第4章 また会おうから長かった

また会おうから長かった (1)

牢屋とは基本的にどこの世界でも変わらないらしい。狭くプライベートのない空間。石の壁に囲まれ、唯一の外界との接点は強固な鉄格子によって阻まれ脱出不可能。ここに収容された者は皆犯した罪を悔いるか、刑の執行まで震えて待つか。よもや呑気に寝ちゃう能天気さんなどいるはずがない。


「すやすや」


 春賀は寝ていた。


「ハルカ殿ー。おーい」

「・・・ぅん・・・あ、王様おはようございます。むにゃむにゃ」

「よくこの状況下で寝てられんな。ワシが言うのもなんだけど」


 シムケン王が牢屋の前で立っていた。少し離れた壁際にサリアリットの姿もある。

 あれから一日くらい経過しただろうか。睡眠時間がそれなりに長かったことを、体のコリ具合が教えてくれる。


「こんなところに入れて、すまんの」

「全然かまいませんよぅ」


 引きこもり気質の春賀は豪華な客室よりも、こういった狭くてジメジメしている場所の方が性に合っていた。


「それで・・・見たのだな?」

「ザックさんのことですか?」


 起床後のすっきりした顔で平然と返す春賀。

 覚悟はしていたが、それでもシムケン王は背筋に寒気を感じてしまう。


「僕もいずれああなるってことですね」

「・・・そのはずだ。お主の魔力が覚醒したとき、おそらくは同じ末路を辿るだろう」


 シムケン王はそこで、ふうと息を吐き、引き寄せた椅子に逆向きに座った。なんともだらっとした、リラックスした体勢。これから語られることは、それとはまったく対照的だが。


「もう感づいてんだろうが、お主はボルヘイムに魔力を差し出すための生贄だよ」


 ぶっちゃける、という言葉がしっくりくる、観念したような口調。すべて承知だったはずのサリアリットが、後ろめたそうに顔を伏せた。


「魔力とは別名、生命の上澄み。そして魔道人形には搭乗者の魔力を吸収する機能が備わっておる。一度乗ったが最後。魔力を吸い尽くされ、廃人と化し死にいたる」


 魔力0=死。これではフィアーナが魔力の枯渇を忌避するのも当然だ。

 最初の生贄はここに投獄されていた死刑囚。次に捕らえてきた悪党だったらしい。春賀は、道理で他の牢に人の気配がないわけだと納得した。そこにいた誰かは想定より早い死刑執行にさぞ驚いたことだろう。


「ザックちゃんは優秀な男だった。未来ある若者であり、この国をさらなる繁栄へ導く逸材じゃった。ハルカ殿。お主があやつのことをそう呼ぶということは・・・」

「はい。ザックさんがそうしろって」

「・・・そうか。ようやくあやつにも、友と呼べる者ができたということじゃな。ワシはまあ、勝手に呼んでただけだし。巨乳フレンズだったし」


 最後の方はあまり言う必要はないような気がする。


「話を戻そう。死刑囚は底をつき、悪党は行方をくらました。いよいよ誰かがその役割を担わなくてはならなくなった。そこで最初に手を上げたのはサリーだ。愛する民の誰も犠牲にするわけにはいかないと言ってな。しかし・・・」


 シムケン王はその先は言わなかったが、おおよその見当はつく。

 サリアリットはこの国の姫だが、まだ年端もいかなぬ女の子だ。救国への脅迫的使命感と死の恐怖の狭間で、彼女がどれだけ葛藤し、自分を責めたかは想像に余る。


「そこで見かねたフィアーナが代わりを申し出たのだ」

「なるほど。だからあのロボットがあの村にあったんですね」


 シムケン王は頷いて、それを肯定する。


「できれば生まれ育った村で誰の目にも触れずに、というのでな。覚悟を決めるのにも必要だったのだろう。そこで地球人であるお主が召喚されるとは、まさに奇跡だ」


 シムケン王は椅子から降りた。跪き、両手をついて腰を折る。そして、ただの地球人の少年に、決して軽くないはずの頭を躊躇うことなく下げた。


「ワシはこの国の王だ。この国の未来のため、ボルヘイムとの取り引きを穏便に終わらせる。一切申し開きはしない。お主には最期まで、この国に命を捧げてもらう」


 頭は地べたに。しかし決断は冷酷非情。

 国を動かす〝王〟という歯車は、異世界の少年に〝この国のために死ね〟と告げた。

 普通ならこんな理不尽、到底受け入れられない。罵声を浴びせ、憤りの感情をぶつけることだろう。それが普通。人として当たり前の感情だ。


「もっもう、やめてくださいよ。というか、そんなこと王様として当たり前じゃないですか。ポンと現れた僕一人となんて比べるまでもないですよぅ」


 これが正義感。もしくは自らを奮い立たせる虚勢なら、納得もいくし感服ものだ。

 しかし、この少年からそれらしきものは感じない。状況をなし崩しに受け入れた諦めもない。言い渡された不当さえも他人事のように振る舞う異様な姿だった。


「前に頑張るって言ったじゃないですか。僕は救世主をやめたりしませんよ」

「・・・やはり、その時点から気づいておったか」

「え? ええ、まあ。フィーさんやサリーさん、王様の目を見て。具体的なことはわかりませんが、少なくとも何か隠してるんだなーってことは、なんとなく」


 聞かれたくなさそうだったから聞きませんでしたけど、と春賀は付け加えた。


「・・・そうか。他にはどこまで気づいておる」

「気づくって・・・全部推測だし、なんとなくですけど。そうですねぇ」


 春賀は少し考えるように首を傾げ、


「あのロボットがフィーさんのお父さんが作ったものじゃないってことと、ボルヘイムにはたぶん僕と同じ地球人がいるんじゃないかなってこと、かなぁ」


 さらっと言った。


「だってあれ、この国の技術じゃ絶対作れないと思いますし。明らかにオーバーテクノロジーっていうか。それに変じゃないですか? 肝心の地球人が僕以外にどこにもいないなんて。話ではたくさんこの世界に召喚されたはずなのに。それらのことを踏まえて考えると、まあ、なんとなく・・・ふう、長台詞は疲れるなぁ」

「・・・・・恐れ入る」


 シムケン王がその一言で答え合わせをした。


「目は口ほどにものを言うとは地球世界の言葉だが、お主のはもはや魔法だな」

「大袈裟ですよぅ。目を見て、あとは雰囲気からなんとなく察してるだけですから」


 春賀は、みんなやってますよぅ、とこともなげに言っている。

 人が内に隠した本心。特に嘘やそれっぽいものに敏感に反応し、察知することに特化した読心術もどき。これは体は小さい気も小さい、男らしさの欠片もない、どちらかと言えばダメな部類に入る地球世界の少年。真崎春賀が持つ唯一の特技だった。


「・・・一体どのような人生を送れば、その歳にしてそこに行きつくのか。機会があれば窺ってみたいものじゃ」

「面白くもないですよぅ。もう終わったことですし」


 終わったこと。シムケン王はその言葉の真意を訊ねる気にはならなかった。聞けば彼はそれを何でもないことのように平然と語るだろう。しかし、そんな〝吹っ切れた人間〟の心の藪をつついたところで、ロクなことにならない。勇者殿には最後までその役目に徹してもらえればそれでいい。それ以外は必要なく、必要以上に関わるべきではないと判断した。

 深く関われば、ひきずりこまれるかもしれない。

 あの得体の知れぬ、言語化できない寒気と形の見えない薄気味悪さ。

 例えば、そう―――〝死〟、とか。


 ★


 地下牢での会話は終わった。

 きっとそう言い含められていたのだろう。サリアリットは最後まで一言も発することなく、シムケン王の後に続いて階段の奥に姿を消した。


「あの・・・フィーさん?」


 春賀は一人残った魔法使いにおずおずと声をかけた。彼女はずっとサリアリットの隣にいた。深く被ったフードで顔を隠し、ずっと黙っている。


「その・・・僕のことは気にしないで。死ぬのが怖いなんて、当たり前なんだから」

「―――――ッ」


 責めるつもりはないんだけど。まいったなぁ。


「それに、結果的にフィーさんが嫌いなこの国を救うことにもなるわけだし」


 春賀は、あははと笑う。なるべく深刻な感じにならないように。


「こんな国じゃそうなるのは自然だよ。正確な理由はわからないけど、どうにもこの国には魔法使いに対して差別的な意識が深く根付いてるみたいだし」


 これまでにそんな風潮は随所で見られた。この国の人たちは直接的な暴力や迫害はしないまでも、フィアーナに向ける視線は常に冷ややかだった。誰もが彼女から一線を引いていた。そんな環境で生きてきた彼女にとって、唯一自分を親友と慕ってくれるサリアリットがどれだけ大切で、特別な存在だったか。


「大切な人を守りたい。でも自分も死にたくない。傲慢で自分勝手かもだけど、そんなのはおかしくもなんともない。大丈夫、フィーさんは何も悪くないよ」


 フィアーナからの反応は依然としてない。それでも春賀は言葉を続けた。


「僕ね、聞こえたんだ。この世界に落ちてくる前、フィーさんの声が」


 もし世界と世界の間があるのなら、そこに沈みながら確かに聞いた。

 親友を犠牲にしたくない。だから私が代わりになる。

 でもやっぱり死にたくない。死ぬのは怖い。

 でも、逃げたら今度こそあの子が。もう、どうしたらいいかわからない。

 そして彼女は言った。泣きじゃくりながら強く願った。

 ―――〝誰か助けて〟と。


「僕はフィーさんの声を聞いてこの世界に召喚された。だから決めたんだ。フィーさんの役に立とうって。フィーさんの〝助けて〟に応えられる、救世主になろうって」


 春賀は助けたかった。彼女を苦しめる世界から。彼女を虐げるすべてから。


「だからフィーさん、言ってみて」


 春賀は鉄格子の向こうにいる、フィアーナに問いかけた。


「フィーさんは、この国を?」


 春賀は純粋に彼女の言葉を欲した。

 ただ地球人というだけの、無力な自分の背中を押してくれる言葉が欲しかった。

 すでに終わってしまった、空っぽの自分に意味をくれる言葉を。

 過去、この国と地球人との間にあったいざこざなんて、どうでもいい。

 彼女の言葉以外、必要ない。

 それさえあれば、


「なんだってするよ。僕はフィーさんの役に―――」


 気付いた時、春賀は抱きしめられていた。

 鉄格子を開け放ったフィアーナの胸に。ちょっと痛いと思ってしまった。


「ごめんなさい・・・ごめんなさい・・・・・っ」


 嗚咽交じりの声が落ちてくる。言葉が見つからないのか。彼女はそう繰り返し、あとはただ春賀の顔をその腕で強く抱きしめた。頭に小さなものが落ちてきた。涙だろうか。


「フィーさん?」

「・・んなさい・・・・・ごめ・・さい・・・・・」

「どうしたの? なにを泣いてるの?」

「さい・・・ごめんなさい・・・・っ」


 どれだけ聞いても返ってくるのは、理由のわからない謝罪ばかり。

 こんな時こそ目を見れば、その真意がなんとなくでも察することができるのに。

 しかし、今は無理だった。


(まいったなぁ)


 結局春賀は彼女の涙の意味がわからないまま、しばらく抱きしめられていた。

 温かかった。



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