片翅の火蝶 ▽半端者と蔑まれていた蝶が、蝋燭頭の旦那様に溺愛されるようです▽

@1tuk1_0116

第一章 雨だれ石を穿つ

-1- 蚕は飛べない

 蝶は喜んで火に飛び込んだ。


 大きな翅が灼熱の炎に焼かれ、その身が地の底へと墜ちるのも厭わず。

 人の世に、火を纏った翅の片方だけを遺し、蝶は神の花嫁となった。

 片割れの蝶が大きな翅を震わせて悲しむ事も構わず。


 残された蝶は遺された火の翅を抱き、神を恨みがましい目で睨み上げた。

 しかし、簡単に蝶の翅を焼き落とす炎は蠱惑的で恨み切る事は出来なかった。

 残された蝶は決意する。その身に流れる熱い血を繋いでいく事を。


 片割れの翅を、残していく事を。


 △ ▽ △ 


 糸車がカタカタと小気味良い音を鳴らして回る。

 何本もの極細の糸が手元で紡がれ、一定の間隔で回る糸車に巻き取られていく。

 見えないほどに細い糸が絡まり合って、滑らかで白銀の光沢を放つ細い糸が出来上がる。生糸だ。


 既に出来上がった生糸は上等な木箱の中にそっと収められ、木枠の窓から射し込む日の光を柔らかく反射し鎮座していた。

 幾つもの白い繭から糸を引っ張り出し、手元で束ね、糸車に巻き付けて、白銀の光を放つ糸へと変えていく作業を、黙々と一人で熟す姿は繭を作る蚕のよう。


 だが、蚕のように白いのは肌だけ。

 一つに束ねられた黒い髪は出来上がった生糸を箱に収める時だけ僅かに揺れるだけで、糸を紡ぐ作業に戻れば、また背中に垂れ下がる姿を見せる。

 人目を避け、朝早くから作業小屋へと足を運び、糸を紡ぎ始めて数時間。

 その作業にも終わりが見えてきてしまった。紡げる繭の数は残り少ない。


「……あ」


 無心になって、カタカタと糸車を回していたら不意に左手から糸の感覚が無くなった。

 出来上がった生糸を箱へ移したら次の繭を……と思い、湯が張られた桶を見るも繭は一つも無い。


「終わっちゃった……」


 出来る事なら終わって欲しくなかった。

 生糸を紡ぐ時間が永遠に続いてしまえば良いのにとさえ思っていたのに。

 重たくなる心を胸に最後の生糸を木箱に移して立ち上がった。

 静々と棚へ木箱を仕舞い、名残惜しそうに箱を撫でる。

 一巡り、小屋の中に視線を向け溜息を一つ漏らすと、入道雲が見える青空の下へ身を投じた。


 朝と同じように人目を避けながら屋敷の敷地内を歩いて行き、裏の小さい戸口を目指す。

 しかし、人の話し声が近くなってきている事に気が付き、咄嗟に納屋の影に身を隠した。

 話し声は楽しげで屋敷で働いている使用人である事が分かる。

 こちらに気が付かず通り過ぎてくれる事を願ったが、無駄だった。


 声の主達は納屋に用事があったらしい。

 納屋の扉の横に身を隠したのが、却っていけなかった。

 楽しげな話し声がやみ、眉を顰められる気配を感じ取ると、女は急いでその場を立ち去った。

 屋敷裏の戸口を目指す。


 とっ、とっ、とっ、とっ。

 必然的に狭い歩幅で小走りしていきながら、頭に被っていた白い頭巾を脱ぎ去った。

 器用に手先で四つ折りにすると着物の襟元に挟み込み、僅かに裾を上げて走る速度を早める。

 到着したのは墓場。目当ての人の墓石の前に立つと心が更に重くなった。

 最後の挨拶に来たのに、こんな気持ちになるのが申し訳ない。


「……姉様」


 寂しげに故人の呼び名を口にしたものの、次に続く言葉が見つからなかった。


「私……。……っ……」


 何を言っても申し訳なく思えてくる。

 けど、これがきっと最後になるから。


「きっと……。きっと、姉様の代わりにお役目を……果たします」


 本来なら素晴らしい才を持った姉が務める筈だった。

 しかし、姉はその才を生かし、散ってしまった。残された者が引き継がなければならない。

 それにも時間が経ってしまった。これ以上、先延ばしにする訳にはいかない。


 親愛なる姉の墓石に誓いの言葉を口にしたものの自信は無かった。

 自分が姉以上に役目を果たせるとは到底思えない。それほどに姉は周囲から期待を寄せられていた。


 自分と違って。


「八重、お嬢様」


 不服そうな声色で呼び掛けられ、八重は重たい気持ちのまま顔を向けた。

 八重を呼んだ壮年の女は口をへの字に曲げ、八重から目を逸らしながら言う。


「旦那様と奥様がお待ちです。お急ぎください」


「……。……はい」


 八重が返事をすると女は文句ありげに溜息を吐いてから、背を向けて歩き出した。

 直ぐに追いかけていかない八重を気にする素振りも見せずに。

 いつもの事だ、と思いながらも重苦しい気持ちになり、八重は姉の墓石を見上げた。

 墓に参る度に思う事がある。


「あの時、私が代わりに飛び込んでいれば……」


 今頃、姉は誰からも祝福される幸せな家庭を築いていたのではないか。

 家族以外の人間から疎んじられる自分では何もかも姉には敵わない。


……ともすれば、〝あの時〟の代わりを自分が出来たとも思えなくて、更に気分は沈んでいく。

 八重はふるふると静かに首を横に振った。


「ううん。姉様でなければ、きっと駄目だった。私では鎮めきれなかった」


 自分を言い聞かせるように呟き、八重は姉の墓石に手を添える。


「……いってきます」


 上手く笑えていたかも自信がない。

 姉が眠っていない墓石に笑いかけるのも複雑な心境だった。

 それでも、何処かで見守ってくれているかもしれない。


 そんな僅かな希望を抱いて微笑み、八重は姉の墓石に背を向け、小走りで屋敷へと戻った。

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