第3話 契約
目が覚めた。ゆっくりと体を起こせば、自分がベッドで眠っていたことに気がつく。そのまま暫くぼーっとしていた。もう少し寝ていたいなとか、久々のふかふかの布団だとか。久々の……あれ。
「なんでおれ、ベッドで寝てるんだ?」
ここはどう見ても、宿の一室だ。だが、宿をとった記憶は無い。休憩室を後にして、そこから先が思い出せない。あれどうしたんだっけ。ぎぃと扉が開く音がする。扉へと目を向ければそこには誰かが立っていた。
「目が覚めましたか」
聞き覚えのある優しい声だ。彼はゆっくりとこちらに近付いてきた。だが、彼がすぐそこまで来ても思い出せなかった。
「えっと……すみません、どちら様でしょうか」
白を基調とした服。ピシッと少し硬そうな素材でできており、手には杖を持っている。端から端まで清潔感があり、隙がない。清浄無垢であることを全てにおいて表しているような、そんな人に見えた。
「先日休憩室でお会いした者です」
休憩室、そこでようやく思い出す。あの時声をかけてきた人だと。疑問はひとつ解消された。しかしすぐまた別の疑問が浮かび上がるだけだった。
「……えっと、……あの、これはどういう状況、でしょうか」
質問責めにしてしまったと、言ったあとに後悔した。だが彼は気にする様子を見せなかった。
「貴方が突然倒れるもんですから、私がここまで運んだんですよ」
倒れたんだっけ……記憶が曖昧だ。昨日の鍛錬場からここに急に来てしまったような、ちょっとした時間旅行のような感覚だ。
「助けてくださったんですか、ありがとうございます」
「どういたしまして」
見ず知らずの俺を助けるだなんて。なんて優しい人なんだろう、そう思った矢先だった──
「という訳ですので、後ほど救助代を請求させていただきます」
さっきの感想がすっと息を潜めるほどには驚いてしまった。いや、もちろん、こちらはそのつもりではいたが、表し難い不思議な気持ちが込み上げてくる……感謝の直後に現実が爆速で駆けつけてきた感じだろうか。いや、呆気に取られている場合ではない。
「……少し先になってもいいですか?俺お金もってなくて」
「構いませんよ。ですが、ひとつ提案があります」
「提案ですか?」
彼は人差し指を立てた手を開き、自分の胸元へと置いた。
「私を貴方のパーティに加えていただけないでしょうか?」
「……はい?」
なにか聴き逃したのだろうか。先程までの会話を思い出す。しかし、特に不自然なところは無いはずで、いまさっきの一言がとびきりおかしいだけだった。彼は困惑する俺の返答を静かに待つばかりだった。
「……なんでですか?」
それしか言葉が浮かばない。彼は淡々と語り出す。
「確実にお金を回収するためです。私がそばで見張っていれば、貴方が逃げ出すこともないでしょうし。サポートに入れば、貴方が再び倒れることもないでしょう?」
「はぁ……」
お金を回収するためにサポートする。うん、筋は通っているのか?俺の頭がまだ寝ぼけているのだろうか。ただ沈黙に耐えられず、それから逃げるための適当な質問を投げかける。
「貴方もフリーなんですね」
「はい。現在はフリーの僧侶です。名前をケインと申します」
彼の醸し出す雰囲気からは納得の役職だが、行動原理がお金なのだろうところが、どこがズレた印象を生み出している。
「ケインさん、……んと、すごく言いにくいのですが、俺まだ10レベの始めたて勇者候補なんです。その辺りは大丈夫ですか」
彼は一瞬だけ間を開ける。
「その点はご安心を。大半のサポート系の魔法については網羅しております。貴方がどんなに弱かろうと、お守りしますよ」
歯に着せぬ物言いに、耳が痛い。でも、弱いのは事実だし、彼もそういう意味で言った訳では無い。自分の中のうじ虫はどっか遠くに放り投げることにした。
「……じゃあお願いします」
すると彼はスルスルっと懐から何やら紙を取りだした。ぐるぐるに巻かれた紙を広げると、文字がびっしりと書いてあった。その紙の一番上には、契約書と書かれている。
「ではそこにサインを」
「ここに書けばいいんですね」
一番下のところの名前を書くスペースを指さす。妙な沈黙が支配した。俺はケインさんを見ると、彼は眉間に皺を寄せていた。
「ケインさん?」
「何故、言われた通りにサインするんですか?!」
「え、なんで?!」
サインしろと言われたと思えば、サインしようとしたら驚かれた。なんでぇ?もしかして、ものすごく怖い人なのでは。俺の心臓がきゅっと縮こまった。
「いえ、あまりの疑わなさに驚いただけです。良いですか。こういうものは、しっかりと、目を通してから、書くのですよ」
彼はひと単語ずつ強調しながら俺に言った。
「ケインさん、なにかダメなことかいてたりするんですか?」
「書いてはいませんが……例えばですがものすごく小さな文字で『契約料は金貨100枚』などと書かれているかもしれませんよ。お支払い可能なのですか?」
「無理ですけど……」
ケインさんは深いため息をついた。
「もう少し慎重になった方が良いと思いますよ」
「……でもケインさんがそんなことするとは思えなくて」
「何故ですか?まだ出会ったばかりの怪しい僧侶ですよ?」
「自分で言うんだ。いや、そもそも俺の事助ける必要もなかったですし、それにお金の回収なんて、俺が断っちゃったら出来ないでしょう?」
確かに、ちょっぴりだけ迂闊だったかもしれないが、命の恩人を疑う方が難しいのでは。そう思うのは俺だけなのだろうか。
「お金については地の果てまで追って回収しようと考えていましたよ」
「そうなんですか」
じゃあじっくり読もうかなと、1度ペンを置いて目を通し始めた。その様子を見ればウンウンと少し満足気に頷き、彼は部屋を後にする。
「回復魔法は施しましたが、貴方の体力の減少は致命的です。今は療養に務めてください」
「ありがとうございます」
「それともうひとつ。勇者候補さん。貴方のお名前をお伺いしてもよろしいでしょうか?」
「……ユウです」
「ユウさん、では買い出しに行ってきます」
「行ってらっしゃい」
契約書に目を通す。パーティを組んだことがなかったし、こういう加入時のお決まり事とかがあるのも知らなかったな。
以下の事柄については報酬をその場で請求?1行目の時点で雲行きが怪しくなってきた。どれどれ、回復魔法、防御魔法、呪い、毒、痺れなど状態異常の解除、鍵開け、衣食住の手配……。
俺は顔を上げた。読んでおいて正解だ。あの人が行動する度に何かしらの条件に引っかかり、その場で請求される。これだとパーティに仲間が加入すると言うよりも、1個の出来事に対してお手伝いさんを一々頼むようなものだ。それとも、これが普通なのか?
「ただいま戻りました」
俺が困惑しているうちに、彼は帰ってきた。
「おかえりなさい、早かったですね」
「これを買いに行っていただけですので」
そう手渡されたのは、ふかふかのパンだ。俺のために買い出しに……?と少しだけ感動したのもつかの間。すぐさま請求書が出てくるもんだから、涙はすんと引っ込んだ。いや、貸し借りがないという意味では良いとも言える。そういうことにしよう。助けられている身であれこれ思うのは良くない。
「ありがとうございます」
「さて、目を通していただけましたか?」
「うん、読んだけれども……その。その場で請求はちょっと。せめて、クエスト終わりとかに纏めてとかじゃだめですか?」
「勿論、クエスト時はその形式を取りますよ。戦場で頂戴するのは流石に危ないですからね」
良かった、と胸を撫で下ろすが問題はそれだけでは解決されない。俺は絶賛金欠中なのだ。宿代やこのパン代は払いきるにしても、継続的にケインさんの支払いに耐えられるかと言われる怪しい。
「一時的な契約とかお願いできますか?」
「構いませんが、条件にご不満が?」
「不満、と言うよりも……俺の財政的に難しそうなので。契約は救助代の返済分までってことでお願いします」
「そうですね、それが妥当かもしれませんね」
ケインさんは何故か満足気だ。すると別の契約書を取り出してきた。今度は一時契約用と書かれたものだ。
「非常に残念ではありますが、契約更新はいつでも受け付けますよ」
彼はそういうが、仮に俺のお金が貯まったとしよう。いざ更新したい!なんて頃には、ケインさんは別のパーティに入っているのでは無いだろうか。
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