風がさらっていったとさ (3)

 戦慄の波紋が王都全体へ瞬く間に広がった。

 響く警鐘。お祭り騒ぎをしていた人々の間に、緊張と動揺が一気に膨らんでいく。


「落ち着くのだ!」


 人々が混乱に飲み込まれる前に、シムケン王が声を張り上げてそれを制した。


「皆の者、衛兵の指示に従いすぐに避難せよ! 男は女子供と老人に手を貸せ! 決して取り乱すでないぞ! 我らには強い味方がいることを忘れるな!」


 さすが一国の王は伊達ではない。大パニックも必至のこの状況で、一発で人々に冷静さを取り戻させた。フィアーナは股間にモザイク処理を施されたシムケン王に改めて感心しつつ、我らが強い味方へ向き直った。


「あわわわわっ! どどどどどうしよぅ~っ!」

「もう! しっかりしてください!」


 フィアーナはパニクる春賀の手を引いて、魔道人形のところまで引き摺って行く。


「どけっ!」


 ザカルガードに突き飛ばされた。彼はフィアーナたちに目もくれず、まっすぐに魔道人形へ走る。彼が何をしようとしているのか、誰の目にも明らかだった。


「だめ!」


 フィアーナが後ろから飛び掛かった。二人はもつれ合うように地面を転がる。


「何やってるんですかあなたは!」

「うるさいっ! 触るな亀裂者が! 貴様もあの迷信を信じているのか!」

「きゃあっ!」


 乱暴に払った腕がフィアーナを張り飛ばす。邪魔者を排除したザカルガードが荒い呼吸で魔道人形の前に立った。


「こんなもの・・・これが動かせれば、私だって勇者だっ!」

「どいてください」

「!?」


 すぐ後ろに、春賀が立っていた。


「黙れ地球人! 貴様みたいな余所者に―――」


「どいてください」


 春賀は、ただそう言った。


「どいてください」


 単調に繰り返した。自分よりも背の高い男を前にしても一切怯まない。

 まっすぐにザカルガードの目を、ジッと見つめる。


「・・・・・・・っ」


 ザカルガードは気付かぬうちに道を明け渡していた。

 数刻前には欠片もなかった、少年の底知れぬ迫力に気圧されてしまっていた。

 魔道人形は春賀を体内に飲み込み、ゆっくりと立ち上がった。

 ザカルガードは歩き出した鋼鉄の背中を、歯を食いしばりながら見送った。


 ★


 避難は驚くほどスムーズに終了した。

 人で溢れ返っていたメインストリートは閑散とし、人っ子一人いない。


「ハルカくん。魔力燃料を」

「あ、そっか」


 春賀はエリスの腰にマウントされているボトルをフィアーナに渡した。

 エリスは魔力がなければただのか弱き乙女。フィアーナの話では地球人である春賀の魔力で真の力を発揮するらしいが、生憎それが覚醒する兆しはなかった。

 なので昨夜偶然発見した方法。魔力燃料でその場しのぎをするしかない。フィアーナもそのための魔力をちゃんと温存している。


「待っててくださいね。すぐに・・・あ―――」


 フィアーナはバナナの皮を踏んでずっこけた。


「きゅう・・・」


 フィアーナは気絶した。


「ええええええっ! なんでこんな時に!? フィーさん大丈夫!?」

「う~んもっとたべたい・・・」

「だめだ。まったく起きる気配がない。どどどどどうすればばばばばっ!」

「ハルカ様」


 頭を抱える春賀の後ろで誰かが名を呼んだ。サリアリットだった。


「フィーの役目、わたくしに任せては頂けないでしょうか」


 そう申し出たサリアリットは、一見して毅然としているようにも見えるが、その肩は小さく震えていた。無理もない。彼女はこれまでずっと、安全な場所で守られてきたはずだ。怖くないわけがない。

だが彼女はこの国の姫として、愛する民のために勇気を懸命に振り絞ったのだ。


「姫様!」


 衛兵が駆けつけてきた。その後ろには彼女の身を案じた数名の国民と、サリアリットファンクラブの法被を着た者や例の教団もいる。


「ここは危険です! すぐに避難を!」

「し、しかし・・・」

「そうですよ! 姫様がこんなとこにいることはない!」

「勇者様が何とかしてくれるんだ! それよりも姫様に危険が及ぶ方が問題です!」


 周囲の意見はどれも真っ当なものばかり。衛兵たちはシムケン王から任を受けているだろうし、サリアリットがそれに従うことが正しいことは明白だ。

 この国の姫に万が一があってからでは遅い。なにより全員が本気でサリアリットのことを心配しており、彼女にもそのことが十分に伝わっていた。


「さあ姫様、こちらへ」


 サリアリットは、従うしかない。せっかく振り絞った勇気は愛する民の意思によって蓋をされてしまった。促されるままに歩き出す。


「あのぅ、それだと困っちゃうんですけど」


 皆が一斉に振り返った。サリアリットも遅れて魔道人形を見た。


「どういうことですかな、勇者殿?」


 衛兵の一人が代表となった。たくさんの視線は、一刻前にあった勇者様への敬いのものから疑いへと変わっていた。


「だって僕、一人じゃ何もできませんよ? 地球人が持っている特別な魔力っていうのもまだ使えませんし。だったら誰か魔法が使える人の協力が必要なんです」

「そこにいる魔法使いを使えばよいのでは?」

「無理ですよ。フィーさんはまだ気絶してますし」

「だったら無理矢理起こせばいい!」

「そうだそうだ! なんだったら俺がやってやる!」

「やめてください」


 フィアーナに掴みかかろうとした男の前に、魔道人形が立ちはだかった。


「・・・なるほど。あなたたちのそれはフィーさん個人ではなく、魔法使いに対してなんですね。〝亀裂者〟・・・でしたか? それがどういう意味なのかはわかりませんが、フィーさんに危害を加えようというなら、僕もいろいろ考えますよ?」

「うっ・・・」

「選んでください。サリーさんの安全か、この国の守ることか」


 春賀は容赦なく選択を迫った。途端に反感が湧き上がった。


「ふざけるな!」「なんて奴だ卑怯者!」「大体この国を守るための勇者だろ! だったら何とかしろ!」「そうだ! なんとかしろ!」

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」


 春賀は意に介さない。黙ったまま、衛兵からの言葉を待った。二メートルを超える鋼の巨人。その無言の圧力が末端の衛兵を追い詰める。


「そんなこと、私の権限では・・・」


 自分の手に余る判断に、そう返すのが限界だった。


「だったらこの場で一番権限がある人に聞いてみましょう。サリーさん」

「!? はっはい!」


 ここで自分の名が出るなんて、思ってもいなかったのだろう。もはや自分など蚊帳の外だと思っていたサリアリットは、驚きながら自分を見下ろす魔道人形を見上げた。


「僕はサリーさんに協力してもらう方がいいと思うけど、どうかな?」


 魔道人形がサリアリットを見ている。

 魔道人形の中から、春賀が見ている。

 周りの大人たちになんか目もくれず、まっすぐに。

 それは紛れもなく、彼女の意思を聞きたがっていた。


「わたくしは・・・」


 サリアリットは振り返る。全員が自分を見ていた。

 その目が何を言いたいのか。何を言わせたいのか。


「・・・ハルカ様。わたくしは―――」

「ごめんごめん。こういう言い方をするべきだったね」


 あはは、と気の抜けた笑い声。春賀はサリアリットに手を差し出し、言った。


「サリーさん、僕に力を貸して」

「!」


 サリアリットの瞳の奥で、一度消えかけた勇気の光が灯った。


「承知しましたわ!」


 サリアリットは自らの意思で、彼の手を取った。

 そして嬉しそうに、うっすらと涙すら浮かべて、そう答えた。


 ★


「姫様・・・」

「わかっています。役目が終わり次第、わたくしも避難いたします」


 先ほどとは違う。サリアリットのはっきりとした物言いに、衛兵たちはこれ以上口を閉ざすしかなかった。春賀は懸命に魔力燃料へ魔力を注ぐ彼女を見て、思う。


(悔しかったんだろうなぁ、きっと)


 ザカルガードに詰めれた時、男の迫力に委縮してしまったことに。

 フィアーナの闖入に、ホッと安堵してしまったことに。

 そして今も周囲に流され、自分の意思を口にできなかったことが。

 一国の姫として、毅然と振る舞うことができない。その大層な肩書きが、ただのお飾りでしかない。誰より自分がそれを証明してしまっていた。

 シムケン王の一声で場が活気を取り戻した、あの時。

 人々が踊る中で、サリアリットは一人小さくなっていた。

 俯き、泣きそうな顔を必死に隠していた。心の中で弱い自分をずっと責めていた。

 そして、そんな彼女に春賀だけが気付いていた。


「ハルカ、様・・・」

(おっと)


 どうやら終わったらしい。


「あれ? どうしたのサリーさん? なんでそんなに顔を青くしてるの?」

「うしろ・・・」

「へ?」


 震えた指で後ろをさされ、振り返った。

 それは、あまりに突然のモンスターとのエンカウントだった。

 ―――ワイバーン。翼竜種のモンスターで、一応小型に分類されるが翼を広げれば全長は八メートルに届く。気性が荒く、空を我が物とする暴君。


「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」


 春賀は気絶した。


「うわああああ!」「姫様を! 姫様をお守りしろ!」


 人々が慌てふためく中、衛兵が武器を構え果敢に立ち向かう。


「ギャオ――――――――――スッ!」


 まるで衝撃波。鼓膜を裂くような鳴き声に堪らず全員が耳を塞ぎ、身動きを封じられてしまう。その隙に翼竜が翼を広げた。そして魔道人形の肩を両足でガッチリつかみ、まるでUFOキャッチャーみたいに空高く運んで行ってしまった。


「うわ~ん! 僕、高所恐怖症なんだよぉぉぉぉ~~~~~・・・・・・


 春賀の情けない悲鳴が大空に虚しく響いた。


 ★


「ハルカ様!」


 トンビに油揚げ、ならぬ魔道人形がもう米粒みたいに小さい。サリアリットの声も、もはや春賀には届いていないだろう。


「放て――――――ッ!」


 駆けつけた兵士たちが一斉に矢を放つ。だが、所詮は弓。ワイバーンのいる空域まで飛距離が全く足りない。彼らの鳴き声は、まるでそれを嘲笑っているかのようだ。

 しかし、牽制という意味では十分な効力があった。遠距離攻撃の手段がなく、飛行のための軽量化で硬い鱗を持たないワイバーンは頭上で立ち往生している。


「姫様、今のうちにこちらへ!」

「なりません!」


 兵士がサリアリットを避難させようとするが、彼女はそれを拒否した。


「わたくしはこれを、何としてもハルカ様にお渡ししなくてはならないのです!」


 サリアリットは緑に光るボトルを強く抱きしめた。

 ここで役割を放棄したら、自分は何のためにここに残ったのか。

 ここで逃げてしまったら、こんな自分を頼ってくれた彼にどう顔向けができようか。


(だけど、どうすれば・・・)


 サリアリットは考える。焦る頭で必死に方法を模索する。

 魔法を使えばという発想もあった。しかし彼女の魔法は扇子で扇いだ羽根をコントロールするだけで、とても役に立ちそうにない。そもそもあんな上空では射程圏外だ。

 やるせなさが、再び自分を責めた。


「信じなさい。あなたの力を」


 その声に、沈んでいきそうだった心が引き戻された。

 白いローブが翻った。


(ああ・・・)


 サリアリットはその姿に言い知れぬ安心感を得ていた。

 いつだって自分の味方でいてくれた親友の姿が。

 どんな時でも自分を見失わずに立ち続ける、憧れの姿が。

 だから少しだけ。

 本当に、ほんの少しだけ悔しいと思ってしまった。


「信じなさい。魔法の力を!」


 フィアーナはいつものようにニッコリ笑って、自信満々にそう言った。

 手には彼女の象徴である、箒を・・・


「あれ?」


 焼き鳥の串を持っていた。

 サリアリットは笑ってしまった。


 ★


 大空へと連れ去られた魔道人形はワイバーンの群れに囲まれていた。数はゆうに三〇を超え、高度も地上から三〇〇メートルはある。東京タワー並みだ。


「高いよ怖いよぅ! ひええ、建物があんなに遠くて小さい。あの、ワイバーンさん。僕、もう満足したから下に降ろして欲しいんだけど・・・」

「ギャース!」


 アホか! オレたちゃてめえを空の遊覧ツアーに招待したんじゃねえんだぞ!

 春賀の呑気な要求は当然却下された。こんなことならエチケット袋を用意しておけばよかった、と春賀が後悔していると、


「そこまでです!」


 ワイバーンの意識が一斉に下へ向いた。

 それはものすごいスピードで彼らの領域まで昇ってくる。駆け上がってくる!


「天才巨乳美少女魔法使い、フィアーナさん! ここに見参でーす!」


 箒に跨ったフィアーナが高らかに名乗りを上げた。その後ろには、彼女にしがみ付くサリアリットの姿。胸には緑に発光するボトルをしっかりと抱えている。


「サリー! このままかっ飛ばしますよ!」

「はい!」


 ニケツした箒はジェットの限り。ワイバーンたちはそんな無作法者に牙を剥くも、ジェット魔法はそんな彼らをものともしない。


「遅い遅い! まったくもってトロっちいですね! ヒャッハー!」


 ハイになったフィアーナは自慢のドラテクで襲ってくるワイバーンをやり過ごす。躱して、抜き去って、すり抜けて、ぶっちぎり、かっ飛ばす。

 死に体でぐったりしている魔道人形のもとへ。春賀のもとへ。


「ギャオース!」


 魔道人形をぶら下げていたワイバーンが、突っ込んでくる箒の軌道から遠ざかった。

 小回りが利かないジェット魔法はそれに対応できない。しかも、フィアーナは二人乗りが絶望的に下手だ。実はその制御はとっくに彼女の手から離れていた。


「後はお任せしますよ~~~~~~~~~―――――――・・・・・・・・・・・


 キラーン。


 フィアーナは空の彼方に消えた。


「ギャ、ギャオ・・・」


 ワイバーンらは、なんじゃありゃ・・・、と引いていた。

 だから、反応が遅れた。

 太陽光に埋もれ、落ちてくるサリアリットの発見が遅れた。

 彼女はジェット魔法がワイバーンの群れを通り過ぎた後、あろうことか箒からその身を投げ出したのだ。命綱などない。地表に叩きつけられれば確実に落下死する。

 サリアリットは、怖かった。

 箒からジャンプする瞬間は手足が震え、意識を失いそうだった。

 だが彼女は、ここで何もできないことの方がもっと嫌で、怖かった。

 もう、あんな思いは二度とごめんだ。

 だからサリアリットは決死の覚悟で挑んだのだ。

 ただ春賀に魔力を届けるために。文字通り、命懸けで。


「ハルカ様!」


 サリアリットは大声で叫んだ。耳元で風が暴れる。風圧でろくに目も開けられない。それでもわずかに見えた魔道人形に向かって、ボトルを投げた。


「サリーさん・・・」


 ぐったりしていた春賀もどうにか手を伸ばす。しかし、ワイバーンがそこから離れたことで、ボトルはまったく的外れな方向へ行ってしまう。


「届いて! わたくしの魔法!」


 ボトルが、その軌道を曲げた。

 Uターンし、まるで吸い込まれるように魔道人形目掛けて空中を飛翔する。

 その不可思議な光景はワイバーンを仰天させ、彼らが唖然としている間にボトルは無事に受け取り人の手の中へと納まった。


「・・・・・よかった・・・」


 サリアリットの手から扇子が離れる。

 彼女の魔法〝絢爛操ホーミング・扇風フェザー〟。それは扇子で扇いだ羽根を自在にコントロールすること。そして、ボトルには一枚の羽が張り付けられていた。

 つまり、そういうことである。彼女の魔法を受けたボトルはあらゆる常識と物理法則を無視し、正しく作用した。しかもその精度は必中である。


「・・・・・ありがとう」


 サリアリットは満足そうに微笑む。

 自分の役割をまっとうできたことが嬉しかった。

 この国の危機を救いたい。愛する民を守りたい。

 その手助けができて本当によかった。

 これで自分はこの国の姫として胸を張れる。だから、後悔はなかった。


《―――魔力カラー確認。モード切替。インストール開始―――》


 サリアリットは、そっと瞼を閉じる。

 安堵の表情を浮かべ、地表へと吸い込まれていった。


「マジカル☆コンプリ―――ト!!」


 閃光が青い空を緑に塗り替えた。

 レイブルノウ王国上空に突如発生したその光は、防戦で精神をすり減らす兵士や、彼らに狡猾に襲い掛かるワイバーンからすらも、一時戦いの意識を忘れさせた。

 すべてが見入っている。

 まるで時が止まったかのような空間を、風だけがその自由を謳歌した。


「お待たせ」


 まるで涼風のような甘い声だった。

 サリアリットが誘われるように目を開けると、そこに神秘の姿があった。

 頭上に浮かぶ光のリング。サリアリットを抱き抱える両腕、両足から生えた金属質の四枚の白き翼。薄いヴェールが肢体を包み、光に透ける煽情的なシルエットに、初心な少年なら思わず赤面し、顔を逸らしてしまうことだろう。


《―――インストール終了。ドレスコード・ペガサス、マスターアップ―――》


 これは夢? そんな風に惚けているお姫様に単眼の天使は囁く。


「デートの時間には間に合ったかな?」


 風が奏でる魔法の旋律。

 緑に輝く天空の踊り手。

 白き翼のロボットエンジェル。いや、


「勇者、様・・・」

「ごめんね」


 首を振り、否定することを謝罪する。


「ボクは勇者じゃない―――魔法少女さ」



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