狂騒の時代 シリウス
酒が禁止されて、はや二年。昔のアメリカでは、禁酒が憲法にも明記されてたらしいが、ザル法だったせいで、そこらで飲まれていたようだ。今回の禁酒法は過去に学んで、法律の抜け道を徹底的に潰し、密造酒や闇酒場は跡形もなく取り締まられている。
最初は、世間も静かに禁酒法を受け入れたように見えた。国中が清潔で健全な空気に包まれたかに思えた。
しかし、最近になってその「静けさ」がどこか不気味な様相を呈し始めたのだ。都会の空気がどことなく張り詰めている。特に問題は起きてないと聞いているが、ニュースもSNSも、どこか異様な緊張感に包まれているように感じる。強盗事件が目立って増えてきたのは、その兆候かもしれない。
そう考えていた時、ニュースキャスターの声がこちらへ響いてきた。
「本日午後二時五十三分、神奈川県横須賀市の住宅に男三人組が押し入り、現金などを奪った強盗事件が発生しました。警察は現在、男三人組を乗せた車を追跡しており……」
強盗事件の報告は、この一週間で何度も聞いた。その前は二人組、さらにその前は五人組の犯行。数字や場所こそ異なるが、繰り返される犯罪の連鎖。何が彼らを駆り立てているのか。金か、それとも別の何か。いや、もっと大きな変化が背景にあるのではないか。
禁酒法が施行されてから、表向きには平和を保っていたこの国だが、人々の心には見えない亀裂が広がっている気がする。表面的には規律が守られているように見えても、その裏では何かがゆっくりと崩れ始めているのではないか。この不気味な空気の中で、何か大きな出来事が待ち構えているような気がしてならない。
窓の外を見渡すと、道行く人々の表情はどこか無機質だ。まるで感情を失ったかのように、ただ日常をこなしている。だが、その日常の下に潜む暗い影を、誰もが見て見ぬふりをしているかのようだった。
禁酒法の影響は、本当に酒だけに留まっているのだろうか?
街の風景が徐々に不穏さを増していく中で、僕の中には得体の知れない不安が感じられた。気晴らしの一杯、誰かと心を通わせた瞬間。多くのものが、酒という媒介を介して彩られていた。
その酒が突然消えたことで、何かが壊れ始めているのはないかもしれない。ただのアルコール不足では説明できない、もっと大きな欠落が全体に伝わっているのだ。
思わず身震いした。
酒法上の影響は現実物質的な問題ではなく、人々の心に潜む何かを抑えつけているのではないか。しかし、今その逃げ場がなくなり、抑圧された感情が形を変えて溢れ出ているのだ。
そこに犯罪組織などが加わったのではないか?
私の頭の中では、禁酒法と強盗事件の関係が糸を引き始めた。これまで散発的に思われた事件の数々が、急速に一つの線で結ばれていく。
凍えるような寒気を感じた。何かを知らせるような寒気だ。
テレビの画面では、逃走中の犯人たちの車が高速道路を走る映像が流れている。追跡しているパトカーのサイレンが響き、画面の上部に表示されるニュース速報の文字が真っ赤に立っていた。
『犯行グループは今も逃走中。最新の情報では…』
無意識にリモコンのボタンを押し、テレビを消した。ニュースを見ているのが我慢できなくなっていた。静寂が部屋に戻ってすぐ、何か別の音が聞こえ始めた。
トン、トン、トン。
外から聞こえる、一定のリズムを刻む音。それは、近くの工事現場の音のようなものでもあり、人々の足音のようなものでもあったが、どこか不自然に規則正しかった。
外通りはいつもと変わらないはずだったが、今は違う。薄暗い街灯の下を歩く人影が、どこか歪んで見えた。
顔を上げると、視界の先に一つの姿があらわれていた。遠目ではよくわからないが、その姿は背の高い人のようなものだった。よくよく観察すると、男のようにも見えた。ゆっくりとこちらに歩み寄ってくる。その男の足元から告げるトン、トン、トンという音が、心臓の鼓動とシンクロするかのように響いていた。
「ああ」
胸がざわつき、無意識に後ずさりする。禁酒法で酒が忘れるだけではない、この国全体が何か重大な影響を受けている。現れているだけではなく、人々にとって干渉し始めている気がした。
その男が僕の家の前でじっとり、じっとこちらを見つめた。街灯の薄明かりが彼の顔を照らす。そこには、笑みが浮かんでいた。とても常人が出せるような顔とは思えない笑みだった。
僕は息を呑んだ。
世界が狂い始めている。
禁酒法はただの始まりだった。
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