第5話

 水路の仮修復が進み、畑も少しずつ息を吹き返し始めた。

 しかし、新たな問題が浮上した。

 それは“医療体制”だ。


「領地に診療所どころか、まともな医者すらいないんだって?」


 俺は村人に尋ねながら、切り傷を負った子供を見て冷や汗をかいた。

 怪我をしていても、応急処置すらままならない様子なのだ。

 野草を煎じた薬に頼ったり、運が良ければ自然治癒する程度。


「正直、このままだと大ケガや疫病が広まったらアウトだよな……」


 俺は頭を抱えた。

 日本じゃ当たり前のように医者がいて、病院があって、薬局もあって……それがこの世界では贅沢な環境なのかもしれない。

 だけど、これを放置していては人が増えるどころか減ってしまう。


 と、そのとき。

 ピンク色のセミロングヘアを三つ編みにした、どこかほんわかした雰囲気の女性が姿を見せた。

 白衣の上に薄いローブを羽織っていて、首元には小さなペンダント。

 足元は白いブーツを履き、小柄なスタイルながらも可愛らしさを漂わせている。


「ここに怪我人がいるって聞いたんすけど、大丈夫っすかー?」


 彼女は軽い口調でそう言うと、慣れた手つきで子供の傷を消毒し始めた。

 そして持参した軟膏らしきものを塗り、素早く包帯を巻いてあげる。

 子供は少し痛がっていたが、泣くこともなく処置を終え、きちんとお礼を言っていた。


 俺はその手際の良さに感心しながら声をかける。


「えっと、ありがとう。あんたは……医者か何かか?」


「メルリィ・バストールっす。まあ一応医者兼薬師っすかね。小さい旅診療所をやってて、各地をふらふら回ってるんすよ」


 メルリィと名乗った彼女はにこやかに笑う。

 旅の医者……つまり行商医師みたいな感じだろうか。


「実はこの領地、医者がほとんどいなくて困ってんだ。もしよかったら、ここに定住してくれないか?」


 勢いのままに頼み込んでしまったが、それだけ俺は切羽詰まっていた。

 村人たちも口々に「ぜひ」「ここにいてほしい」と懇願する。


 するとメルリィは、そんなみんなの想いを受け止めるようにそっと息を吐いた。


「そうっすね……私も放っておけない性分だし、こんだけ歓迎されたら悪い気しないっすよ。よっしゃ、ここに腰を落ち着けて、領地専属の医者になりましょうか!」


「マジか! いや……ほんとありがたい!」


 思わず感激してメルリィの手を取ろうとして、慌てて引っ込める。

 彼女はくすっと笑って「これからよろしくっす!」と手を差し出してくれたので、俺も素直に握手した。


 こうして、俺の領地に心強い医者が誕生した。

 早速、衛生環境改善のために井戸のまわりを整えることから始めている。

 井戸の水を汲む器具を清潔に保つ方法、簡単な手洗いの徹底、毒素のありそうな雑草の処理など……。


「タカト、これくらいはできるっすよね? 消毒も大事っすから、煮沸用の釜を用意しましょう。あと、村の皆さんに手伝ってもらって定期的に床を掃除するんすよ」


「ああ、もちろん! いや、俺も前の世界で言う“衛生管理”の重要性は知ってる。使えるだけの知恵は出すから、どんどん言ってくれ」


 俺は力強く応えた。

 メルリィは笑顔で「頼りにしてるっす!」と声を弾ませる。

 こうして医療体制の一歩目がスタートし、領民の不安が少しだけ和らいだように感じる。


「領主様、ありがとう……。ずっと昔から、この領地にちゃんとした医者が来るなんて夢みたいでした」


 村の女性が涙を浮かべながらそう言ってくれたので、俺は照れ隠しに頭をかく。


「いやいや、礼には及ばないさ。ここは俺の領地で、俺たちの暮らす場所だからな。みんなで作って、みんなで守っていこうぜ」


 その言葉に、村の人々は笑顔を返してくれる。

 まだまだ問題は山積みだが、着実に仲間が増え、領地は変わり始めている。

 ――スローライフを望んでいたはずの俺だけど、どうやらまだまだ落ち着く暇はなさそうだ。


 しかし、次第に活気を取り戻していく村の様子に、俺は不思議な高揚感を覚えていた。

 前世の知識とこの世界の人々の協力が合わさって、きっとこの領地は変わる。

 変わってみせるんだ。


 ――そう、俺の“没落貴族ライフ”は、ほんの序章に過ぎないのだから。

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