第5話 写真では嘘をつけない

 小学生の頃、陽菜の前でサッカーの試合でゴールを決めた時の快感は、今でも忘れられない。

 好きな子に見てもらいたい、かっこいいところを見せたい。それが、僕の原動力だった。

 

 だからこそ、近衛翼このえつばさとチームメイトになってしまったことに中学生の頃の僕は絶望した。


 

「久しぶりだな!飛鳥!元気か?」

 この問いかけの最適解を僕は知らない。

 英検3級の面接の場で『How are you?』と尋ねられたので『I'm so so.』と返事をしたら面接官に笑われたことを思い出した。

 

「まあまあ……元気です」

 回想に引っ張られた言葉が口から発せられた。

 

「ははっ!その返事。変わらないなぁ!」

 近衛先輩は、僕の頭をがしっとつかみ乱雑に揺らす。


「ちょっ、やめてくださいよ」

 頭上に置かれた手をつかみながら、不機嫌さを隠し答える。


「すまんすまん。飛鳥に久しぶりに会えたのが嬉しくて」

 嘘などついたことがないと言わんばかりの真っすぐな視線が突き刺さる。

 僕だけでなく皆が知っている、近衛翼は、誠実で強い人間であると。

 

「僕は、そんなに嬉しくないです」

「ひどいな!中学の合宿のとき同じ釜の飯を食べた仲じゃないか」

 そう近衛先輩に言われ、地獄の合宿を思い出した。

 あの時無理やり食べさせられた大盛りの丼ぶりはゴムのようであった。もう、あんな思いはしたくない。

 

「冗談です。帰り際、よく近衛先輩のプレーを見てるのであんまり久しぶり感ないんですよね」

「そうなのか!ん?もしかして、サッカー部に興味があるのか?飛鳥なら大歓迎だぞ!」

 僕の20センチ頭上にあった凛々しい顔がグッと目の前に近づいた。


「いえ、もうサッカーはやらないんです。今でも走ると膝が痛くて」

 僕は視線を右上に向けた。そして、今となっては全く痛みのない膝に手を添える。


「そうか。それは、残念だな。俺は、もう一度飛鳥とサッカーがしたかったのに」

 近衛先輩は、肩を落とし手を地面に押し出し立ち上がった。


「膝が良くなったらお伝えしますね」

『嘘も方便』というけれど、人を傷つけない嘘なら、時には必要なこともある。僕はそう思っていた。


「楽しみにしてるぞ!じゃあ練習に戻るから、またな!」

 近衛先輩はそう言うと、風のように校庭へと駆けていった。

 

 近衛翼は、動物的な感覚でフィールドを駆け回る。

 豹のようにボールに食らいつき、蝶の如く相手を躱し、勝利を決めるゴールを次々に決めていく。

 いくつかの高校やクラブチームのユースから誘いがあったそうだが、『近いから』という理由だけでこの高校でサッカーをプレーしている。そして、今でも大学やプロチームのスカウトが試合になると目を光らせているらしい。

 

 そんな近衛先輩と自分を比較すると自分が情けなくなった。

 サッカーでは負け続け、嘘も吐く。陽菜がこの場にいたらと思うと少し怖くなった。

 陽菜に近衛先輩と比較されてしまったら僕は……。

 

 視線を下に落とすと、それが目に入ったため僕はカメラを構えた。


 ◆◇◆◇


「結果はっぴょーう!」

 1時間前の出来事なんて忘れてしまったのだろうか、田中は高らかに叫んだ。

 一条さんに目を向けると、笑顔で手を叩いていた。

 

 教室を出る時に窓を開けておいていたお陰か、あの気まずい空気はもう漂ってはいなかった。


「じゃあ、まず俺から発表しまーす」

 田中がそう告げながら、カメラとパソコンをケーブルで繋ぎ、1枚の写真をパソコンの画面へと写し出した。


「これは、美術室の?」

「美月ちゃん正解!これは、美術室にあった女体像でーす!」

 パソコンの画面には女性の全体像が写し出された。

 その像は男性が理想とするような緩やかなカーブを描いており、胸の谷間や腰のくびれには影が落とされていた。


「これは……ちょっと、授業参観には不向きじゃないか?」

「美の追求こそが芸術だよ、鷹司君」

 田中は突然立ち上がり、体を45度反らし、片腕を天に向かって突き上げもう片方の手で顎を支えた。

 恐らく最近、田中がハマっている漫画の決めポーズだろう。


「注目を浴びる写真があることはいいことじゃないかしら」

 一条さんは、微笑みを田中に向ける。


「おー、やっぱり美月ちゃんは芸術が分かってるねえ。それに比べて飛鳥は……」

 田中は、鼻を高く上げて得意げな笑みを浮かべた。


「ああ分かったよ。まあ、誰が撮った写真かなんて授業参観に来る保護者の方は分からないし」

「いや、写真の下に『アーティスト:田中駿太』って書くよ?」

「そうなると、お前が像を作ったみたいになるじゃねえか」

 田中は「ああ、そうか」と言いながらポンと手を打った。


「じゃあ、次!美月ちゃんはどんな写真撮ったの?」

 一条さんはゆっくりと手に持っていたカメラをパソコンにつなげた。

 

 写真部にあるカメラはキャノン製のものだが、一条さんのカメラにはソニーの文字が記してあった。恐らく自前のカメラなのであろう。


「私は、10枚ほど撮ってきました」

 一条さんはそう言うと、いくつかの写真を画面に写し出した。

 そこには、バレー部やテニス部、吹奏楽部など部活に勤しんでいる生徒の様子があった。


「おおーいっぱいあるね。美月ちゃんは、部活の写真を撮ったんだ」

「やっぱり授業参観って親御さんが来るイベントだから、自分たちの子どもが頑張っている写真が見たいかなって」

 パソコンに写し出された写真には、バットの芯でボールを捉える野球部の写真や、体育館で必死に走り込んでいるバスケ部の写真などがあった。


「一条さんは、田中と違ってちゃんと授業参観に来る人達の事を考えて写真を用意してくれたんだ」

「何を写すかも大切だけど、誰の記憶に残したいのか、それもまた大切なことだと思うから……」

 一条さんは、カメラを大事そうに撫でながらそう答えた。


「それで、鷹司飛鳥くんはどんな写真を撮ってきてくれたのかなー?」

 田中は、顎を突き出し僕を挑発した。


「いや、普通に風景画だけど……」

 そう言いながら自分のカメラをパソコンにつなげる。

 そして、その画面には生きた証であるかのように地面に散った桜の花びらが写し出された。

 田中と一条さんはパソコンの画面に顔を近づけた。

 

「なんで、桜の木じゃなくて地面に落ちた花びらを撮ったんだ?」

 田中は、静かな口調で僕に尋ねる。

 

「下を向いたときに花が咲いてると思ったんだ」

 

「…………」

 

 沈黙が教室内を覆った。


「飛鳥ってたまに、ポエマーになるよな」

「うるせーよ」

 恥ずかしさを紛らわすかのように、僕は大声を発した。


「私も鷹司くんの気持ち分かる。みんな桜の木に咲いている花びらをキレイと讃えるけれど、落ちてしまった花びらにもまた違った美しさがあるよね」

 一条さんは、写真をジッと見つめ言葉を続けた。

「でも、この写真を見てると少し寂しい気持ちになる……」

 

 写真は、被写体を写すだけではなく撮影者の心情をも写すらしい。写真を撮った時僕は、陽菜のことを考えていた。


 僕の人生は、いつも陽菜と共にあると思っていた。いつも陽菜を見ていた。

 でも、陽菜が見ているのは、いつも近衛先輩だった。僕は、ただの幼馴染。ただ、そこに落ちているだけのもの……。

 

 口では嘘をつけるが、写真では嘘をつけない。


 春の夕暮れが、名残惜しむように薄い影を落とす中、僕らはそれぞれの帰路についた。




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【あとがき】

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