんかさぁ、後ろですげー渋滞おきてるぜぃ」


 リルが親指で後ろを示しながら、呑気にあくびをしつつ告げる。


 いつのまにか、背後にずらりと列をなす後続車たち。

 幅の狭い道だ。それをこちらが塞いでいるのだから当然である。

 そんな状況に痺れを切らしたのであろう。

 わたしと目が合った瞬間に、クラクションと怒声が鳴り響いた。

 思わず、ヒッと息を呑む。


 まったく、ヒト族とはなんと短気な生き物なのだろうか。

 やはり短命種とは分かり合える気がしない。


 夏のじりじりとした暑さの中。

 溶けそうになるほどの日差しを浴びながら。

 わたしたちは「あー……」とゾンビのように声を漏らした。


「はぁ……、もう帰って寝たい……」

「それはどーかん。」


 面倒くさそうに伸びをする相方の声を聞きつつ、わたしは晴天の空を仰いだのだった。

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