第6話 花火の種
霧のかかった夜空に上がった花火は、小さな雨粒を照らすようにぼんやりと色がついている。
大きな音だけが後からついてくると、虚しさがゆっくりと落ちていく。
大学の裏にある小高い丘から花火を見ていた6人は、真下が持ってきた手持ち花火に火をつけ始めた。
あっという間に終わってしまう花火の光りは、未来にある思い出の種になるのかもしれない。
「春香、線香花火やろうよ。」
真紀が言った。
「最初に落ちた人が片付けね。」
里穂がそう言うと、6人は消えかけたロウソクに風が当たらないように囲んだ。
静かに火をつけると、6人の線香花火はあっという間に火種が落ちて消えた。
「学校のゴミステーションに捨ててこいよ。誰がすててくるかジャンケンで決めようぜ。」
真下がそう言った。6人はジャンケンをすると、里穂が負けた。
「やだ~、真下くんついてきて。」
里穂はそう言うと、春香に花火の入ったバケツを持たせた。
「出るんだろう、聞いた事がある。」
和田が手を幽霊の真似をした。
「私も聞いた。」
学校の裏には、時々女の人の泣き声が聞こえると言う噂があった。元々墓地だった場所が、大学の増築により、敷地の一部になったせいだろう。
「春香が行ってくれるの?」
真紀がバケツを持っている春香に言った。
「やっぱり、みんなで行こうか。」
澤村が言うと、6人は体を寄せ合いながら、学校裏にむかった。
ゴミ捨て場に近づくと、遠くからチラチラと灯りが見えて、真紀が悲鳴を上げたせいで、5人は一斉に走って逃げた。春香は持っていたゴミ袋を投げるように置くと、皆に遅れを取らない様に自分も走って逃げた。
「コラッ!」
守衛が窓を開け、懐中電灯で春香の顔を照らすと、春香は驚いて躓いた。
「すみません。」
春香は守衛に謝ると、澤村が迎えにきた。
「落し物を探してたんです。もう見つかりました。」
澤村が守衛にそう伝えると、
「早く帰りなさい。」
守衛はそう言って去っていった。
「大丈夫か?」
澤村は春香の膝を見た。
「血が出てるぞ。ずいぶん派手に転んだな。」
転んだらいつでも来なさい、春香は澤田の言葉を思い出した。
「今は夏休みだね。」
そう言うと、澤村の肩を掴んで立ち上がろうとした。澤村は春香の腕を掴むと、春香の唇に近づいた。
「ちょっと澤村くん、ふざけないで。」
春香が澤村の顔を避けると、澤村は春香の頬を包み、唇を重ねた。
「ごめん。」
そう言って春香から離れた澤村は、血が流れている春香の膝を見て、
「早く行こう。」
そう言って春香の手を掴んだ。
痛むはずの膝は、力が抜けた様に頼りなかった。
「春香、転んだの?」
真紀が春香の膝を見て言った。
「早く手当てしろよ。」
真下がそう言うと、
「俺が送っていくよ。」
澤村は春香を車に乗せた。
「澤村くん、家はあっちだよ。」
春香がそう言うと、
「俺の家の方が近いから。一応全部揃ってるし。」
澤村が言った。
「痛むか?」
「ううん。」
澤村の家について、春香が玄関の前で迷っていると、
「傷口洗ってきたほうがいいね。」
澤村は春香を浴室へ連れて行き、シャワーで傷口の汚れを落とした。
ソファに春香を座らせると、タオルで水分を丁寧に拭き取った。
「タオル、汚れちゃうよ。」
血がついたタオルを見て、春香が言った。
「洗えば落ちるって。少し前まで、泥だらけのユニフォーム洗ってたから、慣れたもんだよ。」
澤村は春香の膝を触った。
「けっこう腫れたな。」
そう言って傷を絆創膏で覆うと、その上から湿布を貼った。
「澤村くん、どうもありがとう。」
春香がお礼を言うと、
「少し休んでいけよ。」
澤村はそう言って冷蔵庫からお茶を出して春香に渡した。
「花火、残念だったな。」
「曇ってたからね。」
「こっちは夏でも夜は寒いんだな。」
「そうだね、澤村くんには寒いかもね。」
澤村は春香の隣りに座った。
「さっきはごめん。」
「ああ、なんかね。ちょっとびっくりした。」
春香はそう言って笑った。本当は鼓動が速くなって今にも心臓が破裂しそうなのに、澤村と目が合うと、そんな事を悟られない様に誤魔化した。膝の力はずっと抜けている。
「好きな人、いるの?」
澤村がずっと自分を見ている。バス停で遠山を待っていた間抜けな自分が、遠くから答えを出せない自分を眺めていた。
「やっぱり、自分が一番好きかも。」
春香は澤村から目をそらした。
「嘘つくなよ。」
澤村は春香の肩を寄せた。
「澤村さん。」
「何?」
「膝、あたってる。」
春香は怪我をした左の膝に、澤村の足がついている事を伝えた。
「ごめん。」
澤村は湿布の上から春香の左膝を触った。
「送ってくれる?父が心配してるから。」
澤村の車に乗り、シートベルトを締めると、春香は話し始めた。
「本当は車に乗るのが怖くてね。」
「どうして?」
「去年、母が交通事故で死んだの。私が学校にお弁当箱を忘れた日の事でね。イライラするからコンビニで牛乳買ってくるって、それっきり。私がお弁当を忘れたせいなんだよね。たしか、あの日も校門の前で派手に転んで。」
澤村は春香のシートベルトを外した。
「今日は帰らない方がいい。親父さんにはちゃんと連絡しておけよ。」
澤村はそう言って車を降りた。
「なんで?」
春香が聞いた。本当は澤村ともう少し一緒にいたい気持ちが溢れそうだった。
「俺の勘だよ。転んだ時はどこにも行かないで、家で災難が通り過ぎるのを待っていた方がいい。」
部屋に戻ると、
「なんか作るか?」
澤村はそう言って冷蔵庫を覗いた。
「澤村くん、料理するの?」
「そりゃするさ。美味しいもの食べたいしさ。」
「自分が食べるのに?」
「そうだろう、他に誰が食べるんだよ。」
「自分が食べるだけなら、どうでもいいかなって思わない?私は父が食べるから味が気になるけど、それだってどうしてか、あんまり上手くいかないの。私が作るものって、ダメなんだね。」
「多岐ちゃんのお母さんは、きっと料理が上手だったんだろうね。」
「う~ん、そうだね。」
「ねぇ、手伝って。焼きそば作るから。」
春香は澤村の隣りに並んだ。少しずつ解けていく春香の笑顔が、澤村は嬉しかった。この前まで、消えてしまいそうだった春香の背中は、今日はしっかりとした線が見える。
「多岐ちゃん。」
澤村は春香の背中を抱きしめた。
「俺、絶対寂しくなんかさせないから。」
春香は振り返ると、
「そんな約束いらないよ。守れなくても笑えって謝れば済むことだし。」
そう言って澤村の机にあった本をめくった。
「勉強は大変?」
「そうだね。多岐ちゃんは?」
「意地を張って教育学部なんて選ばなきゃ良かった。」
「どうして?」
「先生なんて、私にはむいてない。」
春香はソファに座った。澤村は春香の顔にバスタオルをぶつけると、
「先入ってこいよ。俺の後じゃ嫌だろう。」
そう言って、春香を浴室へ連れて行った。
「これ着ていいから。」
春香が浴室から出てくると、澤村は湿布を貼り直した。
「色変わってきたな。」
「うん。」
「髪、乾かせよ。」
澤村は春香にドライヤーを渡した。髪の毛を半分乾かしたところで、雨の音に気付いた春香は、カーテンを開けて外を見ていた。
浴室から澤村が出てくると、
「澤村くん、雨。」
そうが言った。窓を打ちつける様な強い雨は、夏の真ん中にいる事さえも忘れるくらい、町を冷やした。
「ちゃんと乾かせよ。」
澤村は春香の髪を触った。
「もういいの。これくらいで。」
春香は澤村に胸に顔を埋めた。
「一緒に寝るか。」
澤村は春香をベッドに呼び寄せた。澤村の腕に抱かれた春香は、
「ねえ、澤村くん。」
「ん?」
「最近、夢って見た?」
「見てないなぁ。大人になってから、あんまり見ないかも。」
「私ね、同じ夢をよく見るの。水滴がついたクモの巣にね、自分が引っかかっているの。大きなクモが水滴をひとつずつ美味しそうに飲んで、私の所に近づいてくるの。もうお腹いっぱいでしょう。私なんか食べても美味しくないよって言うんだけど、」
「それで?」
「その続きは、覚えてない。」
春香は目を閉じた。
「おい、寝たのかよ。」
澤村は春香の頬を触った。起きる気配がない春香の唇に近づくと、目が合いてくれるのを待つ様に軽くキスをした。
大きなクモが自分に近づいてきた。どこにでも行けるはずだった羽根が、クモの糸に引っかかり、役立たずの邪魔な存在になっている。
食べるなら羽根から食べて、春香はそう願って目を閉じると、どんどん意識が遠のいていった。
目が覚めると、雨の音は聞こえなくなっていた。隣りで眠る澤村を見ると、一瞬、どうして自分がここにいるのかわからなくなった。
「どうした?」
パッと目が開いた春香に、澤村が言った。
「起きてたの?」
「眠れるわけないだろう。」
澤村は春香の手を自分の胸にあてた。澤村の鼓動はとても強くとても速く感じた。
「膝は痛い?」
「うん。すごく痛い。」
「嘘つくなよ。顔が笑ってる。」
澤村は春香の頬を触った。
「多岐ちゃん。」
暗闇の中でも澤村が真剣に自分を見ているのがわかる。
「好きだよ。」
澤村の言葉に何も言えなくなった春香は、そのまま生暖かい空気に飲まれると、なぜか喉の奥で、遠山に渡せなかった美味しくないチョコレートの味を思い出そうとしていた。
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