魔法使いは濡れていた (4)

 魔法使いと魔法剣士の戦いは、互いに消耗の一途を辿っていた。

 フィアーナは民家の屋根に降り、ゴーレムで周囲を固め、こちらを見上げる少女剣士を見下ろした。


「さすがに、きついですね・・・」


 フィアーナは自身の魔法〝箒星スターダスト・点火バーニアン〟を、これまで以上に制御できるようになっていた。彼女はこの二日間、密かに魔法の特訓をしていたのだ。おかげで一度の発動で魔力の三分の一を問答無用で消費していたジェット魔法を、飛距離に応じた消費量に抑えることができるようになった。燃費の悪さは据え置きだが、発動回数だけならこれでかなり融通が利くようになった。

 これだけの改善を短期間で実現させたのは、彼女が高らかに自称する通りの才能を持っていたこともあるが、何より魔法の限界を知ることへの精神的恐怖から解放されたことが大きな要因だった。

 とはいえ、いくら使い勝手が多少改善されたとはいえ、もともと長期戦に不向きな一発魔法。これ以上の戦闘継続はどうにも如何し難い。


「いやいや、この数を前によくやる。まったく見上げたものだ」


 少女剣士の方もフィアーナほどではないが、クールな顔に疲労の色を滲ませる。なにせガードが間に合わなければ一撃ノックアウトなのだ。嫌でも精神が削れる。しかも動きの鈍いゴーレムではあの速度を捉えられないときた。これでは数の有利は機能しない。


「あなたの魔法。どうやら発動中は移動ができないみたいですね」

「・・・それくらいは看破したか」

「ええ。それと、ぶつかった瞬間に衝撃が殺されてるような感覚があります。おそらくですが、あなたの魔法はその防御能力なのでは?」


 さすが、と少女剣士はまたも感服した。しかし、感心ばかりしていられない。

 二人は束の間の膠着状態に、決定打への糸口を脳内で模索し続ける。

 それに反応したのは、ほぼ同時だった。

 降りしきる雨音。その向こうから聞こえてくる微かな雄叫びのようなもの。


「!? 上だ!」


 少女剣士が叫び、遅れてフィアーナが上を見上げた。

 黒煙に紛れて浮かぶ紫の光。降ってくる。落ちてくる。

 不穏の気配を纏ったそれは、まるで隕石のように二人の間に飛来した。

 響く轟音。地に衝撃が走る。得体の知れない乱入者に、少女剣士は咄嗟に距離を取るが、それ故に足かせとなる重い大剣を手放さざるを得なかった。

 フィアーナは屋根から落ちそうになるのを堪えながら、見た。

 降りしきる雨のスクリーンの向こうで、妖しく発光する鋼鉄の人型。


「エリスか!?」

「ハルカくん・・・まさかっ!?」


 魔道人形が、ぐらりと動く。


「ぐぎゃああああああああああああああああああああああああああああああっ!」


 悲鳴のような咆哮に湿気った大気が痺れる。

 フィアーナは確信した。あれは、春賀ではない。


《―――インストール終了。ドレスコード・ナーガ、マスターアップ―――》


 魔道人形は禍々しく紫の魔力を放つ。背面に折り畳まれていたパーツが開き、綺麗に揃えた両足をすっぽりと包み込む。まるで蛇の尾を持つ神話の怪物だった。

 さらに目を引くのは艶のあるタイトなミニスカート。水色のシャツと紺のネクタイ。被った帽子に輝く旭日章。右胸にはアルファベットで〝POLICE〟の文字。

 完全に婦警の恰好。いや、―――ミニスカ〇リスだ!


「魔法少女マギアギア・エリス! 完成らああああああ―――――――ッ!」


 邪神婦警は名乗りを上げると、フィアーナたちに見向きもせず、なぜか周辺を手当たり次第に破壊し始めた。


「敵はあ!? 敵はどこだああああああああああっ!?!?」


 正気じゃない。ただ魔力に振り回されてる。


「―――きざまがあ!」


 邪神婦警がゴーレムに反応した。両腕のアーマーが変形し、蛇の頭部を模した手錠になった。動きの鈍いゴーレムを掴み上げ、牙が岩の体に深々と突き刺さった。


「魔力が・・・流し込まれてる!?」


 フィアーナの感覚に伝わってくる魔力の流れ。毒性に性質変化した魔力を注入された岩石モンスター。表情のない岩の顔が苦悶で歪んでいるようだった。

 次の瞬間、ゴーレムは爆散した。あまりに惨い。絶句する二人の目の前で、ゴーレムたちが次々にその毒牙にかかっていく。


「テキィ・・・テキハドコダ! タオシチャウゾオオオ―――――ッ!」

「これは駄目だ! 手が付けられん!」


 少女剣士は小さな笛を吹きながら、撤退を開始した。その音にゴーレムたちも退避を開始するも、その信号はアレの注意も引き付けてしまった。

 妖しく光る単眼が小柄な少女剣士を補足した。


「ソコガアアアアアアアアアアアアアアアッ!」


 長い尾で地面を叩き、その反動でジャンプした半人半蛇の怪物。その影が小柄な少女剣士を丸ごと覆った。


(!? しまっ―――)


 ばっきゃ――――ん!


 フィアーナがジェット魔法で魔道人形に激突した。空中という踏ん張りの利かない地点での一撃に、邪神婦警が吹っ飛ばされる。


「お前、なぜ・・・?」

「同じ魔法使いのよしみってやつですかね。あなた、あの剣がないとロクに魔法使えないんでしょう?」

「・・・・・ああ」

「やっぱり。今から取りにいってる時間は―――」


 魔道人形が起き上がった。完全にこちらを獲物と定めたらしい。


「ないので、ここは私に任せてさっさと逃げちゃってください」

「・・・馬鹿にするな。ここでおめおめと逃げ帰ったら竜騎士様に合わせる顔がない」


 少女剣士は転がっていた適当な剣を拾い上げた。一、二度振って感触を確かめると、フィアーナの隣に並び立った。


「さっき逃げようとしてたくせにー」

「あ、あれは戦略的撤退というやつでだな!」

「はいはい」


 こういうやり取りはフィアーナの方が上手らしい。お姉ちゃん属性を発揮させ、年相応にムキになる少女剣士の言いわけを、さらりとかわす。


「それで、その普通の剣でも魔法は使えるんですか?」

「侮るなよ。これでだって一、二撃くらいなら捌いてみせるぞ」

「・・・ふーん」


 フィアーナは意気込む少女剣士を横目にしながら、(あの防御魔法を扱うには、あの大きな剣がベストなんですかね?)と、ちゃっかり彼女の魔法の正体を推察した。

 ちょっとズルかったかな、と心の中でちろりと舌を出した。


「なにしてる! くるぞ!」

「はいはーい」


 フィアーナはゴーグルをはめ、箒に魔力を送る。ああ言ったのだから、盾役は彼女にまかせよう。自分は隙を突いて全力の一撃をぶつける。


(・・・ふふ)


 フィアーナは思わず心中で笑ってしまった。以前の自分なら絶対にしない選択を、今では平気で選んでいることが、なんだかおかしかったのだ。


(ハルカくんには感謝ですね)


 フィアーナの脳裏には、今もあの時の光景が焼き付いている。

 情けない声を上げ。逃げ回り。それでも最後には勝った、あの少年の勇姿が。

 魔法の力を信じろと言ってくれた、あの言葉が。


(ハルカくんは本当に救世主かもしれないですね・・・)


 ならば、あれがふさわしいのは彼だ。あんな悍ましい姿じゃない。

 見たものに勇気と希望を与えてくれる姿こそが、本当のあるべき姿だ。

 そして時が来たら、自分も一緒に地獄に落ちよう。


(あ、それは無理か。そっちに行くのは私だけですし)


 フィアーナが一抹の寂しさ誤魔化すために、魔力を集中しようとした時だった。

 今まであんなに降っていた雨が、止んでいた。


 ★


 もしかしたら。

 この世に神が降臨する時、こんな現象が起こるのかもしれない。

 不意に訪れた予期せぬ静寂。辺りを占めていた音が消え、止む様子のなかった雨がピタリと止んでいた。分厚い雨雲の隙間から差し込む月明り。その光が降りた先に、漆黒の全身甲冑姿があった。


「貴方様は!」


 少女剣士が反応するより速く、漆黒が動いた。

 次の瞬間、鞘から抜き放たれた剣が半人半蛇の怪物の首を一閃した。

 まるで運命のように執行された悪魔断罪。首は切断には至らずとも、衝撃は怪物にそれと同じ効果をもたらしたらしい。

 魔道人形が動きを止めた。あれだけ荒々しかった気配がぷつりと消え、石像のように固まっている。やがて瓦礫に倒れ、沈黙した。

 戦闘終了。それを告げるように漆黒の騎士は剣を鞘に納め、踵を返した。

 だが、その背後で禍々しい気配が一気に膨れ上がった。


「テキッ! テキダアアアアアアアアッ!」


 終わってなどいなかった。狂気の怪物は無防備を晒す男の背に、毒性の魔力滴る右手の牙を突き出した。

 だが、それが届くことはなかった。


「・・・なんですか・・・・・あれ」


 フィアーナは茫然とゴーグルを外した。そうしたのは、その光景があまりに現実離れしていたから。とにかく自分の眼で確かめずにはいられなかった。


「なんですか、あれは・・・」


 魔道人形が宙を舞っていた。

 翼が生えてだとか、優雅にと付け加えられれば夢があったかもしれない。

 しかし現実はあまりに痛々しく、そしてあまりに無造作だった。まるで捨てられたおもちゃ。いや、たまたま目についたゴミを払い除けるように。

 得体の知れない。何か圧倒的な力で吹っ飛ばされた半人半蛇の巨人は、大きな放物線を描いて遥か建物の向こうへと消えた。


「グリシナ。あれはこっちで受け持つ。お前はゴーレムの撤退を指揮しろ」

「は・・・はっ! 承知しました!」


 漆黒の騎士からグリシナと呼ばれた少女剣士は、その命令通り大剣を回収し、笛で撤退信号を鳴らしながら、素早くこの場から立ち去った。


「竜騎士さんですね」


 フィアーナは心中をなんとか落ち着かせ、全身甲冑の男に話しかけた。


「助けていただきありがとうございます。私、てんさ―――」

「興味はない」


 騎士はフィアーナに一瞥もくれず、彼女の決まり文句を素っ気なくカットした。だが、反応があったのはよかった。構わず話しかける。


「今のはいったい何なんですか? どんな魔法を使ったんですか?」


 フィアーナの質問は虚しく空を飛んでいく。あの少女剣士と違って一筋縄にはいかないらしい。少しでも情報をと思ったのだが空振りに終わりそうだ。


(残念です)


 フィアーナがそう諦めかけた時。


「―――――ッ!?」


 気が付いた。そして、なぜ気付かなかった。

 いつからそこにいたのか。闇に溶け込んでいたとはいえ、ミノタウロスすら遥かに超える巨大生物がいたら、わからないはずがないのに。それも、こんな近くに。


「魔法ではない」


 騎士は言った。跳躍して、その巨大な存在の背に跨った。


「これはいわば、絆だ」

「絆・・・」


 フィアーナはそれを見上げ、呟いた。


「そう。古より続いてきた、我々とモンスターとの固い絆だ」


 山が動いた。そう錯覚した。フィアーナはそこでようやく理解した。

 あの全身甲冑の男が、なぜそう呼ばれているのかを。

 それは神が使わした神秘の具現。この世に息づく大災害。

 最上にして最大の最強モンスター。

 ドラゴンを駆る騎士―――〝竜騎士〟であることを。

 あれから見れば自分など虫けらに等しい。理屈じゃなく、本能にわからせられる。気持ちだけではどうにもならい震えが、フィアーナの全身を縛り付けた。

 紅い目の黒竜。その巨大な翼が開き、たった一度空間を叩くように羽ばたいただけで、あっという間に大空へと舞い上がっていく。

 ワイバーンなどまるで比較にならない迫力と圧倒的スケール。そんな化け物が主を乗せ、魔道人形が飛ばされた方へ飛び去っていった。

 あれが竜騎士。あれが自分たちの敵。


「・・・・・冗談でしょう?」

 フィアーナは普段なら流暢な軽口が出るその口で、祈るように呟いた。

 再び降り始めた雨。その冷たさが、これがどうしようもない現実だと魔法使いの少女にわからせた。


 ★


 勝負はあっけなくついた。


「じぐじょおおおおおっ! じぐじょおあ―――――」

 一層強くなった雨の中に響く断末魔。抗うこともできず、地面に叩きつけられる。そしてピクリ、と痙攣したのを最後に、それは糸が切れたように動かなくなった。見るも無残に変わり果てた魔法の姿。衣装はズタズタに引き裂かれ、大蛇の尾は力任せに引き千切られていた。


「りゅうぎしいいっ! りゅぐぎゃあっ!」


 ドラゴンの前足が振るわれる。まるで五月蠅い虫を処理するかのように。


「ヒュー・・・ヒュー・・・」


 ようやく静かになったコケの浅い呼吸。紫の光が消え、身を包んでいた魔法の衣が霧散した。無数の雨が硬い音を立てて鋼の体に降り注ぐ。

 黒竜から降りた竜騎士は魔道人形のハッチを開けた。中にいた男は廃人同然だった。頬は痩せこけ、髪はところどころがごっそりと抜け落ちている。生気と呼べるものは、この雨粒ほどにすら感じられない。

 竜騎士は男の上等な服を掴み、引っ張り出した。肉という肉が削げ落ちた体が、厳しい雨と冷たい大気に晒される。


「あええ・・・、うええええ~~~・・・」


 男はふらつきながら、枯れ枝のような足でどこぞへと歩き出す。脱げた靴がポツンと残され、早くも雨水が溜まり始めていた。

 竜騎士は消えていく影を無言で見送ると、機体内部をチェックする。


「よし、魔力は溜まっているな」


 そのまま機体に乗り込み、魔道人形を起動させる。


「次で最後だ。それが終われば、ハナ。お前には寂しい思いをさせるな」


 黒竜の背に跨った魔道人形は慈しむように硬い鱗を撫でた。ハナと呼ばれた紅い目の黒竜は、その巨体からは想像できない悲しそうな声で、くるるぅ、と鳴いた。


 ★

 

 地獄絵図とはまさにこのことだろう。

 築いてきた文明。積み上げた技術。それによって生まれた王都の街を、あれはいともたやすく薙ぎ倒していった。まるで世界中の天災が一気に発生した。レイブルノウ王国の歴史が今後も続くのなら、間違いなくそう記されることだろう。

 ただ、このクラスの災害に見舞われたにしては、人的被害は驚くほどに少ない。もちろんゼロではないが、これは人命優先の意識教育の賜物であり、王都内の全国民を収容できる広さと設備を備えた不落の城、ネイゴルニーヤ城があったからこそだ。

 復興の要である人員も技術者もほぼ健在。彼らの力があれば、王都はまたあの素晴らしい姿を取り戻すことだろう。

 ああ、偉大なるレイブルノウ王国。技術こそがこの国を救う。

 不滅の国レイブルノウ王国よ、永遠なれ。

 そんな歌がどこからか聞こえてきそうだ。いまだ止まない雨もきっと、今日の悲しみを綺麗に洗い流してくれるだろう。

 たくさんの人々が城内で、命のありがたみを噛み締めている時分、


「アヒュゥ~~・・・、ハヒュ~~・・・」

 その男は一人、雨の中にいた。

 男の名はザカルガード・シャブシャブトン。侯爵家という高い身分に生まれ、身に着ける物はどれもが一級品。加えて容姿にも恵まれ、彼がパーティーに出席すれば多くの令嬢がダンスを申し込むために列を作り、一時の夢に浸る。

 性格に少々難があるのと異性に対する拘りがアレだが、それは些細なことだった。


「アアア~~ア~~~~・・・」


 ザカルガードは一人、雨の中を歩く。傘もささず、生気のない足取りで。

 今の彼には以前の逞しさも、パーティーで披露した煌びやかさもない。

 まるで亡霊。やせ細った体にかろうじてしがみつく上質な衣服は、雨水を吸ってずっしりと重く、まともに進むことすら困難だ。そんな状態で瓦礫の中を、それも裸足で歩くものだから、剥き出しの素足は酷く傷だらけだ。

 だが、ザカルガードはそんなことを気にした様子はない。

 もしかしたら、今の彼には痛みすらも途方もなく恋しい感覚かもしれない。

 そんなことを考えられる意識が、残っていればの話だが。


「アァァ~~・・・」


 ザカルガードはあてもなく彷徨った。

 言葉にならない呻き声は雨音に掻き消され、誰の耳にも届くことはない。

 何かに躓いた。抗うこともできず、そのままバランスを崩した。

 倒れるはずだった体が、何かに受け止められた。


「・・・・・・・・・・・・・・」


 その少年は無言でザカルガードの軽い体を支えている。


「・・ア・・・さま・・・・・」


 少年の体温が、虚ろだったザカルガードの意識をほんの僅かに呼び戻した。ゆっくりとその場で寝かせられ、これまで虚空を見ていた目の焦点が、その少年―――

 春賀を見つけた。


「な・・で・・・。・・・んで、おま・・・が、ゆ・・・しゃ・・・」


 かすれた声。貴重な熱が瞳から溢れ、痩せこけた顔を濡らした。


「さり・・・ま・・。たし・・は、ただ・・・あ、な・・・ため・・・・・」

「そうだよね」


 途切れ途切れに繋がれる言葉。春賀には彼がこんなになってまで言いたいことも。

 彼がこれまでずっと抱いてきた想いも、全部わかっていた。

 そんなこと、彼の目を見ればすぐにわかった。


「ザカルガードさんはただ、サリーさんが好きだったんだよね。好きな女の子の気を引きたくて。それでもなぜか嫌なことばかり言っちゃって。このままじゃだめだってわかっていても、なぜかできなくて。だから勇者になりたかったんだよね」


 勇者になれば、彼女は振り向いてくれる。

 彼女が愛するこの国を救えば、きっと自分を見てもらえる。

 それなのにあいつは、ただ地球人と言うだけであっさり勇者の座を与えられた。

 納得できるはずがない。あんなクズが国中から崇められ、当たり前のように彼女の隣にいることなど、許せるはずがない。


「ザカルガードさん。僕はあなたのこと、嫌いじゃないよ。だってあなたは、この世界で会った誰よりも正直な人だから」


 春賀は水溜りの中で正座し、横たわるザカルガードの瞳をまっすぐに見た。

 言葉ではない。まるで視線だけで会話するように。


「この国は嘘つきばかりさ。みんな噓をついて、フィーさんもサリーさんも何かを隠してる。嘘つきの目をしてる。僕がだ」


 春賀の声は淡々としていた。雨に濡れ、体は冷え切っているというのに。

 寒いだとか、悲しいだとか、そんな人としての部分を感じない。

 ただ唯一彼を見上げているザカルガードだけは、その表情を伺い知ることができた。


「確かにあなたは性格悪いかもしれないけど、誰よりも正直で。口は悪いけど、誰よりも誠実な人だよ。僕はそんなあなたのこと、結構好きだよ」

「・・・・・ク、だ」

 すでに何も見えていない。だからザカルガードは残された僅かな気力を振り絞って口を開き、声を出し、言葉を紡ぐ。


「ザ、ク・・・だ。したしきもの、は・・・友は・・・そう、よ・・ぶ・・・」


 目から、光が消えた。

 春賀にはもう、なにもわからなかった。

 ただ雨に濡れた瞳がキラキラして、綺麗だった。


「・・・うん、ザックさん」


 春賀は、そっと彼の目を閉じた。

 炎が彼の体を焼いた。突如発生した発火現象は雨の中でも消えることはない。抜け殻となった体を灰に変え、最後の最後まで熱く揺らめき、花火のように散っていった。

 灰は雨水に流され瓦礫の隙間へ。その下にある大地へと染み込んでいった。

 彼が恋焦がれた麗しの姫君。

 彼女が愛する国、レイブルノウ王国。

 ザカルガードはこれからこの国の一部となって、彼女に愛されることだろう。

 ずっと。永遠に。


 ★


「勇者殿!」


 春賀を呼ぶ声。巡回していた衛兵が雨の中で座り込む彼を発見したのだ。


「!?」


 衛兵たちが足を止めた。隊長がハンドサインを送り、部下たちが春賀を取り囲んだ。武器を抜くことこそしないが、皆緊張した面持ち。

 今の彼からは、何か得体の知れなさが漂っていたからだ。


「悪く思わないで頂きたい。今のあなたは〝危険〟と判断しました。申し訳ありませんが、一時的に拘束させていただきます」

「・・・・・・・・・・・」


 春賀からの反応はない。ただじっと、目の前の水溜まりを見つめていた。


「お連れしろ」


 後に隊長は、このことをシムケン王に報告した。

 勇者殿は一切の抵抗することなく、促されるまま牢へと入っていった。

 これまでの衛兵生活で、そんな人間は一人としていなかった、と。

 シムケン王は驚かなかった。



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