幕間劇

幕間劇

 そこは魔の山脈と呼ばれていた。

 大自然の要塞は同時にモンスターたちの領域。彼らはここに人間が足を踏み入れることを許さない。侵入すれば問答無用で排除し、仮に逃げられたとしても今度は環境が容赦なく牙を剥く。昼夜の寒暖差の激しい気温差と、方向感覚を狂わせる森の迷宮。その過酷さに脆弱な人間は耐えられないか、いつ襲われるかわからない極限状態で発狂するか。いずれにせよ死の運命から逃れることはできない。

 魔の山脈とは人類にとって、もっとも死に近い場所。

〝魔界〟とも呼ぶべき神聖な領域だった。


「ついに私たちが帰る番が来たんだな」


 そこは薄暗い部屋だった。決して広くない間取りに設置された、たくさんの電子機器。モニターやスイッチ、計器類の小さな発光箇所が唯一の光源となっていた。


「しかし、僕たちが先で本当にいいのかい?」


 もう一人が尋ねた。その矛先は、彼ら二人の前に佇む魔道人形だ。


「いいんですよ。それに、あんな状態のあの人を置いてはいけませんから」


 中から男の声。その返答に二人は申し訳なさそうに顔を伏せた。


「すまないね・・・」

「いえ。それより俺がこの世界に召喚された時のように、こっちの時間軸とズレる可能性がありますが・・・」

「すでに多くの人を送り出してきたんだ。大丈夫。世界転移システムに不備はないよ」

「・・・そうですね。では」

《―――OK。ターゲットロック。シャトルサークル、展開―――》


 魔道人形が、淡い光を放ち始める。出現した様々な図形が組み合わさった光の陣が、男たち二人を囲った。


「魔法とはやはり不思議な感覚だね。いち研究者として、この不可思議な力を究明してみたかったけど・・・」

「冗談言うな。こんな世界にいつまでもいられない。そうだろ?」

「・・・ああ。私たちは元居た世界に帰る。これは同じく、この世界に召喚された同胞たちの悲願。彼らのおかげで、ついに私たちも帰ることができるんだ」

「そのために途方もない時間と、多くの犠牲がでた」


 男は静かに目を閉じた。そして、深いため息が漏れる。


「一時は僕もあの人のように復讐に心を滾らせたものだが、今はもう疲れた……どうでもいい。早く帰りたい・・・」

「帰れますよ」


 魔道人形の中から男が励ますように言った。二人も顔を見合わせ、頷き合う。表情は期待と安堵に満ち、そして晴れやかだった。


「今まで本当にありがとう!」

「キミたちの無事を地球世界から願っているよ!」


 そして―――世界の外へ手を伸ばし、道を繋げる魔法が発動した。

未来への帰路アヴウィール〟!


 ★


 グリシナは壁のスイッチを押し、照明を点けた。電球の暖色で照らされた部屋に足を踏み入れ、奥に佇む魔道人形の前に立った。


「お二人はもう行かれましたか?」

「ああ」


 胸部ハッチが開いた。姿を現したのは漆黒の鎧の男、竜騎士である。今は兜を外しているので、その顔を拝むことができた。年齢は三十代前半辺りだろうか。少し疲れた印象だが、端正な顔立ちはさぞ異性の目を引くことだろう。小柄なグリシナと比べると、その高身長がより際立った。


「ここも随分と寂しくなったな」


 男は機械ばかりで閑散とした部屋を見回す。

 少し前までここにはたくさんの地球人がいた。しかし、地球世界へ帰還する方法が確立してからは徐々に数を減らし、今では彼を含めて二人のみとなった。


「ご報告があります。どうやら奴らは新たな地球人を取り込んだようです」

「なるほど。魔力燃料が使用されていたのはそのためか」


 男は納得したように腕を組む。

 エリスが魔力燃料を必要とするのは、搭乗した地球人が限定的ながら魔法を行使するためだ。しかし、その機能はネイバース世界の人間には使えない。もとから魔力を保有する彼らが乗った場合、搭乗者の魔力を取り込む機能〝赤い魔道書ドギマギア・システム〟が強制的に発動するからだ。


「今の奴らに召喚魔法が扱えるとは思えない。おそらくは偶然か・・・」


 やはり魔法とは厄介な能力だ。奇跡というイレギュラーを平気で起こす。こんなものを奴らが真っ当に使えてたらと想像すると、ぞっとする。それを廃れさせたのだから、先輩方の計略には感服するほかない。


「おそらくは男・・・だと思われます。言動からの推測なのですが、なにぶん容姿が女のようで、性格も男らしさとはかけ離れておりまして・・・」


 そこまで説明を終えたところで、グリシナは男の口元に小さな笑みが浮かんでいることに気が付いた。


「すまない。俺の幼馴染がちょうどそんな男なんだ」


 ああ、またか。とグリシナは思った。

 この話をする時、この人は決まってこんな顔をする。昔を懐かしむように目を細め、その時の情景を眺めているような。そして、とても楽しそうに。


「そいつは気弱で泣き虫で、いつも俺がいじめっ子から守ってやってたんだ」

「随分と情けないのですね」


 グリシナはつい棘のある言い方をしてしまうが、男はそんな彼女を叱ることなく、そうかもな、と屈託なく笑った。


「でもあいつはすごく努力家で、頑張り屋で。学校の成績も上位だったし、剣道の大会で俺と一緒に優勝準優勝したことだってあるんだぞ。その時テレビの取材受けて、俺たちは唯一無二の親友だって・・・っと、悪い。つまんない話を聞かせたな」

「・・・・いえ」


 つまんなくなんかない。むしろ、もっとこの人の話を聞きたかった。

 しかしそうなると、どうしてもその〝親友〟が出てくるから複雑だった。

 親友との思い出を嬉しそうに語り、時折切ない表情をする。

 この人にとって、その親友がどれだけ大切な存在なのか痛いほどわかった。

 わかってしまって、胸がギュッと締め付けられた。


「まずはその地球人を助け出さなくちゃな。明日にでもまた王都に出向くぞ」

「私もお供します」

「よろしく頼む。・・・だけど本当は、お前を巻き込みたくないんだけどな」

「! 何をおっしゃいますか!」


 グリシナは反射的に声を荒げた。


「確かに私はあなた方の怨敵である、この世界の人間です! しかし、この魔の山脈に捨てられた赤子の私を拾い、育ててくれたのはあなたです! そして地球人の皆さんは私に優しくしてくれた! 欠陥品の亀裂者である私を・・・私なんかを―――」


 そこまで言って、ハッとなる。大恩あるこの御方に、なんて口を・・・。

 しかし男は穏やかな表情で、グリシナの青空色の髪をそっと撫でた。髪をすべる男の手の感触が心地よくて。高ぶった感情が自然と和らいでいくのを感じた。


「俺はただ、お前が心配なだけだ。それと、自分のことをなんかなんて言うな。お前は俺の大切な妹であり、大切な娘なんだからな」

「・・・申し訳、ありません」

「そういうところだよ。昔はもっと無邪気に接してくれたのに・・・これが成長したってことなのか。でも、お父さん悲しいよ」


 わざとらしく泣き真似までする。ほんと、この人にはかなわない。とても巨大な黒竜を駆り、竜騎士と恐れられる人物とは思えない。この人たちがいた地球世界が、どれだけ穏やかで平和だったのかがよくわかる。

「・・・ごめんね、パパ」

「そうそう、そんな感じだ」


 男は嬉しそうに笑った。

 この人に拾われてよかった。心からそう思う。もし捨てられなかったとしても、あそこではこんなに穏やかな時間が流れることはなかっただろう。

 自分は生来不安定な存在。普通の人が生きる上で自然に消費している魔力を、上手く消費することができない不完全な体。体内から溢れ、漏れ出した魔力が暴発するかもしれない危うい体。実際、昔はそれが原因の事故がたくさんあったらしい。

 魔法はそれを抑えるための手段。

 魔法を行使し、魔力を消費しなければ生きていけない。

 そういった身体的欠陥を抱えた人を、あの国の人間はこう揶揄した。

 亀裂者。もしくは、―――〝魔法使い〝と。

 だから両親もそんな忌み子の自分を捨てたのだろう。

 だが、そんなことはどうでもいい。心からそう思える。この人たちに出会えたことが。この人の娘でいられることが、自分にとってこの上ない幸せなのだから。

 だから、もうすぐこの人と離れ離れになることが、嫌じゃない言えば嘘だ。

 しかも世界を超える別れ。間違いなく二度と会うことはないだろう。


「・・・・・・・・・・」


 グリシナは心の中に浮かんだ我が儘を、ぐっと飲み込んだ。本当はすべてぶちまけてしまいたいが、この人を困らせることはしたくなかった。

 だから誤魔化すために、いつも自分は嘘を吐く。


「パパ。今日はもう遅いから、早くお風呂に入って」

「そうだな」


 男は風呂場へと歩き出した。


「・・・・・・・・・」

 グリシナは後をついてった。男は脱衣所で鎧を脱いだ。

「・・・・・あのさ」

「・・・・・・・・・・・・」

「そんなにじっと見られると脱ぎずらいんだが」


 グリシナはガン見だった。


「気にしないで」

「いや、でも・・・」

「気にしないで!」


 目が血走ってる。


「脱いだものは私が洗濯機に持ってくから」

「お、おお・・・頼んだ」


 男は若干引きながらタオルで前を隠し、脱いだ衣服と下着を渡した。

 グリシナは、クルっと背を向け、


 すーはーすーはーすーはーすーはーすーはーすーはーすーはー・・・・・。


 男の下着に顔を埋めて、めっちゃ深呼吸した。


「グ、グリシナ・・・?」

「なに!?」


 クワッ! とすごい形相。

 大剣を振るう気高く凛々しい魔法剣士・グリシナ。彼女はその生い立ちから、重度のファザコンを二回りくらい拗らせていた。加齢臭で興奮するガチでキモイやつだった。


「そうだ!」


 嫌な予感がした。男はマジで身の危険を感じた。


「久しぶりに一緒にお風呂入ろ! いいでしょ!? パパもさっきこういうのがいいって言ってたよね!? それでおんぶして添い寝してご飯もあーんして……アッ! どこいくの!? なんでお風呂の鍵閉めるの!?」


 ガチャガチャガチャガチャガチャガチャガチャガチャガチャガチャガチャガチャガチャガチャガチャチャガチャガチャガチャガチャガチャガチャガチャ・・・・・・


(こええええええええ――――――――――――――ッ!)


 男は湯船に浸かりながらぶるぶる震えた。

 結局グリシナはしばらく、ドンドンドンドンドンドン、と激しくドアパンを繰り返し、最後にはでかい舌打ちをして去っていった。


「こ、これが娘の成長ってやつなのか・・・?」


 違うと思います。




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