-9- 絹糸が紡ぐものは

 一週間後。

 蝉の声と風鈴の音が響く部屋で一人の時間を過ごしいた八重の元に、若い女中の一人が慌てた様子で訪ねてきた。

 どたどたと廊下を踏み鳴らし部屋の前まで来ると、ぎこちない動作で障子前に正座して声を掛けてくる。


「奥様っ。玄関に来てくださいっ」


 つい先日から火焚家に仕え始めたばかりの若い女中の声で「奥様」と呼ばれる事に、そわそわと落ち着かない気持ちになりながら、八重は急いで部屋の襖を開けた。


「どうしたの?」

「旦那様から奥様への贈り物が届いてるんです!」

「……え?」


 太蝋からの贈り物と聞いて、八重は聞き間違いかと耳を疑った。


 大雨の災物討伐から帰ってきてからの数日間を火焚の屋敷で過ごした後、太蝋は次なる任務を熟す為に、昨日基地へ向かって行ったばかりだ。

 そんな太蝋からは今日何かが届くとは聞いていない。しかも自分への贈り物だなんて信じ難かった。


 きょとんとしている八重の手を握り、女中はどたどたと廊下を踏み鳴らして玄関先へ向かっていく。

 道中で別の女中が「足音が煩い! 歩きなさい!」と叱りつけてきても、若い女中はまるで気にしていない。

 手を引かれて小走りになってしまっている八重の方が申し訳なく思ってしまった。

 玄関先に到着すると、そこには普段姿を見かけない人が立っていた。


「ご、ご当主様……っ!?」


 火焚家当主……太蝋の母親であり、八重にとっての姑だ。


「あら、八重ちゃん。久しぶりね」


 八重の姿を認めると当主はにこりと微笑んだ。

 火蝶本家の当主たる威厳と気品が漂う立ち居振る舞いに八重は肩身が狭くなる。


「お、お久しぶりです……ご当主様……」


 丁寧にお辞儀をして挨拶を返すと当主は「あらやだ」と言って、口を尖らせた。


「ご当主様なんて他人行儀な呼び方よして頂戴。貴方は太蝋の嫁で、私の娘になったんですからね」

「は、はい……。ええと……お、お義母様、で宜しいでしょうか……?」


 怖ず怖ずと呼び名を変えてみると当主は満足そうに笑った。


「そうね。それが良いわ。あぁ……娘って良いわねぇ……」


 太蝋ほどでは無いにしても当主も日頃から何かと忙しくしており、こうしてまともに対面するのも約一ヶ月ぶりだ。

 祝言以来と言った方が分かりやすいだろう。


 呼び方を変えただけで妙に喜ばれている状況に八重は困惑した。

 てっきり義母である当主も、心底では八重を歓迎していないのだろうと思っていたからだ。


「あらやだ。私とした事がうっかりする所だったわ。八重ちゃんに会えたのが嬉しくって、つい」


 この言動から察するに当主は八重を可愛く思っているらしい。

 信じ難い思いを抱きながら、八重は当主の行動を見守った。

 当主は玄関先に置かれた箱の前に膝を着いた。そして、両手で箱を持ち上げ、八重の目の前に運びながら言う。


「はい。これ、太蝋からの贈り物よ。八重ちゃんは見慣れてしまってる物でしょうけど」


 八重は急いでその場に正座し、当主に差し出された箱を慌てて受け取った。

 その箱には見慣れた家紋が描かれていた。八重の実家である火縄家の家紋だ。

 既視感のある木箱は実家でよく見たものに違いなかった。


「これ……」

「開けてご覧なさい」


 当主に促されるまま、八重は箱の蓋を開けた。

 上質な桐が使用された箱の中には純白の絹糸がずらりと並べられて入っていた。

 それを見た瞬間、八重は絹糸の美しさに目を奪われながら、脳内に浮かんだ数字に悲鳴を上げる。


「ひぃっ……! ど、どうして、こんなに……!」

「あら? 気に入らなかった? 太蝋ったら駄目ねぇ。お嫁さんの好みも知らないで――」

「ち、違うんです……っ! 絹糸は大好きです……っ! で、でも、こんなに沢山……!」


 桐箱に入れられていた絹糸の束は約十メートルの長さの物である。

 それが三十本もあれば反物を織る事が出来る。

 値段にして三万は降らず、火蝶の血筋たる火縄家が作った絹糸であれば市場価値も高い。

 確かに八重は絹糸の束が山になっている光景を幾度となく見てきた。

 しかし、その分、どれだけの価格が付けられ、世に流通しているかも良く知っている。

 知っているだけに三十束もある絹糸が自分への贈り物だとは信じ難かった。


 動揺して泣きそうになっている八重を見て、当主は微笑みながら立ち上がって言った。


「大好きなのね。それは良かった。じゃあ、安心して機織り機の部屋まで案内出来るわ」

「へっ?」

「一応、我が家にも機織り機くらいあるのよ? けど、まともに使えた試しがなくてね。贔屓にしてる呉服屋で用事が済んじゃうものだから。だから、これを機に八重ちゃんにあげるわ」

「えぇっ!?」


 さらりと機織り機を譲渡すると言われ、八重はこれまでに無いほどの大声で驚きを露わにした。

 いくら、一家に一台と言われているほど普及している機織り機とは言え、それの所有権を渡される事になるなんて思いもしなかった。

 大量の絹糸に加え、機織り機を貰う事になった状況に八重はただただ困惑する。


 そんな八重に「こっちよ」と言って、当主は機織り機がある部屋の方へ歩いて行ってしまった。

 困惑した頭のまま当主の後を急いでついて行くと、屋敷の奥に位置する部屋の前に到着した。


 襖を開けた先に見えたのは実に立派な機織り機。

 側には経糸たていとと用意するための整経せいけい台もある。

 機織り機は部屋の真ん中に設置されており、窓からは裏庭の竹林が見える。


 風通しが良いらしく、竹林がさざなみの音を立てると同時に涼しい風が部屋へ吹き込んでくる。

 静かに布を織る為に用意されたような空間に絆され、八重は機織り機を触りたい気持ちを掻き立てられた。


「この部屋も好きに使って良いわ。絹糸以外に欲しいものがあれば言いなさいね」


 当主の言葉を受け、八重はハッと現実に引き戻された。


「ほ、本当に私如きが使って良いんでしょうか……」


 どうしても火焚家にある全ての物に対して、軽々しく触れて良いとは思えない。

 それは自分自身が片翅の半端者であり、不出来な人間だろうと思うから。


 そんな八重の不安を当主は笑い飛ばした。


「やぁだ、八重ちゃんったら~! 使って良いから連れて来たのよ? 八重ちゃんが布を織りたいなら、好きなだけ織れば良いのよ。織った布も好きに使いなさい。太蝋が八重ちゃんにあげたくて取り寄せたものなんですからね」


 当主は「楽しんでね」と言い残し、機織り部屋を出て行った。

 部屋に残されたのは茫然とする八重と、絹糸が入った桐箱を持った若い女中。


 暫く茫然としていた八重は若い女中の「奥様? 大丈夫ですか?」と言う声で我に帰り、改めて機織り機に目を向けた。


 壊れ物に触れるように怖ず怖ずと機織り機に手を滑らせる。

 埃一つなく手入れされた機織り機は何処も傷んでいない。

 大切に管理されていたとも言えるし、全く使われていなかったようにも見える。


 いずれにしても、また絹糸に触れる時間を持って良いと許されたのは八重にとって幸せに違いなかった。


(……旦那様とお義母様に、何か作って贈ろうかしら)


 思わぬ形で二人の気遣いを感じた結果、八重は芽生えた感謝の気持ちを込めて絹を織る事を決めた。

 着物の袖をたすき掛けし身動きをしやすい格好になると、八重は若い女中から絹糸が入った箱を受け取った。


 一束手に持つと懐かしい感覚に包まれた。

 陽だまりような暖かさが手先から全身に広がっていく。ホッと心が安らいだ。


 手慣れた様子で絹糸を手繰り、八重は整経台で経糸を準備し始めた。反物を織る為の前準備の一つである。

 するすると絹糸が整経台の棒に巻き付けられていき、長い長い糸の束が出来上がっていく。


(絹が出来たら、何を作ろうかしら)


 わくわくと胸を躍らせながら八重は微笑みを浮かべて作業を続けた。

 純白の絹糸が夏の太陽光をキラキラと反射させて機織り部屋を満たす光景は、心無い言葉や視線に晒され続けて憂鬱になっていた気持ちを晴れやかにしてくれた。

 土砂降り続きだった心の暗雲が晴れていくようだった。




   第一章 雨だれ石を穿つ   完

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