魔法使いは濡れていた (3)

 遠くで警笛が鳴り響く。しかし降り続ける雨が音の先端を舐めとってしまい、屋台街までは届かなかった。はたして彼らが気付くのはいつになるのか。情報が到達するにはまだまだ時間がかかるだろう。

 だが、その時は意外なほどに早く。そして衝撃的な形で伝わることとなった。

 屋台街一帯が巨大な爆裂音に飲み込まれた。掛け抜けた衝撃と揺れが簡素な作りの屋台を襲い、落下した食器が割れる音と人々の悲鳴が混線した。


「熱々あつぅぅ~いっ!」


 春賀は悶絶していた。フォークを拾うために床に伏せていたところに、熱々のラーメンが降ってきたのだ。芸人ならリアクションの見せ所だが、あいにく素だった。


「食べ物を粗末にするわけには・・・」


 フィアーナが涙目で、ぶっくら返ったラーメンを食べるか否か迷っている。この異常事態でも、彼女は食い意地を拭い切れないらしい。


「八号風車塔がッ!」


 誰かがそう叫んだ。八号風車塔とはこの国で一番背の高いやつのことだ。それが炎に包まれ、唖然とする衆人環視の中、轟音と共に崩れ落ちた。これまで平和の象徴のように回っていた風車の崩壊は、人々の精神を大きく揺さぶる効果をもたらした。阿鼻叫喚が王都全体を震撼し、人の洪水が至る所で発生した。


「ぶもーっ!」


 溢れ返る悲鳴の中、人混みの向こうからミノタウロスが走ってきた。有事の際は、春賀を迎えに来るよう頼んでおいたのだ。

 ミノタウロスは頭にどんぶりを被ったままの春賀を肩に担ぐ。


「ハルカくんは先にエリスのところへ!」

「フィーさんは?」

「私は・・・」


 カウンターにこぼれたラーメンを見た。すごく名残惜しそうだ。


「・・・・・・・・私もすぐに後を追います。ぐすっ」


 まさか食べるつもりなのだろうか。春賀は彼女の食品衛生への観念を問い質したいところだが、それはまたの機会に。


 ★


 逃げ惑う人々が衛兵に緊急避難所であるネイゴルニーヤ城へと誘導されていく。どこかで火が放たれたのか、王都の景色が赤く焼かれ、黒煙が分厚い雨雲に覆われた夜の空を汚していった。


「うわらば! どっ、どうしたのミーくん? 急に止まったりして?」


 ミノタウロスが急ブレーキしたことで、春賀の頭に乗っていた丼が慣性で宙へ投げ出された。カシャン、と丼が割れたすぐそばに、小さな人影があった。


「ミノタウロスか。その首輪、我々の配下ではないな」


 彼女の冷静な口調は、人々の恐慌と悲鳴が渦巻くこの空間で明らかに異質だった。


「女の子?」


 女騎士。そう呼ぶには彼女はとても幼く見えた。

 春賀よりもさらに小柄。たぶん年下で、小さな体にレザージャケットを羽織り、その下に薄いプレートメイルが見える。どことなくアウトローなファッションだった。


「そういえば数日前にけしかけた奴が敗北し、そっちに付いたと報告にあったな。モンスターの義理堅さは相変わらずだな」


 声質は相応に幼いのに、口調は落ち着き払っていた。変に背伸びしている風もなく、気高さと凛々しさを感じる。


「どうしたのキミ? 迷子かな?」


 春賀が呑気極まる質問をしていると、衛兵が駆けつけてきた。


「勇者殿! そいつはボルヘイムの一味です!」

「え? まっさかー。こんなに可愛い女の子がそんなわけ―――」


 刹那、というやつである。


「・・・ぁがあ・・・・・」


 呻き声の後、衛兵たちがばたばたと倒れた。春賀がそれを認識できたのは、彼女がそれを振り終えた体勢で止まっていたからだ。

 彼女の手には、身の丈の倍以上もある巨大な剣が握られていた。その小さな体を縁取るように、山吹色の輝きが空間に浮かんでいる。

 見覚えがあるなんてものじゃない。

 この少女は、魔法使い。いや、―――魔法剣士だ。


「慈悲深き竜騎士様からの命令だ。要求していたものを渡せば命までは取らん」

「あうあうあうぅ~」


 春賀はビビり散らかしている。そんな情けない主を肩から下ろしたミノタウロスは、自分が相手だと示すように咆哮を上げ、少女剣士に突進した。いきなり必殺の〝パワーホーン〟である。体格差は歴然だというのに、牛頭の戦士は本気だった。そうしなければやられると、野生の勘が告げていたからだ。


「ほう、忠義も大したものだ。恐れ入る」


 魔法剣士は動かない。一歩たりともその場から動こうとしない。

 そして、その時は訪れた。激しい衝突音。普通なら抗いようのない衝撃が、少女の小柄な体を無残にも撥ね飛ばしているはずだ。だが、―――


「ぶも・・・!?」


 馬鹿な・・・!?

 少女剣士は健在。呼吸一つ乱さず、大剣を盾代わりにパワーホーンを受け止め、凛とした表情を崩さないまま、その場から微動だにしてない。


「さすがのパワーだな。まともに相手をするには少々厄介だ。―――はぁっ!」


 少女剣士は大剣を返しミノタウロスの力を利用して捌き、まるで合気道のように全長三メートルの巨体をひらりと投げ飛ばしてしまった。そのまま近くの建物に落下し、崩れてきた瓦礫に埋もれてしまった。

 少女剣士のクールな眼差しが、地面にへたり込んでいる春賀に流される。


「さて、勇者などと呼ばれていたのだから、お前がなのだろう?」

「がくがくぶるぶる・・・」

「いや、ならなぜまだ生きている? それにミノタウロスがあそこまで身を挺して従うとは、本当にあれはただの忠義からか・・・まさか貴様!?」

「ハルカくん!」


 フィアーナがジェット魔法で突撃してきた。虚を突いたはずだが、即座に大剣での防御を間に合わせたのはさすがである。フィアーナは分厚い剣身をキックして空中でターン。ソニックブームを巻き起こしながら着地した。


「大丈夫ですかハルカくん! 怪我は!?」

「う、うん、大丈夫・・・だけど、ミーくんが」


 ミノタウロスはまだ瓦礫の下。もしかしたら打ち所が悪かったのかもしれない。


「お前、魔法使いだな」


 少女剣士は大剣を向けるが、フィアーナはまるで刃物を人に向けることを注意するかのように、箒の柄でちょいっと自分から切っ先を逸らせた。


「そうです・・・そうですとも! この私が! こ・の・私こそが! 超天才巨乳美少女魔法使い、フィアーナさんです! あー肩凝るしブラもサイズ全然ないわー」


 フィアーナは意気揚々と名乗りを上げる。もしここに第三者がいたなら、空気を読めとツッコんだことだろう。あと、虚しくないの? とも。


「なるほど」


 こっちはこっちでいまいちノリが噛み合ってない。ちなみに少女剣士はどこかの虚乳とは違い、小柄な体格に反比例した〝結構なもの〟をお持ちのようだ。


「しかし言っては何だが、胸など動きずらいし邪魔なだけではないか」


 ブチィ!


「・・・よっしゃテッペンきた。ハルカくん、ここは私に任せて先に行ってください」

「あの、フィーさん?」

「さっさといけっつってんだよアアン!?」

「ひぃっ! わかりましたよぅ!」


 春賀は今日イチでびびった。いったい何から逃げてるのか混乱しながら、ほうほうのていで走りだす。


 ★


「意外と行かせてくれるんですね」


 雨が強くなってきた。春賀の姿が見えなくなるのを確認したフィアーナは、コロッと表情を変え、いつものニッコリ笑顔を少女剣士に向けた。


「あの者が地球人なら心配ない。あれは〝そういうふうにできている〟」

「どういうことでしょう?」

「答える必要はない。その前に・・・」


 少女剣士はなぜか敵意を薄め、語り掛けてきた。


「お前こそ〝魔法使い〟なのだろう? こんな下賤な悪習がはびこる国では、さぞ息苦しいのではないか? 生きずらいのではないか?」


 それはまるで、魔法使いと魔法剣士。

 同じ魔法を使う者として、手を差し伸べているようだった。


「お前さえよければ、今からでも―――」

「結構です」


 魔法使いはニッコリ笑顔で即答した。


「・・・・・そうか、愚問だったな」


 魔法剣士は大剣を構えた。

 互いの距離は五メートルほど。一足飛べば、瞬く間に詰まる危うい距離だ。


「あなたのマネして答える必要はない、なーんてかっこよくキメるつもりでしたが、興が乗りました」


 雨がまた強さを増してきた。魔法使いは笑顔を濡らしながら、


「私、この国が大嫌いです」


 変わらぬ口調で言った。


「大嫌いです。大っ嫌いです」


 そう繰り返した魔法使い、遠い目をしていた。

 夜の闇と炎の赤。黒煙に汚される風車塔とネイゴルニーヤ城。

 まるでレイブルノウ王国すべてを見渡すような、そんな遠すぎる目だった。


「・・・でも、私の大嫌いなこの国を、私の大好きな人が愛してるんです」


 それが一体誰のことなのか。魔法剣士は知る由もない。


「あなたの言う下賤な悪習がはびこるこの国で、あの子はただ一人、私を親友と言ってくれました。あの子のためなら私は如何なる犠牲もいとわない」


 フィアーナはゴーグルをはめた。レンズの向こうで琥珀色の瞳が覚悟の光を放つ。

 もし、この透明の壁がなければ。

 魔法剣士はその光の奥に隠れた、悲しみの色に気付いたかもしれない。


「どうせ私を含め、この国の全員が地獄行き。歴史を知れば、それ以外なんて許されない。そうでしょう?〝あちら側の魔法使いさん〟?」


 フィアーナの体が淡く光を放つ。今現在、この国を飲み込もうとする炎より赤く。

 紅く、熱い灼熱の輝き。地獄の業火すら焼き尽くす魔の煌めきに、少女剣士は同じ魔法を使う者として身震いすら覚えた。


「・・・・・見事」

「? これは・・・」


 フィアーナはその気配に気づいた。

 すでに二人を囲むように広がっていた炎の波。その焔の中で動く存在があった。

 それは火をものともしない、岩石の肉体を持つ無機物の怪物だった。

 ―――ゴーレム。それも、たくさん。

 たった一人の魔法使いを取り囲む岩石のモンスターたち。


「先ほどの撃ち合いで、私とお前の差が決して均衡していないと悟った。おそらく魔力量は少なく見積もっても私の三倍から四倍」

「当然ですね」

「・・・そうだな。当然だな」


 少女剣士はフィアーナの軽口を憎々しく思いつつも、腹の中で納得してしまった。数の上では圧倒的優勢の陣を敷いたはず。

 はず、などという不確かなもので、この格上の魔法使いに挑もうとしている。


「竜騎士様の右腕として私も負けられないのだ。卑怯とは言わないな、稀代の天才美少女魔法使い殿?」


 魔法使いと魔法剣士。両者の視線が重なり、ぶつかろうとしていた。


「稀代の天才〝巨乳〟美少女魔法使いです」

「なるほど」


 微妙にズレていた。


 ★


 ボルヘイムの襲撃はネイゴルニーヤ城を騒然とさせた。避難指示が激しく飛び交い、重役らは誘導に従って移動を開始した。そして、王族二人はその最優先。


「こちらです殿下!」「姫様もお早く!」


 一部の者しか知らない一番強固な部屋へと通されたシムケン王とサリアリット。ここには食料も灯りも潤沢。最悪国外へ逃げることも可能な隠し通路もある。


「勇者は何をやっている!?」

「それが、つい先刻あの魔法使いと共に城下へ降りたと・・・」


 報告を受け、ザカルガードは舌打ちした。それ見たことか。所詮あの男にとってこの国のことなど他人事なのだ。だからこの緊急時に呑気を貪れる。


「!? ザカルガード様!」


 走り出すザカルガードにサリアリットが叫んだ。

 彼が何をしようとしているか、あの背中を見ればすぐにわかった。


「誰か! 誰か彼を止めてください!」


 ★


 ザカルガードはそこに立った。

 薄暗い倉庫で静かに佇む魔道人形が、ぼうっと直立し、彼を見下ろしている。


「これで・・・これがあれば、私も・・・」


 彼を突き動かすのはこれまでずっと抱いてきた野心。ついにこの時が来た! 勇者となり、あの麗しき姫君を我がものとするのだ!


「――――――っ」


 ハッチが開いた瞬間、背筋にひんやりとした冷たい手が、そっと触れた気がした。

 乗り込もうとした体に、思わず制止が掛かる。

 そして、今一度見た。

 人一人が体をはめ込む虚構の空間。

 まるで得体の知れない化け物が大口を開けているような。

 生き血で喉を潤し、命を欲しているような。そんな気持ち悪い予感。


「・・・・・ハッ」


 確かにそれらしき妄言めいた報告は受けている。しかし、現にあの小僧はなんともないではないか。地球人だから特別? そんなものは地球人信仰の戯言だ!


「馬鹿馬鹿しい!」


 ザカルガードは一笑に伏すと、冷たい機械の中に足を踏み入れた。


《―――搭乗者魔力を確認。ハッチロック。ドギマギアシステム、強制発動―――》


 そして叫んだ。魔の法を目覚めさせる、呪いの言葉を。


 マジカル・コンプリート!




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●次回更新は本日1月3日 PM18時予定です

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