第2話 吉兆
元日の朝、浩一郎は田んぼに出かけた。
浩一郎の家は稲作農家である。浩一郎で五代目であった。
田んぼは、すべての稲が刈り取られ、土がむき出しになっている。
三月までは、昨年の米作りで痩せてしまった土地に堆肥をやり、耕運機で耕し、土づくりすることになる。
去年は、米不足から米の価格が高騰し、消費者の手元に届く時には、ほぼ倍の値段になっていた。だが、米農家の収入が倍になったわけではない。
増えたのは、例年に比べて二割ていどである。
二割の収入増は助かった。
とは言え、肥料代、電気代、ガソリン代が高騰した上に、農耕機械のローンと、支出も増えた。
農作業は厳しい。対価は満足なものではない。
どうにかならんもんかな……。
白い溜息をついたとき、近くに立つ男に気づいた。
浩一郎と同じくあぜ道に立ち、田んぼを眺めている。
一体、いつからそこにいたのか。
辺り一帯は田んぼで見晴らしが良い。最初からそこに立っていたのなら、浩一郎がここに来た時に気づくはずである。
後から男が現れたとしても、ここまで近寄ってくる前には気づいたはずであった。
「……あの」
声をかけようとしたとき、男がこちらを向いた。
何とも福々しい顔をした人物であった。
伸びた眉尻がたまらないほどに垂れ、その下の目は、優しく穏やかに細められている。
そして、柔らかそうな顎鬚と大きすぎるほどの福耳。
頭には頭巾をかぶり、緞子と呼ばれる、絹で出来た厚手の衣服を身にまとっていた。
浩一郎が言葉を詰まらせていると、男の方が口を開いた。
「あけましておめでとうございます。
五穀豊穣、商売繁盛、豊作豊作。めでたい、めでたい。
今年は良き年になりましょう」
沁み透るような声である。
「あ、ありがとうございます」
浩一郎は思わず頭を下げた。
そして、頭を上げると男が消えていた。
驚いて周囲を見回すと、田を挟んだ対面のあぜ道を歩く男の姿が見えた。
一瞬のうちに移動できる距離では無い。
さっきは気づかなかったが、男は肩に大きな袋を担いでいる。
ふわふわと歩く姿が、田園の風景と一体化して不思議なほどに神々しい。
神様か……。
浩一郎は、去っていくその姿に手を合わせた。
今年は良い年になるようだ。
ありがたい、ありがたい。
寒風の中にも関わらず、体も心も温かくなるようであった。
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