魔法使いは濡れていた (2)
次の日の朝。
部屋で寝ていた春賀は、ジェット魔法でドアを突き破ってきたフィアーナにベッドを粉砕され、おしりに蹴りをぶっこまれて叩き起こされた。
さらに朝食時はサリアリットにツーンとそっぽを向かれ、例のお祈りの後に冷ややっこにかけていた味噌をこれ見よがしに隠されてしまった。
シムケン王は爆笑していた。
そして今現在、春賀は衛兵たちの訓練に半ば強制参加させれられていた。
「ハルカくんは体力くらいちゃんとつけるべきです」
「そうですわハルカ様。わたくしから話は通してありますので。ささ、こちらへ」
なんか圧が凄かった。
春賀は二人に両腕をがっしり掴まれ、捕らえられた宇宙人のように訓練場まで連行されたのだった。
「ひぃ~っ! もう走れないよぅ~!」
「ぴーぴーうるさいですねー。ほら、あと五週です」
「頑張ってくださいませハルカ様。夕日に向かってダッシュですわ」
二人の鬼教官に執拗にしごかれていた。
「み、水・・・水が飲みたい・・・・」
「水なんて駄目です」
「根性ですわ」
現代日本では考えられない精神論が爆発した。
「でも、他の衛兵の皆さんは普通に飲んでるけど?」
「あの人たちはいいんです」
「ハルカ様はだめですわ」
無茶苦茶だった。
結局春賀は二人の気が晴れるまで延々と走らされた。
★
雨が降っていたらしい。
昼間のしごきに疲れ果て、部屋で死んだように眠ってた春賀。
そんな彼が窓を打つ雨音で目覚めた時、陽はすでに落ちていた。
「おなかすいたなぁ」
なにか用意してもらおうか。
でも、知らない人に話しかけるのは気後れする。
春賀の人見知り力が炸裂し、我慢の方向に心が傾いた時、
「ハルカくん、起きてますかー」
フィアーナがノックもなしに入ってきた。
着替え中とかだったらどうするのだろう。
たぶんこの魔法使いはそんなこと毛ほども気に掛けないだろうが。
「ちょっと城下に出てみませんか? おいしいお店を知ってるんです」
ありがたい。
春賀は喜んでその申し出を受け入れた。
★
シンシンと降り注ぐ雨の中、傘をさす二人は屋台街へと辿り着いた。
立ち並ぶたくさんの屋台から客の笑い声が溢れ、その活気と賑わいは昨日モンスターの襲撃を受けたとは思えない。
この国の逞しさを象徴するかのようだった。
「お、勇者様がオレっちの店に来てくれるとは光栄だねぇ」
暖簾をくぐった春賀達を、気の良さそうなおじさんが出迎えた。
「ここのラーメンはとってもおいしいんですよ」
「ラーメンなんだ……」
これまた異世界っぽくないが、さすがに春賀も慣れた。
「いつもの二つお願いします」
「お、おお………あのよ、悪いんだけど……」
「食べたらすぐに、ですよね? わかってますよ」
フィアーナはニッコリ笑う。
店主は複雑そうに調理に取り掛かった。
意外にも麺は袋ラーメンであるような揚げ麺タイプだった。
「他んとこは大体生麵だが、うちは敢えてこれよ。遠方に出稼ぎに行くときも保存がきくしな。オレっちはこいつで屋台引いてもう三〇年さ」
店主は自慢げに語り、鍋の中に麺を放った。
春賀たち以外の客はおらず、屋台という独特な空間のせいか。雨よけのシート一枚隔てただけなのに、周りの喧騒がやけに遠く感じた。
「屋台って不思議だね。初めてなのに、なんだか懐かしいよ。思い出すなぁ」
「ハルカくんがまだ小さかった時のこととかですか?」
うん、と頷く春賀は、薄い屋根を叩く雨音に耳を傾けながら思い出を語った。
小学二年の頃、近所に来たラーメンの屋台によく行った。
幼馴染の女の子の父親が、もう一人の幼馴染の男の子と一緒に連れて行ってくれた。
チャルメラの音が遠巻きに聞こえてくると、子供ながらにわくわくしたものだ。
仲良し三人で、いつも同じものを食べた。
無邪気に。純粋に。
いつしか屋台は来なくなったが、あの音色は今も春賀の耳の奥に残っている。
「チャルメラならあるよ」
店主が指した柱にあの笛がかけてあった。
「へい、お待ち」
二人の前に丼が置かれた。
シンプルな醤油ラーメンだった。
せっかくだ、とおじさんがチャルメラで例のメロディーを奏でる。
耳馴染みのある故郷の旋律は、異世界に召喚された少年をノスタルジックな気持ちにさせた。
「その曲も同じなんだ。ねえフィーさ……」
ずるずるずるずるっ!
ものすごい勢いで麺をすすってた。
なんか、浸ってたのが恥ずかしくなってきた。
「……僕も食べよ。あ」
うっかり木彫りのフォークを落としてしまった。
椅子から降り、石畳の地面に落ちたフォークに手を伸ばす。
こんなことは本当に何気ないことだが―――春賀は後になって思った。
きっとあれは、これから起こる不吉の予兆だったのだと。
★
賑わう屋台街と比べて、メインストリートは静かなものだった。
その衛兵たちは雨の中マントを羽織り、城門近くの駐屯所へ向かっていた。
通常なら二人態勢の巡回もボルヘイムが現れてから三人に。
今日から四人態勢となった。
「お?」
四人の中で一番軽装。
何かあれば首から下げた警笛を吹き、本部まで走る役割を持つその男、シクソンが発見した。
「子供か?」
先に小さな人影があった。
傘をさし、一人でポツンと佇んでいる。
一応警戒しつつ四人が近づくと、やはり子供だった。
女の子。歳は一〇くらいか。
「どうしたんだ嬢ちゃん? こんな雨の中父ちゃんのお使いか?」
「一応今は厳戒態勢中だ。残念だがすぐに引き返しなさい。おいエニス、この子を家まで送ってやれ」
リーダーのダンクがそう指示を出すと、エニスと呼ばれた若者が前に出た。
「まあまあ先輩。買い物くらいさせてあげましょうよ」
確かにここから商店までは目と鼻の先。
それならば用を済ませたとて、結局家まで送るのなら大差はない。
手ぶらで帰すのもかわいそうか。
「わかった。そのかわりお前が責任もって家まで送るんだぞ」
「もちろんっすよ」
エニスは快活に返事した。
見た目通りの好青年ぶりだ。ただし、
「それじゃあお嬢ちゃん」
はあはあはあはあはあはあはあはあはあはあはあはあはあ・・・・・
「おにいさんと一緒に(はあはあ)イイ~ところに行こうか?(はあはあ)」
こいつロリコンなんだよな。
しかも二十歳以上をババアだと認識しているくらいガチで危険なレベルの。
ダンクは早くも自分の判断が間違っていたと後悔した。
「雨は良いな。耳障りな雑音を消し、汚れを洗い流し、荒んだ心を癒してくれる」
ダンクたちはきょとん。
少女が発した声も台詞も、その見た目からは想像できないほどに落ち着き、大人びていたからだ。
「なんだい嬢ちゃん、父ちゃんの受け売りかい?」
「職業は物書きかなんかか? 紙かインクでも買って来いとでも言われたのかい?」
ははは、と軽い笑いが起こる。
それは彼らの明らかな、緩みだった。
「呑気なものだな。だから昨日の襲撃にも対応が遅れるんだ」
少女の可愛げのない発言に、ダンクたち(エニスを除く)の眉がわずかに上がった。
親父も親父なら子供も子供か。
この子の親はよほどの偏屈か変わり者らしい。
「・・・もういい。とにかくお使いは諦めるんだな。おい」
「了解了解。それじゃお嬢ちゃん、はぐれないようにお兄さんと手を繋ごうか」
スっと実に自然に手を差し伸べる。
かなり手馴れていた。
「触るな」
下心丸見えのエスコートはあっさり拒絶された。
これだけ気が強ければ大丈夫だろうと、ダンクは心中で嘆息した。
ただ、恍惚としているエニスはどうしたものか。
「貴様らのような下衆に、これ以上汚されてなるものか」
「・・・・おいおい」
さすがに口が悪すぎる。
いくら子供でも、今のは琴線に触れない方がおかしい。
ダンクは苛立ちをぐっと堪え、他の者(エニスを除く)を早急に宥めようとする。
「我らボルヘイムは、これ以上貴様たちに汚されてやるわけにはいかん」
「!?」
少女の口からとんでもない単語が飛び出した。
あまりに不意だったため、ダンクたちがそれを咀嚼するのに数秒を要した。
今度ばかりはエニスも含めてである。
そして、気付いた。
降りしきる雨音に、何か重いものが地面を引き摺るような音が紛れていることに。
それも一つや二つではない。
限りなくたくさんだ。
姿の見えない大量の気配が、ダンクたち四人を囲んでいた。
「そこにいる男、連絡係だな」
少女がシクソンを指した。
「今すぐ本部へと走れ。警笛を鳴らすことを忘れるな」
ダンクは理解できない。
なぜそんな猶予を与える? なぜ奴らは襲ってこない?
「言ったはずだ」
少女は彼らの心中に答えるように、口を開いた。
「貴様たちがあの方達につけた汚れは一生流れ落ちることはない。心の傷は二度と癒えることはない。だからこれ以上、如何なる汚れも被るのはお断りだ」
小さな体が山吹色の光を放ち始める。
それはまさしく、この世界の理から外れた未知のエネルギー。
魔法の輝きだった。
「走れっ!」
ダンクが命令を発した時、シクソンはすでに走り出していた。
降りしきる雨の中、警笛の音が遠ざかっていく。
「さあ行け! そして伝えろ! 我らボルヘイムが正々堂々、この汚れた国に天誅を下してやるぞ!」
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