-8- 彼の人は白なのか
曲がりなりにも金持ちの部類に入る家が、お嬢様である娘に労働させるなんて……と言う考えが浮かぶ。
しかし、八重の両親が娘を扱き使うような人物には見えなかった。
だが、それも他人である太蝋から見た場合の火縄夫妻だ。
娘である八重には違う顔を見せている可能性が潜んでいる。
特に、八重のような半端者であれば、尚更……。
「……好きなのか?」
少しの疑念を抱きながら、太蝋は八重の真意を探った。
癖になるほどに生糸を紡いできた理由が、人に押し付けられた結果の習い性であるなら問題だが果たして……。
「……はい……好き、です……」
八重は気恥ずかしそうなまま答えた。
その表情からは憂いを感じない。ただ絹糸を作る事が好きなのだと伝わってくる。
太蝋は八重の「好き」と言う言葉に妙に動揺した。赤い顔の八重を直視していられず目を逸らす。
「……そうか」
つっけんどんな返事をすると二人の間に沈黙の時間が流れた。
八重は太蝋に恥ずかしい所を見られていた羞恥心で顔を伏せ、太蝋はそんな八重を見ていられず明後日の方向を見て誤魔化している。
ともあれ、八重が強制されて絹糸を作っていたのではないと知り、太蝋は安堵した。
と同時に好きな事を取り上げてしまっている状況に心が痛む。どうにかしてやりたいと思ってしまった。
「好きな色は?」
「え……?」
またも唐突な問いに八重は目を丸くさせる。
「えっと……」
次なる質問が飛んでくるとは思わず、言い淀む八重。
質問の意図が分からず、何と答えたら太蝋の気分を害さずに済むか分からない。
そう思いながら太蝋を見上げた時、視界に映ったのは白い蝋燭頭。
絹を彷彿とさせる白さに目が奪われ、八重は思うままに答えた。
「白……です……」
黒檀色の瞳に見つめられ、言われた答えに太蝋の心臓がまた跳ねる。
まるで自分の色を答えたられたかのような錯覚を覚えた。
「……白、か」
俄かに騒ぎだした鼓動から目を背けるように太蝋は拳を握って明後日の方を向いた。
太蝋の頭が動く瞬間を見ていた八重もハッと我に帰った様子で、恥ずかしそうに俯く。
太蝋に「好きです」と告白したような錯覚に見舞われる。
「は、はい……」
「分かった」
生糸を紡げない環境に嫁いできた妻を少しでも慰めるために、太蝋は白い絹糸を取り寄せる考えを固めた。
八重がしたいのは生糸を紡ぐ事であって、絹糸が欲しい訳ではないだろう。
しかし、蚕業を始めさせる事は出来ないし、繭を取り寄せる事も難しい。
ならば、せめて八重の手に絹糸を持たせてやりたい。
それをどうするかは八重に決めさせれば良い。
(一反分の反物が織れる程の絹糸があれば充分だろうか)
そんな事を無責任に考えながら、太蝋は小さくなっている八重を見下ろし、言っておかなければならない事を思い出して口を開いた。
「……それと、私が家を空けている間は自分の部屋で寛いでいると良い」
「……自分の部屋?」
また目を丸くさせて顔を上げた八重。太蝋の言う〝自分〟の部屋の意味が分からない。
「八重の部屋だよ。ここは私の部屋だからね」
「えっ」
短く驚きの声を上げた八重を見て、太蝋は古参の女中が巡らせていた想像が勘違いである事を察した。
ただ八重は知らなかっただけだ。自分の部屋が用意されている事を。
しかし、問題は何故知らなかったのかと言う所である。
用意された部屋の存在は祝言の翌日に案内されるよう、手筈は整えられていたと言うのに。
誰かが意図的に八重に伝えなかった可能性がある。
八重が抱えている事情を知らない人間はここには居ない。
片翅分の痣しか持たない女であると誰もが知っているのだ。
その所為で八重は太蝋が任務で離れていた一ヶ月間に随分と肩身の狭い思いをさせられた。
古参の女中も八重への軽蔑を隠そうとしていなかったから、嫌味な笑顔を浮かべて太蝋に嘘を吹き込んだのだろう。
その事に思い至った太蝋は徐に立ち上がりながら言った。
「案内しよう。ついておいで」
もう一度、使用人の誰かに案内を任せるよりも、自ら八重の部屋に連れて行った方が確実だと思えた。
その方が八重も大手を振って、充てがわれた部屋へ行けるだろう。
「えっ、あっ、は、はい……っ」
太蝋の言葉を受け、八重は慌てて立ち上がった。
襖を開けて廊下へ出た太蝋の後ろを小走りでついていく。
その背中は初夜の時に見た背中と違い、温かいものに見えた。
ぼんやりと手遊びしていた理由を、訊ねられた事が思いの外に嬉しかったからかもしれない。
(……旦那様は……どんな方なのかしら?)
表情が分からない蝋燭頭の夫。
これまで掛けられてきた言葉の温度は冷たく感じていた。白い蝋のように。
けれど、この短時間に起きた太蝋とのやり取りは気まずいだけのものではなかった。
八重を知ろうとする思いが感じられたのである。
歓迎されていないと思っていただけに先ほどの会話は意外なものだった。
八重は太蝋の背中を見上げながら思った。自分も知らなければならない。
添い遂げていく夫が何者であるか、を。
本当に自分の存在は望まれていないのか、を――
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