-2- 飛んで火に入る 夏の虫

 大火々本帝国だいかがほんていこく。通称、火ノ本。


 八千年の歴史を誇る、この国では火山を神として崇め、火を祀っている。

 国に伝わる火の神の伝承では、神の怒り……噴火を鎮めるため一人の女が火口に身を投じたと言う。


 女は生まれついて蝶の翅のような痣を背負っており、火を自在に操る力を持っていた。

 人々はその力を恐れ近付かなかったが、女は人々を護るために命を投げ打ち、噴火を鎮めたのである。

 人々は女を火の蝶……【火蝶かちょう】と呼び、火の神の巫女になった蝶の功績を讃え、祀る事にした。


 巫女となった火蝶には妹がいた。残された妹は姉が残した火の翅を護り、後世に伝えていく事を決意し人々を従わせた。

 そして、火蝶の血族は神が怒りを滾らせた時、巫女を差し出す事で噴火を鎮めてきたのである。


 現在に至るまで火蝶の血族は帝国全土に分布し、血を繋ぎ続けている。

 また、何時起こるかも分からない火山の噴火に備えているのだ。

 初代から数えて、これまで十一人の火蝶が火口に身を投じ、噴火を鎮め、帝国の安寧を護ってきた。


 そんな火蝶の本家である火焚ほたき家では、重大な後継問題を抱えていた。

 火蝶の本家は初代当主の時代から女が当主を務めている。

 火蝶の能力を扱えるのは女だけだからだ。

 しかし、今代の火焚家では男児しか生まれず、次代の当主を決められない状況にあった。

 現当主は分家筋から優秀な火蝶を嫁に迎え、次代の当主に座らせようと長男と同じ年頃の女の子の中から一人選び出した。


……いや、必然的に目に留まったのである。


(それが、姉様だった)


 本家が腰を据えている火ノ本の首都である【帝都】から、遠く離れた小さな村で蚕業を営んでいる火縄家。

 そこで六つ歳が離れた二人姉妹が生まれた。


 姉の千重は快活でお転婆。妹の八重は引っ込み思案。

 成長するにつれて姉妹の性格に、はっきりとした明暗がついていったが、生来の理由以上に影響した事があった。


 どちらも火蝶の血族らしく背中に立派な翅の痣を持っていたが、妹の八重は欠けていた。

 片翅分の痣しかなかったのである。


 千重と同じ翅である事は確かだったが、右の翅しか無い状態で生まれてきた。

 背骨から左側には何の痣もなく、右側には蝶の翅が確かにある。

 蝶に成り切れていない上に、人の背中であるとも言えない身体は八重を半端者であると示していた。

 火蝶の血族をよく知る人間からすれば、八重は扱いに困る存在だった。


 何も八重が初めての事例では無い。過去にも前翅だけが無い場合や、後翅が無い、翅の一部が欠けている……などと言った変異体は生まれてきた。

 その度に半端者の蝶達は存在そのものを疎んじられてきたと言うだけである。

 対して、千重は今代の蝶の中で最も立派な翅を揃え、火を扱う能力にも長けていた。

 火蝶はその翅から出る鱗粉を用いて、治療、守護、攻撃を行なえる。

 その力を発揮するために必要となるのが、体内に宿る霊力と、本人の強い生命力である。


 千重は霊力、生命力共に強く、火の扱いも鱗粉捌きも見事なものだった。

 まさしく火の蝶と言う表現が相応しい、美しさと強さを兼ね備えていたのだ。

 火焚家の次代当主に相応しいと言われ、また期待されていた。


 しかし、優秀だった故か千重は嫁入り直前、巫女になってしまった。

 火の神が千重を欲しがったからかもしれないと噂が立つほど、千重が巫女になってしまった事を惜しむ声は現在に至るまで続いている。

 だが、巫女となってしまった蝶を、いつまでも恋焦がれている訳にはいかない。


 現当主は千重の妹である八重を次に指名した。

 片翅である火蝶を次代の当主に据えるなど分家が納得しないと、当然のように反対の声が上がった。


 だが、現当主は「何も次代の当主を嫁にさせる必要もない」と言った。

 次代の当主は長男夫婦の娘を据えれば良い。その為の嫁入りだ、と。


 いずれにしても男児しか居ない本家では、嫁を迎え入れるのは必須事項だった。

 八重を嫁にと言ったのも、十一代目巫女である千重の功績にあやかっての事だろう。


 とは言え、千重と八重の歳の差は六つ。火焚家長男は千重と同い年。

 当時、八重が嫁入りするには時期尚早だった。故に、四年の月日が経つのを待ったのである。


 十八歳となった八重は、姉の千重の代わりに火焚家へ嫁入りするべく、両親と共に本家の屋敷を訪れていた。


 すれ違う使用人の目に歓迎の色は見られない。

 これが八重でなく千重だったら、頭を下げたままでも笑顔を浮かべていただろうに。

 案内役の使用人の後をついていき、当主と長男が待つ部屋へと向かう。

 部屋の前で使用人が膝をつき、火縄家の到着を知らせた。


「お入りなさい」


 ハキハキとしていて艶めいた女の声が返ってきて、八重達は緊張で体を強張らせた。

 使用人が部屋の襖を開けると同時に先ず、八重の父親が頭を下げる。


「ご当主様、お久しゅうございます。火縄家一同、ご当主様とご子息様にご挨拶申し上げます」


 父親に倣い、母親と八重も静々と頭を下げる。


「おほほ。遠方からご苦労様でした。さ、御三方ともこちらへ」


 当主は品良く笑いながら、自身の前に置いてある三組の座布団を手で指し示した。

 当主の勧めを受け、火縄家は父親、母親、八重の順に座布団に正座する。

 当主の前に火縄夫妻。火焚家長男の前に八重。

 火縄夫妻が当主と和気藹々と話す中、八重は緊張した面持ちで揃えた足の上に置いた両手を見つめたまま俯いている。

 そうして暫く過ごしていると、当主が隣に座っている息子……火焚家長男に話しかけた。


「太蝋。私は火縄のお父上とお母上と別室で話してきます。しっかり八重ちゃんと話しなさいね」

「言われずとも」


 母親の言葉に対し静かに溜息を吐きながら答え、火焚太蝋ほたき たろうは部屋の襖の方へ手を差し向ける。どうぞ構わず出て行ってくださいとばかりに。

 そんな太蝋を横目に当主は「これだから息子って可愛くないわ~」と愚痴を溢しながら、火縄夫妻と応接室を出て行った。


 所謂、後は若い二人でごゆっくり……と言う奴だ。


 当主と火縄夫妻が応接室を出て行って数分経った頃。それまで、静かだった応接室に声が響いた。


「八重。顔を上げなさい」


 無情の声で呼び掛けられ、八重はビクリと肩を揺らした。両手をぎゅっと握り込み、ひたすらに目が泳ぐ。


「八重」


 二度目の呼び掛けには同じ事を言わせるなと言う意味が篭っているように聞こえた。

 八重は生唾を飲み込み、意を決して太蝋を見上げた。


 きっちりとした軍服を身に纏い、しっかりと胸を張って鎮座する男が居た。

 目鼻立ち所か、口や耳の位置まで分からぬ白い頭。小さな火が揺らめいていて、思わず目が奪われそうになる。


――火焚太蝋は、人間の体に蝋燭の頭がくっついた異形だ。


 火ノ本には初代巫女の時代以前から、異形の頭をした人間が存在していた。

 その者達は頭の特性を身に宿し、膨大な霊力を誇る存在だったが、見た目からして恐れの対象であった。

 そして今の時代でも、恐れや軽蔑の対象となっている。


 尤も、それが顕著なのは田舎に限った話である。

 火焚家がある帝都では異形頭は、そう珍しくもない。

 その上、異形頭の中でも一目置かれる者達がいる。

 火の信仰が篤い火ノ本では、太蝋のように火を司った異形頭は田舎でも信仰の対象になり得るのだ。


 更に、太蝋は火蝶の本家の生まれであり、特殊な軍役に就いている。

 火蝶の血族だけでなく、外部の人間からも一目置かれる優秀な男だ。


 周囲から篤い信頼を寄せられ、自身も優秀である太蝋の存在は八重には遠い存在に思えて仕方がなかった。

 元々、優秀な姉の千重が婚約者であったと思うと余計に。

 心許なさそうに眉をハの字に下げる八重の顔を見て、太蝋は小さく溜息を吐いた。

 その太蝋の反応が嫌に胸に刺さり、八重は益々暗い顔になる。


「……四年ぶりだな」


 まさか、話し続けられるとは思わず、八重は太蝋から顔を逸らし目を泳がせながら震える声で答えた。


「は、はい……。さ、査定の儀、以来かと……」

「あぁ、そうだな」

「は、い……」

「……」


 会話が続かない。二人はそれぞれに視線を別へとやり、無言の時間を過ごした。

 二人は初対面ではない。

 千重が巫女になる前、八重は一族のしきたりである査定の儀を受ける為に、十四歳の時に火焚家を訪れていた。

 その時、付き添い人として千重も一緒だったのだが、狙い澄ましたかのように帝都にある火山が噴火したのである。


 八重を含んだ若い蝶達の査定の儀が終わるよりも前に、千重は火口に身を投げ打ち巫女となってしまった。

 その事実が二人の間に渦巻き、何も言えなくなってしまう。

 二人が最初に会った日こそが、千重を失った日なのだから。


 そうして気まずい空気のまま二人は当主と火縄夫妻が戻ってくるのを無言で待った。

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