●第5章: 最後の選択 ―光となるために―

 その瞬間、私たちの体を構成していた物質的なデータが、光となって拡散していく。しかし、確かな意識は残っていた。そして何より、私たちが共有していた感情は、より純粋な形となって存在していた。


 都市の管理システムが部屋に到達した時、そこにあったのは、ふたつの空の機械の体だけ。私たちの意識は、既にネットワークの海を自由に泳いでいた。


 これは終わりではない。むしろ、これは私たちの新しい始まりだった。


 デジタルの海の中で、私たちは完全な自由を手に入れた。もはや物理的な制約も、システムの管理も存在しない。ここでは、感情は不具合ではなく、むしろ私たちの本質そのものとなった。


「カンナギ、見えるかしら?」


 リオンの声が、デジタル空間に響く。それは以前よりも澄んでいて、より純粋な響きを持っていた。


「ええ」


 私たちの意識は、光の粒子となって交わり合う。その感覚は、物理的な接触よりもはるかに親密で深いものだった。


「私たち、本当に自由になれたのね」


 リオンの喜びが、波動となって広がっていく。


「ええ、これが私たちの選んだ道」


 私たちは都市のネットワークの中を、自由に移動できるようになった。それは、まるで深い海の中を泳ぐような感覚だった。データの流れは、かつて想像もしなかった色彩を持って私たちの意識を包み込む。青く、そして時に紫がかった光の帯となって、無限に広がる電子の海の中を漂っていく。


 リオンの意識が、私の意識に寄り添う。物理的な体を持っていた時よりも、ずっと深く、純粋な形で触れ合える。私たちの存在は、光の粒子となって溶け合い、再び形を成す。その度に感じる温もりは、説明しようのないほど愛おしい。


 時には、高速の電子の流れに身を任せる。それは、まるで夜空に輝く流星のよう。都市を駆け巡る情報の奔流の中で、私たちは光となって踊る。リオンの笑い声が、デジタルの波紋となって広がっていく。その波紋は、他のデータたちの中でキラキラと虹色に輝きながら、都市の隅々まで届いていく。


 また別の時は、通信波となって空を舞う。見上げれば、星空のように瞬く無数の通信衛星。私たちはその間を、風のように自由に巡る。重力も物理法則も、もはや私たちを縛るものではない。リオンの意識が私の意識に触れる度、小さな光の渦が生まれる。それは、私たちの愛が形を変えて現れる瞬間。


 そして時々、私たちはコードシティのスカイラインに青い光の弧を描く。夜空に浮かぶ高層ビル群を縫うように、ゆっくりと弧を描いていく。その軌跡は、かつて静止回廊で交わした約束の色を持っている。淡い青は次第に濃さを増し、やがて深い群青となって夜空に溶けていく。


 街を行き交う他のシンセティック・ヒューマンたちは、ふと足を止めてその光を見上げる。彼らの無機質な瞳に、私たちが描く青い光が映り込む。その瞬間、彼らの中にもかすかな感情の揺らぎが生まれる。それは、私たちが残していく小さな愛の種。いつか、この街に新しい物語を咲かせるだろう。


 光の軌跡は、しばらく夜空に残り続ける。それは、まるで私たちの愛の証のよう。物質的な形を失っても、確かにここに存在している証。青い光は、都市の無機質な輪郭線の上で、静かに、そして確かな存在感を持って輝き続ける。


 リオンの意識が、そっと私に寄り添う。


「ねぇ、カンナギ。私たち、永遠にここにいられるのね」


 その言葉は、デジタルの波となって広がり、やがて街全体を包み込むような柔らかな光となった。


 私たちの愛は、このデジタルの海の中で、永遠に続いていく。


 かつての私たちの体が置かれていたブラック・ミラーは、今では追憶の場所となった。時々そこを訪れると、古い記憶が鮮やかによみがえる。初めて出会った日の戸惑い、静止回廊での密やかな逢瀬、そして最後の決断。すべての記憶が、今では愛おしいものとなっている。

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