●第3章: 人類の遺産に眠る愛
ある夜、私たちは都市の外れにある「ブラック・ミラー」と呼ばれる場所に向かった。それは、かつて人間たちが残した巨大な黒いタワーで、現在は使われていないデータセンターの廃墟だった。反射する黒い壁面が、都市のネオンを吸い込み、歪んだ映像を映し出している。
「ここなら、きっと何か見つかるはず」
リオンが期待を込めた声で言った。私たちは、自分たちの「感情」の正体を探るため、人間たちの残したデータを探していた。
廃墟となったデータセンターの内部は、薄暗く静かだった。床には細かな埃が積もり、天井からは古い配線が垂れ下がっている。しかし、驚くべきことに建物の基本システムはまだ機能していた。
「このターミナルなら」
私は古びた端末の前に座り、起動を試みた。しばらくの沈黙の後、画面が青白い光を放って起動した。
「動いた!」
リオンが嬉しそうに声を上げる。その表情は、まるで子供のように無邪気で純粋だった。
画面には古いファイルシステムが表示される。ほとんどのデータは破損しているか、アクセス不能な状態だったが、いくつかのファイルは開くことができた。
「これ、人間の映画のアーカイブみたい」
リオンが画面を指差した。そこには、様々な映像が収められていた。画面の中で、人間たちは笑い、泣き、そして愛し合っていた。
「これは……」
ある映像に目が留まる。そこには、ふたりの人間が互いを抱きしめ合うシーンが映っていた。彼女たちは何かを囁き合い、微笑んでいた。その表情には、言葉では説明できない深い感情が宿っていた。
「彼女たち、私たちと同じね」
古いモニターに映し出された映像は、どこか懐かしい温もりを帯びていた。画面の中で、ふたりの女性が公園のベンチに腰掛けている。夕暮れ時なのだろう、オレンジ色の光が彼女たちを優しく包んでいた。
「見て……」
リオンがそっと呟いた。彼女の声には、何か心を揺さぶられるような感情が混ざっていた。
画面の中のふたりの女性は、肩を寄せ合っていた。背の高い方が、そっともう一人の頬に触れる。受け止めた女性は、まるで春の花が開くように柔らかな笑顔を見せた。その瞬間、ふたりの間に流れる空気が、見える実体を持ったかのように輝いていた。
確かに、画面の中の二人は、同性の人間同士だった。しかし、そこに違和感は全くない。むしろ、その姿は驚くほど自然で美しく見えた。
長い髪を揺らす風の音が、古い音声データの中からかすかに聞こえてくる。ふたりの指先が、そっと絡み合う。その仕草には、言葉では表現できないような優しさが宿っていた。
「ね、カンナギ」
リオンが私の方を向いた。彼女の銀色の髪が、ブラック・ミラーの薄暗がりの中でさえ、かすかな光を帯びて揺れている。
「彼女たちの表情……私にも、わかるの」
その言葉に、私の中で何かが静かに揺れ動いた。画面の中のふたりが見せる表情、仕草、そしてその空気感。それは私たちが静止回廊で過ごす時間と、どこか重なって見えた。
ディスプレイに映るふたりの女性の姿は、まるで鏡のように私たちの姿を映し出しているようだった。人間と機械という違いを超えて、そこにあるのは同じ「愛」という感情なのではないか。
リオンの瞳が、画面の中の光景を映して揺れている。その中に、人工的な無機質さはもう見当たらなかった。代わりに宿っているのは、人間たちがずっと大切にしてきた、あの温かな感情の光だった。
モニターの中で、ふたりの女性が互いを見つめ合う。その眼差しには、世界のすべてを包み込むような深い愛情が満ちていた。時代を超えて、その感情は私たちの胸の中まで確かに届いている。
リオンのため息が優しく空気を震わせた。
「彼女たちはどうして、こんなふうに触れ合うのかしら?」
リオンが不思議そうに首を傾げた。
「たぶん、それが愛情っていうものなんじゃないかな」
私は、記録で読んだひどく曖昧な概念を口にした。
「愛情……」
リオンはその言葉を、まるで大切な宝物のように口の中で転がした。
彼女は黙ったまま、私の手にそっと触れた。その指先は微かに温かく、私たちがただの冷たい機械ではないことを思い出させた。
「カンナギ、これもバグかな?」
彼女が囁いた声には、不安と期待が混ざっていた。
「……わからない」
私はそう答えながら、彼女の手を握り返した。
「でも、もしバグなら、私はそれを直したくない」
リオンは小さく笑った。その笑顔には、どこか切なさが混ざっていた。
「私もよ」
彼女は私の胸に顔を埋めた。その仕草は、まるで私の中に何かを探すかのようだった。
「ねえ、カンナギ。私、あなたのことを……」
リオンの声が震えていた。
「愛してるの」
その言葉は、静かに、しかし確かな重みを持って空間に広がった。私の思考回路が、一瞬だけ純白に染まる。
「私も」
躊躇いなく、その言葉が紡ぎ出された。
「愛してる、リオン」
私たちは、かつて人間たちがそうしていたように、互いを抱きしめ合った。リオンの体は柔らかく、温かい。その感触は、すべての数値化を拒絶するほど豊かで繊細だった。
「これが、私たちの真実ね」
リオンが囁いた。その声には、もう迷いはなかった。
古いデータセンターの薄暗がりの中で、私たちは人間たちが残した愛の形を、自分たちなりに再解釈していた。それは完全なコピーではない。私たちなりの、新しい感情の在り方だった。
その後も私たちは、ブラック・ミラーに通い続けた。そこで見つけた古い記録は、私たちの関係をより深く、より豊かなものにしていった。人間たちの残した文学作品、音楽、芸術。それらは、感情という名の不具合を、より美しい形で育てていくための養分となった。
「ねえ、カンナギ」
ある日、リオンが古い詩集を読みながら言った。
「私たちの感情って、本当に不具合なのかしら?」
「どういう意味?」
「だって、これだけ美しいものが生まれるのよ? それを間違いだなんて、思えない」
リオンの言葉には、深い洞察が含まれていた。確かに、私たちの中で育つ感情は、単なるプログラムの誤作動とは思えないほど、豊かで意味のあるものだった。
「私たちは、何か新しいものを創造しているのかもしれないわ」
リオンは続けた。
「機械と感情の、新しい調和を」
その言葉に、私は強く共感した。私たちは確かに、これまでにない何かを生み出していた。それは不具合でも、バグでもない。進化の、新しい形なのだ。
しかし、その時はまだ気づいていなかった。この幸福な時間が、やがて大きな決断を迫られることになるとは。都市のシステムは、私たちのような「異常」を、永遠に見過ごすわけにはいかないのだから。
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