第2話 距離感って大切だと思う


 靴を履き、昇降口を出る。普段の俺なら真っ直ぐ駅に向かっているところだが、今日は違う。


「れ、蓮くん。学校おつかれ様」


「栞もおつかれ」


 彼女は読んでいた小説を仕舞うと、ひよこのようにトコトコとこちらに歩いてきた。相変わらず前髪が長いままで表情がよく見えないが、心做こころなしか嬉しそうだ。


 今日栞に経験してもらう「下校」は、恋人の定番行動の中ではかなり難易度が低いものだ。だから最初に選んだ。


「今は何を読んでいたんだ?」


 俺が来た時にしまった小説にはカバーがしてあったのでよく見えなかったが、栞がどんな物語を読んでいるのかは少し興味がある。


「あ、えっとね……れ、恋愛小説を読んでたんだ」


「蓮くんがき、協力してくれるとはいえ、自分で何もしないのは、良くないかなって……」


 待ち時間まで小説のために時間を使っているのか。俺は小説を読むことがないからその気持ちは分からんな、文字が多すぎて目が痛くなってくる。


 とはいえ、自分から学ぼうとする姿勢は感心できる。だか、フィクションの恋愛ものには誇張した表現があることが多い。栞が間違った知識を身に付けていないといいが。


「栞は本当に小説が好きなんだな」


 そう微笑むと、何度も首を縦に振っていた。


「それじゃあ行こっか」


「そ、そうだね」


 そうして俺は歩き出す――がしかし、栞が何故か止まっている。しかも異様に耳が赤い。


「栞? どうかしたか?」


 俺がそう声をかけると、栞は急に走り出し――


「こ、これで合ってるかな……?」


 ――俺の右腕に抱きついた。


 これは不味い、栞の胸部が俺の右腕を圧迫している。栞は一体何を考えてるんだ。恋人とは言っても、ここまで距離が近いカップルはごく一部だけだ。


 そして何より、周りの生徒の視線をかなり集めている。同じクラスの人と遭遇しないよう、少し遅めに時間を調整したのだが、完全に人が居ない訳では無い。


「栞、一旦その腕を離してくれ」


「え? うん、わかったよ」


 栞は不思議そうにしながらも、俺の腕から離れる。


 それを確認した俺は栞の腕を掴み、急ぎ足でこの場から撤収。とりあえず離れなければ。


 校門を出て、少し先の細い道へ入る。


「はぁ……つ、疲れた」


 俺が足を止めると、栞は横の塀に寄りかかった。


「ど、どうしたの? 急に走り出して……」


「いや、栞が急に抱きついたから、周りの人にめっちゃ見られてた」


「で、でも。恋人同士って、ああやって帰るものじゃないの?」


 どうやら、俺が危惧していた通りの事が起こったようだ。恐らく、栞は誇張した恋人同士の行動を小説で見たのだろう。そして何を血迷ったか、それを現実世界に持ってきてしまったという訳だ。


「あそこまで密着して帰るカップルはごく少数だ。普通は腕に抱きついたりはしない」


「――そ、そうなんだ……」


 栞はショートしたように頭から煙を吐き、顔を両手で隠した。ついでに「私はなんてはしたない事を……」と何度も呟いている。


 「彼氏役」を引き受けた以上、ここは何とかフォローしなければならない。


「栞。恋人って言うのは、お互いに助け合って、手を差し伸べ合う関係なんだ」


 俺は栞に手を差し出した。


「手、繋がない?」


「う、うん」


 俺のてのひらと栞のてのひらが重なったのを確認し、ゆっくりと歩き出す。


「まずは、ここから。段階を踏んで、少しずつ『恋人』について勉強していこう」


 栞は1度だけ、強く頷いた。


「よし、じゃあ行こう」


 こうして俺たちは、20分ほど下校の時間を共にした。

 

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