-15- 記憶が言うには
祝言から一ヶ月。
災物討伐から帰還した太蝋は玄関先で古参の女中に出迎えられた。
「太蝋様、お帰りなさいませ」
「うん」
太蝋は玄関に腰を降ろして靴を脱ぎながら、古参の女中に留守中の出来事を訊ねた。
対し古参の女中は夏の暑さも本格的になってきたから、涼めるように各部屋に
特に人が使う部屋には風鈴を設置し始めたとも。
すると、その話をしている間に古参の女中が意味ありげに溜息を吐いた。
「なんだ?」
「あぁ、いえ……。大したことでは……」
太蝋の問いかけに対し、古参の女中は「大したことでは」と言いながら、聞いてほしそうに目配せしてくる。
太蝋が今よりずっと若造だった頃から火焚に仕えている古参の女中は、火焚の屋敷内を管理する使用人や女中達を取りまとめる立場にいる。
それゆえか、少々自分の常識から外れることが起きると、こうして事件のあらましを匂わせてくるのだ。
そのお蔭で屋敷内の秩序が保たれた例が過去にあったことも含め、完全に無視することはできない。
太蝋は溜息混じりに古参の女中に再度訊ねた。
「大したことでなくとも聞かせてくれ。屋敷を離れていた間のことは知っておきたい」
「太蝋様がそこまでおっしゃるなら……」
そう言って、古参の女中は困った様子を漂わせながら語り始めた。
「八重様が充てがわれたお部屋から殆ど出てこられないのです。お食事の時にだけ顔を見せられるのですが、それ以外は全く……。幾ら、本家の嫁になられたと申しましても、振る舞いというものがございましょう? それが一切感じられないものですから、わたくし共としましても、少々、お仕えし辛さを覚えておりまして……」
つらつらと並び立てられた内容を聞いて、太蝋は内心で呆れ返った。
言葉の節々から八重への軽視が感じられて気分が悪くなる。
そう言った使用人や女中達の態度こそが、八重の態度を硬化させているとは思わないのか。
などと思いながら、太蝋は言葉を返した。
「嫁いできたばかりで振る舞いも何も無いだろう」
「それは……。ですが、太蝋様――」
自分の思惑通りに太蝋が反応してくれなかったことに古参の女中は不満を覚えた。
だが、これは屋敷内の治安維持に努めている古参の女中としては、捨ておけない問題だった。
「それで? 他に何か問題はあったのか?」
太蝋の頭の炎がぶわりと燃え広がった瞬間を見て、古参の女中は喉まで出かけていた言葉を無理矢理に飲み込んだ。
「い、いえ……。ございません……」
「そうか。女房殿の存在に気を取られすぎて、屋敷の事が疎かになっていないなら良いんだがな」
「そ、それは、無いと自負しております」
「なら良い。〝これまで通り〟に過ごせるよう頼むよ」
「はい。かしこまりました……」
言外に、八重への軽視の心に
しかし、この程度で態度を改めていたら、最初の注告の時点で気を付けていた筈だ。
……いや、充分に気を付けていたのだろう。
当主や太蝋の怒りを買わぬように、八重に関わらないと言う手段を以ってして。誰も八重を気遣う素振りを見せなかったのだろうと、古参の女中の告げ口で理解した。
太蝋は八重に充てがわれた部屋へ向かう道中、使用人達への不満を思いながら、とある人物の言葉を思い出していた。
『――私の妹は、とっても恥ずかしがり屋なの』
ニコニコと微笑む姿は何者をも照らす太陽のように眩しかった覚えがある。
『その上、泣き虫! けど、とっても頑張り屋。見てるこっちが心配になるくらい』
かつて、八重のことを愛おしげに話していた女が居た。
自慢の妹の話をする姉が。
心から妹を想っていると分かる内容の数々に微笑ましく思うと同時に、あまりの自慢っぷりに呆れたものだ。
気の置ける友人の言葉を思い出した太蝋は、あの時と同じように苦笑を漏らした。
だが、その友人は
今や、友人は自慢の妹を守れる身体を持っていない。魂だけの存在になってしまっただろうから。
であるならば、代わりに友人の妹を守ってやる必要がある。
……にも
八重の部屋の前に立ち、声を掛ける前に中の様子を窺う。
物音は何一つ聞こえない。遠くから蝉の声が聞こえてくるだけ。
本当に部屋にいるかも怪しいほどに何も聞こえてこない。
「……」
太蝋は声を掛けることをやめ、ただ静かに襖を開けてみようと思った。
そうすることで、今の八重がどんな様子であるかを、偽りなく見れる気がしたから。
音もなくスッと襖を開けて部屋の中を見ると、中庭を望む縁側でぼうっとしている八重の姿が真っ先に目に入ってきた。
遠くを見つめる目は悲しげで、消えてしまいそうな雰囲気が漂っている。
左手で何かを手繰り寄せるような仕草をし、右手はくるくると歯車を回すような動きをしている。
何も持っていないのに、手慣れた動きから何かを作っている仕草であることは分かった。
ただただ手を動かし続け、外の景色を眺めているだけの八重の姿に太蝋は胸が締め付けられた。
それ以外に何かをする様子もなく、縁側から動く気配もない。八重は延々と空気を編み続けている。
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