-16- 好きな色


「……八重」


 太蝋は八重の名前を呼んだ。

 八重はハッと目を見張り、声がした方へ視線を向ける。

 襖の前に立っている軍服姿の蝋燭ろうそく頭の男が何者であるか理解するのに一瞬の時間を要したようだ。


 理解したと同時に八重は大慌てで部屋の中に戻り、正座して三つ指を着き、頭を下げた。


「お、お帰りなさいませ、旦那様……」

「……うん」


 緊張していることが震える指先や肩から伝わってくる。

 実に三週間ぶりの再会では無理もない。

 太蝋は三つ指を着いている八重の前に正座した。


「顔を上げなさい」

「……はい…………」


 蚊の鳴くような声で返答し八重は上体を起こした。

 しかし、視線は手元に落ちたままだ。

 不安げに小さい手をこまねいている八重を見下ろし、太蝋は訊ねた。


「先ほどの手の動きは何だ?」

「……え?」


 帰ってきてすぐの問い掛けに八重は思わず顔を上げた。


 それに対し太蝋は先ほど八重がしていた手の動きを真似て見せる。

 左手で手繰り寄せながら、右手で歯車を回す動きを。


「何かこう……巻いていただろう?」

「あ……」


 縁側で黄昏ながら手遊びしていた所を見られていたのだと知り、八重は恥ずかしそうに顔を赤らめる。

 その顔を見て、太蝋の心臓がどきりと跳ねた。

 八重は気恥ずかしそうにしたまま律儀に答える。


「……生糸きいとを紡いでいました」


 その答えに、かつての友人との手紙のやり取りを思い出す。

 友人曰く、自慢の妹は生糸を紡ぐことが好きで、毎日のように火縄の屋敷の敷地内にある専用の小屋に入り浸っている――とかなんとか。


 今思い出しても、友人との文通の内容は妹自慢が殆どだったと記憶している。

 しかし、そのお蔭で僅かながらに八重のことが分かる気がしていた。


「本当に好きなんだな」

「……はい……好き、です……」


 八重は気恥ずかしそうなまま答えた。

 その表情からは憂いを感じない。

 ただ絹糸を作ることが好きなのだと伝わってくる。


 太蝋は八重の「好き」と言う言葉に妙に動揺した。

 赤い顔の八重を直視していられず目を逸らす。


「……そうか」


 つっけんどんな返事をすると二人の間に沈黙の時間が流れた。

 八重は太蝋に恥ずかしい所を見られていた羞恥心で顔を伏せ、太蝋はそんな八重を見ていられず明後日の方向を見て誤魔化している。


 一ヶ月ぶりの再会であることを思い出しながら、太蝋はその間に八重がどれほど手持ち無沙汰な状況にあったかを理解した。

 嫁入り前は毎日のように生糸を紡いでいたのなら、今の状況はさぞかし暇だろう。

 それが好きでやっていたことなら尚更、虚無な時間を過ごしていた筈だ。


 太蝋は八重への申し訳なさを思いながら訊ねた。


「好きな色は?」

「え……?」


 唐突な問いに八重は目を丸くさせる。


「えっと……」


 意外な質問に言い淀む八重。

 質問の意図が分からず、何と答えたら太蝋の気分を害さずに済むか分からない。

 そう思いながら太蝋を見上げた時、視界に映ったのは白い蝋燭ろうそく頭。

 絹を彷彿とさせる白さに目が奪われ、八重は思うままに答えた。


「白……です……」


 黒檀色の瞳に見つめられ、言われた答えに太蝋の心臓がまた跳ねる。

 まるで自分の色を答えたられたかのような錯覚を覚えた。


「……白、か」


 俄かに騒ぎだした鼓動から目を背けるように太蝋は拳を握って明後日の方を向いた。

 太蝋の頭が動く瞬間を見ていた八重もハッと我に帰った様子で、恥ずかしそうに俯く。

 太蝋に「好きです」と告白したような錯覚に見舞われる。


「は、はい……」

「分かった」


 生糸を紡げない環境に嫁いできた妻を少しでも慰めるために、太蝋は白い絹糸を取り寄せる考えを固めた。

 八重がしたいのは生糸を紡ぐことであって、絹糸が欲しい訳ではないだろう。

 しかし、蚕業さんぎょうを始めさせることはできないし、繭を取り寄せることも難しい。

 ならば、せめて八重の手に絹糸を持たせてやりたい。

 それをどうするかは八重に決めさせれば良い。


(一反分の反物が織れる程の絹糸があれば充分だろうか)


 そんなことを無責任に考えながら、太蝋は小さくなっている八重を見下ろし、他にも償う方法はないものかと考えた。


「――そうだ」

「……?」


 太蝋が小さく呟いた声を聞き、八重は不思議そうな顔をして太蝋を見上げた。

 すると、思いもよらぬ提案が太蝋の口から飛び出てきた。


明日あす、帝都観光に出かけよう」

「…………えっ……」

「急な任務もひと段落したから、明日あすから三日ほど休みなんだ。一日くらいは付き合ってくれないか」

「え、ええと……わ、分かりました……」

「うん」


 突然の逢引でえとの誘いに八重は驚きながらも了承した。


 断る理由もなければ、屋敷に居たい理由もない。

 一ヶ月ぶりに会う旦那様と、二人きりの時間に不安は覚えるものの、八重は窮屈な屋敷から出られる機会を与えられたようで、少し嬉しく思った。

 火焚に嫁に来て、初めて明日が楽しみだと思える申し出であった。

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