第4話 エスケープ!
お題:蘇る歌姫・ふわふわ・不整脈・茹で上がった時計
ジャンル:大正ロマンもどき先生と書生。題名のやっつけ感が凄い。
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「先生!『文藝潮流』の藤田さんが来られましたよ!」
薫がスパァン! と襖を開けて告げると、派手にガタガタ音を立てて『先生』が押し入れに隠れた。
「スマン薫君、あとは任せた」
「いやです」
袴の裾をさばいてどすどす歩き、薫は『先生』のよれた着流しの襟首を引っ掴む。
「君はウチの書生だろう! 奴に寝返るつもりか!?」
ぎゃんぎゃん騒ぐ不惑を畳にポイし、腕を組んだ薫は侮蔑も露わに見下ろした。
「誰が裏切り者ですか。先生がちゃんと約束通り原稿を上げないのが悪いんでしょう。先週は『新時代』の桝井さんが泣き泣き帰られましたよ。いい加減、真面目にお仕事をされないとお母上に言いつけます!」
伝家の宝刀である「お母上」をチラリと見せると、焼けた畳の上で駄々をこねていた不惑の男がぴしりと固まる。『先生』の母君は烈女だ。あの刀自殿に勝てる者など薫も知らない。
「……うっ、持病の不整脈が……」
今度は体をくの字に折って、わざとらしく苦痛に顔を歪める人気小説家に、薫は深々と溜息を吐いた。
「馬鹿なこと言ってないで、多少身なりを整えてください『先生』」
寝巻なのか何なのか分からないような、ぐしゃぐしゃの着流しを兵児帯で留めただけの姿がいかにもだらしない。丁度玄関の呼び鈴が鳴って、薫はそれに返事をしながら引っ立てるように先生を起こした。
文章を書かせれば凄いのだ、この男は。ダメ人間の中のダメ人間のように見えるが、その小説を読めば教養の深さはすぐにわかる。日銭稼ぎにと下世話な大衆小説を書いて一躍時の人となっているが、彼が本当に書きたいのはそれではないことくらい、薫も分かっている。
「わかった、わかった。とりあえず離してくれたまえ。着替えるから」
ボサボサ頭を引っ掻き回し、観念した様子で人気小説家が頷く。慎重にその表情を観察しながら解放し、部屋の隅に畳んで置いていた着替えに手を付けるところまで確認して、薫は担当編集者の藤田を迎えに玄関へ出た。
一通りの挨拶を終え、藤田を部屋に案内する。多少、脱走を懸念していた薫だったが、果たして『先生』はまだその場に座っていた。
「お久しぶりです久賀先生。『蘇る歌姫』の原稿をお受け取りに上がりました」
背広姿の藤田が平身低頭する様子を、先ほどまでとは別人のような貫禄ある風情で久賀が睥睨する。チラリとそれを横目で見遣り、薫は茶を用意しに台所へ向かった。
薫は久賀の経歴を詳しく知らない。久賀自身はこの小さな借家で一人暮らしているが、母君は近隣に広大な土地を持つ地主だ。久賀自身も相当良い教育を受けてきたのだろう。時折言動に透ける教養が、育ちの良さを物語っていた。
なぜ久賀が、小説家などとふわふわした職を選んでいるのか。気になりはするが、好んでその書生に入っている薫が詮索することでもないだろう。安い番茶を丁寧に淹れ、急須と湯呑ふたつを盆にのせて薫は久賀の居室へ向かう。藤田の湯呑は客用の安物。久賀の湯呑は愛用の萩焼だ。淡い桜色の斑紋が美しい。
(似っ合わねーな)
この湯呑を見るたび思う。久賀の姿や暮らしぶりとこの湯呑はひどくそぐわない。だが、薫が惚れ込んだ久賀の文章は、確かのこの萩焼と同じ空気を持っていた。
「先生、藤田さん。お茶をお持ちしました」
膝をついて襖を開け、一礼して中に入る。観念して藤田と相対したものの、結局原稿が上がっていなかったらしい久賀は、藤田と睨めっこの我慢比べをしているところだった。
「薫君、こちらへ来なさい」
湯呑を茶托へ置いた薫を、藤田と睨みあったままの久賀が手招いた。いい加減、頭のひとつも下げて猶予を貰えと思いながら、薫は手招かれるままに久賀の傍らににじり寄る。
がしっ、と首をホールドされた。固まる薫を引き起こして、久賀が勝ち誇ったように笑う。
「はっはっは! 薫君の命が惜しければ動かぬことだ!!」
「アホかアンタはーーーーー!!!!」
誰が誰相手に誰の命を盾にしているのか。薫の命など知ったことではないだろう藤田も、あまりに突然の久賀の奇行に呆然と固まっている。
「さあ逃げるぞ薫君! 逃避行だ!!」
もはや言葉も無い。色々な意味で頭痛のしてきた薫は、半ば久賀に引きずられて家の敷地を飛び出した。当然裸足である。
「どっから突っ込んだらいいのか分かりません、先生」
げんなり肩を落とす薫を尻目に、久賀は生垣の下から履物と鞄を取り出す。
「そう言うな。これでも入念に計画を練ったのだよ」
言葉通り、久賀は周到な準備をしていたらしい。
「何なんですか急に」
「嫌気がさしてね」
「金は」
「十分貯めた」
「で、どうするんです?」
「『茹で上がった時計』を探しに、
サルバドール・ダリか。この『先生』はやっと、本気で自分の理想を追う気になったらしい。掴まれた手首を引かれ、雪駄を引っ掛けた薫は一歩を踏み出した。
「はい、先生!」
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薫君がびせいねんという設定はどこにも出す余地がなかった。
そしてこの先生と書生の掛け合いは、たぶん私の得意なヤツだな…。
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